青函トンネルができる以前、本州と北海道をつなぐ重要な交通インフラとして「青函連絡船」が利用されてきました。戦時中には戦略物資である石炭を輸送するうえでも重要でしたが、当然、アメリカ軍の標的にもなりました。 「北の大動脈」が「戦争の大動脈」に 青函連絡船の重責 北海道と本州をつなぐ鉄道フェリーとして1988(昭和63)年まで運航されていた「青函連絡船」は、今では日本の古きよき旅の情景のひとつとして、しばしば懐古的に語られています。 しかし、かつて青函連絡船は、戦争のためになくてならない存在でもありました。太平洋戦争当時、連絡船として建造されたのが「戦時標準船W型」、一般的には「第五青函丸」型と呼ばれる船舶でした。ここでは、戦争に翻弄された青函連絡船の知られざる運命を振り返ってみましょう。 拡大画像 在りし日の青函連絡船。1988年まで運航された(画像:写真AC)。 戦中に青函連絡船が担った重