タグ

社会と演歌に関するkowyoshiのブックマーク (2)

  • 添田唖蝉坊・ああわからない / 土取利行(弾き唄い)Don't Know/ Toshi Tsuchitori

    土取利行の邦楽番外地 添田唖蝉坊(作詞曲)・ああわからない / 土取利行:編曲(弾き唄い) 世の中の矛盾の様々を「わからない」という逆表現で、うたいとばしてあります。14項の中には議員、坊主、ヤソ、役人、医者、弁護士など、職種別の風刺もあります。曲は「日海軍」をそのまま、「ああ金の世」の沈痛と逆の軽快調です。(添田知道)日露戦争間に作られた唖蝉坊節の名曲。

    添田唖蝉坊・ああわからない / 土取利行(弾き唄い)Don't Know/ Toshi Tsuchitori
    kowyoshi
    kowyoshi 2013/11/19
    今でも通用するのが切ない
  • 添田唖蝉坊と革命歌および労働歌 - 土取利行・音楽略記

    添田唖蝉坊の演歌への姿勢が大きく変わったのは社会主義者、堺利彦との出会いからである。明治38年の「ラッパ節」の流行で社会党機関誌「光」にラッパ節の替歌が掲載されていたのを唖蝉坊がみつけ、その歌詞に興味を持ち、堺を訪ねた折、社会党のための「ラッパ節」を依頼されて作ったのが「社会党ラッパ節」。この時、唖蝉坊は堺利彦の人間性と社会主義思想に惹かれ、以来党員となって歌と演説で活動する。世は日露戦争の暗雲がたれ込め、社会主義者への国家の弾圧が続いていたが、唖蝉坊は立て続けに下層労働者の歌を作り続けて行く。この時期、明治39年(1906)に彼が作った歌はすべて発禁歌となった「社会党ラッパ節」「嗚呼金の世」「ああわからない」「あきらめ節」等。しかしこれらは今の世でも多くの人の心を動かす歌の力がある。 唖蝉坊の「ラッパ節」がどれほど全国の労働者の間でも知られていたかという例に「足尾銅山ラッパ節」がある。こ

    添田唖蝉坊と革命歌および労働歌 - 土取利行・音楽略記
    kowyoshi
    kowyoshi 2013/11/19
    今もそうだよなあ>「欲という字に眼が潰れ 人たる道を踏み躙り 平民の歎の叫び声 知らぬふりする穀潰し」
  • 1