小野寺まさる @onoderamasaru 今日の日本経済新聞の広告を見て唖然。アイヌ民族の優遇政策が全国展開される話をしたが、それを後押しするとんでも書籍も続々と出ている様だ。アイヌ問題は北海道だけの事と考えている本州の方々…日本はアイヌの国土だったらしいですぞ?(笑)こんな馬鹿話が着実に浸透しているのがアイヌ問題だ! pic.twitter.com/8cHmdwj3mq 2018-02-14 10:47:23
[ヘンテコ説検証]北の元寇によって追われた北方民族が北海道に移動した、それがアイヌであるという説を真面目に検証 SNSなどでは、アイヌ民族のあれやこれやに対し事実誤認や偏見に基づく暴言や誹謗中傷、ヘンテコな誤解が呟かれている。実際にはその先には当事者がいて、それらの暴言や誹謗中傷によって傷つく人がいる。気軽に呟くその言葉はそのままヘイトスピーチにつながっていることも多い。 本noteはそれらの事実誤認に応えるために開設した。心当たりのある方は悪意のある言説に乗せられ、犯罪者にならないためにもお読みください。 ※ここではアイヌに対して日本のマジョリティである日本民族、和人を「和民族」と統一して表記します。 アイヌ民族鎌倉時代渡来説を検証してみるアイヌ民族が鎌倉時代(13世紀)に北方から来襲し、擦文人やオホーツク人を殺戮して定住をし始めたので、アイヌ民族は先住民族では無いとのトンデモ説がネット
嘘か真か、我が家の先祖は大和と取引して興隆した家柄、というか一族で、大和から鉄器や布や網などを交易して狩猟へ応用し財産を築いたので今がある、と小さな頃からそう教えられていた 大人になり大和とアイヌの関係性をはっきりと理解できるようになると「あぁ我が家は裏切った側か」と知った もちろん有識者に言わせれば実際のところはアイヌ同士でも血を伴う争いは頻発していて、それを考えれば鉄器を潤沢に得ていた先祖は有利に戦況を進めていただろうことは想像に難しくない 北海道の西側から始まったアイヌ同化政策でも少なからずの抵抗があったと聞いたが先祖はその先鋒として"交渉"を伴いながら東へ進んだという まぁどう見ても今のアイヌ人権団体から見れば裏切り者だ 何なら我が家は北海道開拓の功労が認められ、そこそこの地位まで得てしまい戦後は内地へ渡った、つまり今はもう北海道にすら住んで居ないのである しかも一部権利を北海道へ
ゴールデンカムイの話がTwitterで議論を呼んでますね。 大変ヨイことですよ! 私のようなね、ゴールデンカムイ大好きっ子で特に月島はこの後も闇を抱えて昏い海をさらって生きていてほしいと望むような(薄暗い願望)人類としてはね、このように議論を呼ぶことは大変喜ばしいことです。 ただ、「現実の少数民族への関わり方」でお悩みの方もいらっしゃるんじゃないかなあとは思うんですよね。そういう漫画ですから。 私は美術史・美術批評を学ぶ学生です。 そのあたりの見解から、どのようなスタンスで関わっていこうかな、という自己表明をしたいと思います。 こんな関わり方をしようとしている人もいるよ、という参考になれば。 以下のように章立てて解説していこうと思います。 1.一般読者は知ればいい。知ることは疑問と是正につながるのだから。 2.でも、漫画から現実を知ることはできないので。ゴールデンカムイのアイヌ誤用3つをご
ツイッターで書いたことですが、見にくいので、こちらに再度UPします。 ※だいたいは、ヤオさんの調査を元にしています。こちらも併せてごらんください。 《時系列でたどるシトナイ伝説》 ★まず「白龍伝説」があった もともと小樽の祝津にある赤岩という山に、白龍が住むという伝説があった。 明治ごろ。龍というくらいだから、和人を中心としたものだっただろう。 ●明治初期 「明治初期、修行僧が洞窟に篭もって修行をしていた際に、天に昇る白龍を見た」という伝承あり。 https://t.co/1g29gwqfVJ?amp=1 ●明治9年 「玄武丸事件」 開拓史長官黒田清隆が軍艦・玄武丸の艦上で酒に酔っ払い、玄武丸の大砲を、小樽の祝津の赤岩に向けて撃った。 運悪く祝津の民家に当たり、一人の少女が亡くなった。(史実) →その際、なぜ黒田が祝津の赤岩山に向けて、大砲を撃ったかには諸説あるが、 そのうち一つが、 酔っ
ご存じない方にすごく大雑把に説明しますと、古今東西の英雄たちが出てきて、聖杯をめぐって戦うゲームなのですが、
新著で、近江商人らに生活を奪われたアイヌ民族の苦難について焦点を当てた駒井さん(高島市安曇川町北船木) 滋賀県高島市の近江商人研究家駒井正一さん(69)=安曇川町北船木=が、新著「アイヌ民族の戦い-知られざるアイヌ民族の戦いの真相」を自費出版した。江戸時代、北海道に進出した近江商人らに、生活を奪われたアイヌの人々の苦難に焦点を当てている。 駒井さんは元中学校教諭。近江商人だった先祖の足跡を探ろうと、1981年から研究を始めた。近江商人とアイヌ民族の関わりについては、94年ごろから調べ始め、2005年には、幕末期に北海道で漁業経営をしていた近江商人が、アイヌ民族を雇用したことを裏付ける当時の約定証文を、道立図書館北方資料室(江別市)で発見した。 これらの文献を基に、近江商人が道内での漁業経営を通じて富を増やした一方で、アイヌの人々を低賃金で雇い、不平等な物々交換をしていた実態を「近江商人の漁
あきら☆キラヽ(・ω・)/キラ☆ @Akky_Star むむ、二風谷ですか? 状況的に、アイヌの人が神を祀る祭壇(ヌササン)と、そこに供えられている動物(ヒグマ=キムンカムイ)の骨と思われますが…。 twitter.com/Z_D_R/status/8… 2017-05-28 17:19:16 あきら☆キラヽ(・ω・)/キラ☆ @Akky_Star アイヌ民族が神々を祀る祭壇(ヌササン)と、祀られているヒグマの頭骨ではないでしょうか。バンドのメンバーがそれを破壊し、オモチャにしている様子。Manzerはフランスのバンドということですが、日本人の案内役もついているはず。「知らなかった」では済まされない、重大な問題と思います。 twitter.com/Z_D_R/status/8… 2017-05-28 18:28:01
砂澤 陣 @SunazawaJin #ゴールデンカムイ ないない1。明治に入ってからも鮭や鹿の猟を禁じ土地を奪うなどとあるが、短絡的に猟を禁じたものではなく確りとした免許鑑札が与えられ 土地を奪いとされているが漫画の舞台明治37年より前16年から救済法がとられ農業事業実施に関し様々な優遇措置が所謂アイヌに行われた。 pic.twitter.com/caqd6IFTnq 2017-01-29 18:50:39 事実 1876年の北海道鹿猟規則第5条「免許鑑札ヲ受ル者ト雖、毒矢ヲ以テ猟殺ヲ禁ス」と、当時のアイヌの生業の中で重要な位置を閉めた毒矢による伝統狩猟を禁止した。生計に対するアイヌの大きな不安感と強い反発が広い範囲で見られた。沙流、千歳、勇払三郡および十勝のアイヌそれぞれによる禁止実施の延期を求める歎願書が開拓使に提出されたが、平等の論理によって「和人並み」の規制下に入れなければならない
北海道が主催する2016(平成28年)度「北海道新技術・新製品開発賞」の食品部門において、田中酒造株式会社(色内3・田中一良代表取締役)のアイヌ伝統の稗(ひえ)の酒「カムイトノト」が優秀賞を受賞し、10月12日(水)、道庁で表彰式が開かれ、田中社長が出席した。 カムイトノト(アルコール10%・2,000本製造)は、アイヌの神事に欠かせない酒「トノト」を再現し、現代の日本酒製造技術の応用により製造した醸造酒。原材料にアイヌの伝統を守るために神聖な国産稗と道産米麹を使用。甘味料の代わりに米麹で糖化させた稗を加え、独特の酸味と自然な甘さがバランス良く、現代の消費者に受け入れられる風味に仕上げた。ラベルには、アイヌ民族の着物の文様をイメージしたデザインを起用。 同社は、2011(平成23)年度にリキュール「楽酒美(らくしゅみ)」で奨励賞、2014(平成26)年度アロニア酒「小樽美人」で大賞を受賞。
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