新日本プロレスに所属しておりました、飯伏幸太選手に関しましてお知らせです。 飯伏幸太選手は、2023年1月31日をもちまして新日本プロレスを退団しましたことをご報告致します。 2021年10月より「右肩関節前方脱臼骨折」及び「関節唇損傷」で長期欠場していた飯伏選手ですが、この度、契約期間満了により退団という運びとなりました。 長らく飯伏選手を応援してくださったお客様には、突然の発表になりましたことを心からお詫び致します。今後の飯伏選手の活躍にご期待ください。 新日本プロレスリング株式会社
IWGPの歴史が変わる! 新日本プロレスのIWGPインターコンチネンタル(IC)選手権(28日、大阪城ホール)は、王者の飯伏幸太(38)が内藤哲也(38)の挑戦を退け3度目の防衛に成功した。IWGPヘビー級とICの2冠統一論争を繰り広げた両雄の結果を受け、菅林直樹会長(56)は2冠王者・飯伏の希望通り2本のベルトを統一する方針を本紙に明かした。両王座の歴史を継承した新ベルト、その名も「IWGP世界ヘビー級王座」が新設される。 イデオロギー闘争の様相を呈した2人の戦いは、激しい攻防が続いた。飯伏は左脚に集中砲火を浴びたが、デスティーノだけは許さない。コリエンド式を狙った内藤をハイキックで迎撃すると、ジャンピングニーから後頭部へカミゴェを叩き込む。最後はカミゴェ2連発で、粘る挑戦者を振り切った。 試合後のリング上にはIWGPジュニアヘビー級王座を初戴冠したエル・デスペラードが登場。3月4日の東
ついに悲願達成だ。新日本プロレスの年間最大興行「レッスルキングダム15」(4日、東京ドーム)で行われたIWGPヘビー級・IWGPインターコンチネンタルダブル選手権は、挑戦者の飯伏幸太(38)が内藤哲也(38)を破り2冠王者に輝いた。デビューから実に16年半、あこがれだったIWGPヘビー級ベルトを初めて巻き〝ドラマティックドリーム〟が結実。だが決して平坦な道のりではなかった。夢を追いかけ続けたゴールデン☆スターの原点と今後の進むべき道とは――。 同い年で切磋琢磨してきた内藤との頂上決戦は文字通りの死闘となった。2発のカミゴェをカウント2で返された飯伏は、バレンティアを浴びて劣勢に。それでも正調デスティーノを阻止すると、内藤の手をつかんだ状態でジャンピングニー一閃。最後はこの日3発目のカミゴェで激闘に終止符を打った。2004年7月1日、DDTのリングでデビューした男がついに悲願のIWGPヘビー
2月22日、欠場中だった“ゴールデン・スター”飯伏幸太が会見を開き、DDTと新日本プロレス、2団体の所属を共に解消し、フリーとして「飯伏プロレス研究所(仮)」を発足させると発表した。 あまりにも唐突の発表となった退団。その経過や真意について、飯伏本人に直撃し、本音を聞いてみた。(取材日:3月1日) ――リング復帰決定と共に、DDTと新日本プロレスの両団体を退団することを発表したのは、かなり反響があったんじゃないですか? 飯伏 そうですね、結構ありました。 ――そもそも、DDTと新日本プロレスの2団体所属になった時は、こんな感じで2団体所属が終わるなんて思っていなかったですよね? 飯伏 最初の頃は単純に2団体所属っていうのを当時誰もやっていなかったし「これ、絶対面白そうだな」っていう興味がありましたね。それで、最初に思ったのは新日本プロレスでは新日本プロレスのスタイルというか、いわゆる正統派
いま思えば、最初から無理だったようだ。 だけど、前人未到のことだったから、やってみないとわからなかった。 飯伏幸太の、DDTと新日本プロレスの2団体同時所属のことである。 2月22日、DDTの事務所で会見が行われ、飯伏幸太がその両団体を退団することを発表した。 どちらか一方を、ではなく、一気に両団体を離れることに決めた。 飯伏は、昨年9月にDDTの2大会を体調不良で欠場し、10月25日の後楽園ホール大会でも緊急欠場をしていた。以前から左半身の不調を感じていたので精密検査をしたところ、頸椎椎間板ヘルニアと診断される。日常生活を送ることに支障はないが、プロレスの試合は当面無理との医師の判断により、そのまま無期限の長期欠場に突入となった。つまり、公の場に姿を現したのは4カ月ぶりであり、この欠場中に退団という決断を下したことになる。 もともとDDTの所属選手だった飯伏は、新日本から要請される形で、
飯伏幸太がDDTプロレスと新日本プロレスを退団!『飯伏プロレス研究所』を設立した飯伏は「怪しい動きをしたい」 22日、DDTプロレス事務所にて飯伏幸太に関する会見が行われた。高木三四郎社長、鶴見亜門GM、飯伏幸太の3人が会見場に現れると、まずは亜門GMより 亜門GM「飯伏幸太が2月いっぱいをもちまして、DDTプロレスリング及び新日本プロレスとの所属を解除しまして、両団体を退団することになった事をご報告させていただきます。病状の経過といたしまして、長期欠場の原因になりました頚椎椎間板ヘルニアに関しては治療のかいあって完治致しました。その後腰に異変を感じるようになりまして、診断をした所腰椎すべり症であることが判明しました。しかしこれに関しても治療の結果ほぼ完治しておりまして、お医者さんの方からもいつ復帰しても問題ないという診断をもらっております。復帰ということを具体的に考えた時に、本人の中であ
プロレス界の“ゴールデンスター”飯伏幸太(33)が、所属していたDDTと新日本プロレス両団体を退団することが21日までに本紙の取材で分かった。史上初の2団体所属選手として活躍したが、昨年10月から長期欠場。DDT3・21両国大会で復帰するが、同戦から事実上フリーとして活動を再開する。業界に激動が続く2016年は、飯伏にとっても新たな挑戦の年となる。 プロレス界の激動が収まらない。複数の関係者の話を総合すると、飯伏は2月末でDDTと新日プロ両団体との所属契約を解除し退団することを決断。3月から事実上のフリー選手として活動していくことが分かった。 04年にDDTでデビューを果たし、中心選手として活躍。新日プロでもIWGPジュニアヘビー級王座を獲得するなど一気にスターダムを駆け上がった。13年10月からは新日プロとも所属契約を結び、業界初の2団体所属選手となった。近年の「プロレス女子」ブームの中
「トンパチ」――型破り。破天荒。規格外。(キ○ガイ) 格闘技の世界で使われるこの隠語は、プロレスラー飯伏幸太のためにあると言っても過言ではない。命がけの信じられない空中技を、リングの上でも花やしきでもTSUTAYAの店内でも繰り広げる。試合中、突如プチンとキレて覚醒する様は、まさにスーパーサイヤ人になる孫悟空そのもの。 そんな飯伏を徹底解剖した『飯伏幸太―DDT、新日本プロレス(スポーツアルバムNo53)』(ベースボールマガジン社) が、これまた最高にトンパチな仕上がりになっている。 ビジュアルページ、飯伏の「プロレス論」インタビュー、「華麗なる技図鑑」につづいて、「飯伏幸太のヤバさをよく知る人たちの証言集」なるものを掲載。「飯伏はヤバい」とよく言われるが、実際にどうヤバいのか、そう広くは知られていない。それがこの証言集を読むと、「本当にヤバい人なんだ…」と唖然とする。 飯伏と言えば、「路
余波を広げる飯伏幸太選手の、スーパージュニア欠場。 その「なぜ」を東京スポーツがひっそり伝え、 当人は「まずはー、おおきくなりたい」と 夢を文字通りの夢らしく大きくふくらます。 年に1度のジュニアの祭典、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア欠場がアナウンスされた、 新日本&DDT、異例の2団体所属IWGPジュニア王者・飯伏幸太選手。 新日本所属選手が新日本ジュニア最高の大会を、怪我でもないのに欠場とはなにごとか。 <多重ロマンチック:2000年の獣神サンダー・ライガー> ジュニア戦士たちから様々な意見の出た経緯を、東京スポーツ紙がひっそり伝える。 その一方でジュニアの祭典・スーパージュニアにはエントリーされていない。獣神サンダー・ライガーら他選手からは猛批判を受けているが、出場回避は本人の意思ではなく、新日プロフロント陣のメンバー選考に基づくもので、理由の説明を求められても答えようがない。(
新日本プロレスのIWGP同時2階級戴冠を目指すジュニア王者・飯伏幸太(31)に、黄信号が点滅していることが15日、発覚した。 飯伏は旗揚げ記念大会(3月6日、東京・大田区総合体育館)でヘビー級王者オカダ・カズチカ(26)とノンタイトル戦で激突する。勝利すれば堂々とヘビー級への挑戦権を主張する心構えだ。 昨年10月からDDTとの2団体所属になり、2階級同時戴冠まで見据える“ダブル二刀流”を、オカダから「IWGPヘビーをナメるな」と一刀両断された。 オカダの指摘通り、ダブル二刀流の負担は大きい。加えて飯伏は典型的な「短期集中・一戦完全燃焼型」。特に、限界に挑むビッグマッチ後には、必ずといっていいほど体調を崩す。2団体所属後、毎月ビッグマッチを行ってきた飯伏は現在、一向に治らない原因不明の風邪に悩まされ続けている。 「去年の12月からだから、もう2か月ですね。免疫力が低下しすぎてます。ここにきて
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