石原慎太郎はどれだけ人種差別、女性差別発言しても「石原節」で済まされたのに、 女性からの「170cmない男は人権ない」という男性差別発言は「たぬかな節」にはならずに、 謝罪と契約解雇に追い込まれるのは本当に興味深いよな。 政治家という立場や社会的責任・影響力の大きさを考えれば石原慎太郎の方が厳しく処罰されてもおかしくないのに。 どちらの対応が正しいとかではなくこの非対称性。
元東京都知事の石原慎太郎氏が2月1日、都内の自宅で死去した。89歳。謹んでご冥福をお祈りする。 ただし、彼はかりそめにも公人だった。だから書いておく。 南京事件について会見(※注)で語る石原慎太郎東京都知事(当時。2012年3月30日。撮影/伊田浩之) 私はかつて『空疎な小皇帝 「石原慎太郎」という問題』(2003年、岩波書店)と題するルポルタージュを発表した者である。小皇帝とは中国の、一人っ子政策の下で甘やかされて育った男の子のこと。就任早々から差別発言や弱い者いじめばかりを重ねていた都知事には一人っ子でなくても適切な暗喩だと考えた。 講談社ノンフィクション賞の候補にも残していただいた作品だが、苦い記憶しかない。取材拒否やマスコミ界での風当たりは想定内。とはいえ自分の中にもあるに違いない卑しさ、浅ましさを、剥き出しで見せつけられるような取材の日々が、辛くてならなかった。 人間なんてロクな
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では東京五輪の開催理念ってそもそもなんだろう。東日本大震災からの「復興五輪」? だとしたら最初に言ったのは誰なのだろう。 というわけで過去の記事を調べてみました。 石原慎太郎が東京五輪をやりたかった理由 2019年3月13日の毎日新聞(大阪朝刊)に「復興五輪の実像」という記事が見つかった。 「復興五輪」は元をたどると2011年6月17日、東京都の石原慎太郎知事の所信表明演説に行き着く。 この日、「大震災から立ち直った9年後の日本の姿を披歴すれば、世界中から寄せられた友情や励ましへの返礼となるに違いない」と五輪招致への意欲を示した。 驚くのはここからだ。 8年経って毎日新聞が取材すると石原は「俺が言い出したんじゃない」と否定。「俺は五輪を復興に結びつけたいとは思わなかった。役人のレトリック(巧みな言い回し)だろ」と。 石原慎太郎元都知事 ©文藝春秋 じゃあ石原慎太郎がもう一度東京五輪をやりた
「もう一度、東京でオリンピックを」--。そう東京五輪をぶち上げたのは、石原慎太郎元都知事だった。1999年に東京都知事に就任して5年目。長期にわたるデフレ経済に悩む日本に何かお祭りのようなことが必要だと、2016年のオリンピック・パラリンピック大会に立候補するとぶち上げた。これは、2002年の日韓共同開催のワールドカップの成功も大きく影響しているのだろう。国中が一丸となって熱狂できること、オリンピックがそのひとつであることは間違いない。2006年3月8日の東京都議会で正式に立候補することが決定されて、本格的な招致活動が始まった。2016年大会には他に福岡市も立候補していたが、国内投票で東京が勝つことになる。 2007年に石原氏は東京マラソンを始める。大成功する。東京都が大きなスポーツイベントを実現する力があることを誇示することにもなった。東京マラソンは、今や冬の終わりの風物詩とも言える大会
2020.4.1 お知らせ 学名変更後の「首都大学東京名誉教授」称号の取扱いについて(98KB) Jan1 2020.3.10 お知らせ 大学名称変更に係る各種証明書等の記載について Jan1 2019.7.8 お知らせ 重要名称変更後の大学シンボルマークについて Jan1 2019.6.18 在学生 就職活動、インターンシップ書類への校名記載について Jan1 2019.6.17 お知らせ 名称変更に関するアンケート調査結果について Jan1 2019.4.26 お知らせ 重要名称変更のお知らせ Jan1 2018.11.8 お知らせ 重要名称変更に関するアンケートを実施します 対象:本学の全学生・教員実施期間:2018年11月9日~11月30日Jan1 2018.9.28 お知らせ 重要大学名称に関する関係者説明会開催のお知らせ(10月分) 10月4日追記:10月9日(火)の会場が決定
石原慎太郎氏、会見やめた 14日に宣言も一夜で撤回 2017年2月16日6時0分 スポーツ報知 石原慎太郎氏 元東京都知事の石原慎太郎氏(84)が、豊洲市場移転問題について説明するとしていた記者会見を一転して行わない意向であることが15日、分かった。石原氏は14日午前に都内の自宅前で報道陣に「来週に会見を開く」と宣言したばかり。一夜にして前言撤回となった。 関係者によると、14日夕に豊洲市場問題特別委員会の石原氏の参考人招致が3月18~20日のいずれかに行われることが決まったことで、わざわざ会見を開く意味がなくなったことが理由だという。実際に石原氏は「参考人招致がいつになるか分からないから、自分の口で説明したい。(マスコミに)付きまとわれて散歩もできない」と話しており、招致の日取りが決まっていないために会見するとしていた。今後は理論武装のための資料集めを行い、参考人招致に向けて準備を進め
イスラエル・ハマス戦闘 パレスチナ自治区ガザ地区を支配するイスラム組織ハマスが2023年10月7日、イスラエルへの戦闘を開始しました。
石原慎太郎元都知事はいよいよ議会に引っ張り出されるのか。参考人聴取に応じるのか。23日の都議会「豊洲問題特別委員会」終了後、自民党の山崎一輝委員長が、「参考人招致するかどうかについて、今後検討していきたい」と明言した。名指しこそしなかったものの、豊洲問題の“元凶”である慎太郎氏のことを指しているのは間違いない。ついに都議会自民党も慎太郎氏の参考人招致に動き出した形だ。 「小池知事は、慎太郎氏の責任を問う住民訴訟で、これまでの都の方針を百八十度転換。従来『慎太郎氏に責任はない』とのスタンスでしたが、小池知事は『石原氏に責任があったのか否か明確にしたい』と、新たに都の弁護団を立ち上げることを決めました。狙いは、慎太郎氏を裁判に引きずり出すことに加え、都議会自民党に圧力をかけることでしょう。これまで、都議会は慎太郎氏を参考人として呼ぶことを渋ってきた。しかし、豊洲の地下水から“猛毒”が検出された
豊洲市場混乱の“元凶”石原慎太郎元都知事(84)が8日、久々に人前に姿を現した。東京・永田町の憲政記念館で行われた亀井静香衆院議員(80)が主催するセミナー「日本をどうする!」に、ゲストスピーカーとして登壇。意外なほど元気に暴言を吐いていた。 セミナーは約1時間半。慎太郎氏は「暴走暴言老人の石原です」と、お得意の挨拶で会場の笑いを取ると、気をよくしたのか、「醜い日本語でつづられた憲法前文は書き直したらいい」「(トランプよ)日本をなめたらいかんぜよ」「支那との関わりは予断を許さない」と、聞き飽きた持論を展開。 しかし、聴衆が聞きたかった小池知事の評価や肝心の豊洲問題については、最後までダンマリ。セミナーが終わると、まるで逃げるように裏口から出て行ってしまった。 なぜ、豊洲問題を避けたのか。その理由を聞くため、日刊ゲンダイ記者はセミナー終了後、裏口から退出し車に乗り込もうとする慎太郎氏を直撃。
石原都政では、教育行政も歪められた。「心の東京革命」と称して、愛国心教育を強制したのだ。 慎太郎のウェブサイト「宣戦布告」を見ると、「心の東京革命」というタイトルでこんなことが書かれている。 〈動物行動学者コンラート・ローレンツの主張の中に非常に興味深いものがある。それは「幼い頃に肉体的な苦痛を味わったことのない子供は、成長して必ず不幸な人間になる」というものだ〉 だから、子供に苦しさやひもじさに対する我慢を覚えさせる必要があると説く。スパルタ教育を信条とする慎太郎は、過剰な体罰で知られる「戸塚ヨットスクールを支援する会」の会長も務めている。こういう偏った思想の持ち主が、トップダウンで都の教育行政を変えていったのである。 2001年、まずは都教育委員会の「基本方針」「教育目標」から「日本国憲法及び教育基本法の精神に基づき」の文言を削除し、代わりに「わが国の歴史や文化を尊重し」と加えた。国が
豊洲市場の盛り土問題で、調査に協力する意思を示していた東京都の石原慎太郎元知事が5日、一転して、都のヒアリングを拒否する意向を小池百合子知事側に伝えてきたことが関係者への取材で分かった。 石原氏は2008年5月の記者会見で建物下にコンクリートの箱を置く案に言及し、当時の中央卸売市場長の比留間英人氏に検討を指示した。石原氏の案…
築地市場の移転先である豊洲市場の建物の下に盛り土がなかった問題で、石原慎太郎元都知事(83)は17日、都内で取材に応じ、コンクリート壁の地下空間を設けることは「一切、報告を受けていない」と話した。この日午後、当時の状況を再確認したとした上で「やっぱり役人にだまされてたんだ」と外出。帰宅後、その内容を明かした。 問題をめぐっては、石原氏はこれまで、08年5月の知事定例会見で「コンクリート箱」を埋める案に言及していたことについて「下(都庁の役人)から聞いたことを伝えただけ」としていた。一方、当時の市場長の比留間英人氏は「知事から調べるよう指示があった」と説明。この発言の“ずれ”について石原氏はこの日、「ある専門委員から聞いて、私が逆に(比留間氏に)こんな話があると言った」と修正した。 石原氏がアイデアの1つとして挙げたとするコンクリートの「箱」案については、比留間氏もコスト高で断念したことを石
信じられないデタラメが次々と発覚する豊洲新市場騒動で、新事実が浮上した。「私はだまされた」と被害者面していた石原慎太郎元都知事が、実は盛り土案潰しの“真犯人”だったというのだ。 石原氏は13日のBSテレビで、豊洲新市場の建物下に盛り土がされず、コンクリートで固めた地下空間がつくられていた問題について、「私はだまされた。手を抜いて、していない仕事をしたことにして、予算措置をした。都の役人は腐敗している」とまくし立てていた。 ところが、在任中の2008年、敷地全体に盛り土するとの専門家会議の提言に難癖をつけ、地下にコンクリートの箱を埋め込む工法を都庁幹部に強く推していたことが分かったのだ。 15日の東京新聞によると、石原氏は08年5月10日の定例会見で、豊洲の土壌汚染対策について「(盛り土案より)もっと費用のかからない、しかし効果の高い技術を模索したい」と語っていた。 さらに同月30日の会見で
築地市場(東京都中央区)からの移転が延期された豊洲市場(江東区)の主要な建物下に盛り土がされていなかった問題で、石原慎太郎氏が都知事在任中の二〇〇八年、地下にコンクリートの箱を埋める案に言及していたことが分かった。長所として工費の安さや工期の短さを挙げていた。土壌汚染対策を検討する専門家会議の盛り土案に反し、都が地下空間案を採用した判断に、石原氏の意見が影響したかどうか、解明が進むことになりそうだ。 (中沢誠、中山高志) 専門家会議は〇七年五月、ベンゼンで土壌が汚染されていた豊洲市場の地下利用について「有害物質が建物内に入る恐れがあるため、地下施設は造らない方がいい」と指摘。〇八年五月十九日、土を入れ替えて盛り土にする方針を決定した。 しかし、石原氏は〇八年五月三十日の都知事の定例会見で、海洋工学の専門家がインターネットで「もっと違う発想でものを考えたらどうだ」と述べていると紹介。土を全部
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