寂れた豊島園を再興し、現在まで続いてきた礎を築いたのは、藤田観光の創業者として知られる小川栄一氏だったという事を前記事「豊島園の最初の閉園危機と小川栄一氏」にてご紹介しました。 その小川栄一氏は昭和16年に豊島園を手放し、豊島園経営のために設立した「日本企業」という会社は、西武鉄道の前身である武蔵野鉄道に吸収合併されました。 年表で言えば一行で終わってしまう事ですが、この出来事は「財界のブルドーザー」と呼ばれた小川栄一氏と「ピストル堤」と呼ばれた堤康次郎氏という二大巨星が交錯した瞬間として、としまえん94年の歴史の中でも特に注目すべき出来事です。 両者とも昭和の日本経済界に名を轟かせた二人であり、堤氏は箱根の観光開発で東急グループの五島慶太氏と「箱根山戦争」と呼ばれる輸送シェア争いを演じますが、同じく箱根で小涌園を開業していた小川栄一氏も「第三の男」として、箱根山戦争を描いた小説等には登場