今も昔も子供やスイーツ好きの熱視線を一身に集め、王道を突っ走るフルーツパフェ。 大正時代の庶民にとって、果物やアイスはハイソな食べ物。なかなか手が届くことはなかった。昭和40年頃ようやく喫茶店でも定番になったといわれている。 さかのぼること3年。創業昭和37年のフルーツパーラーが現存するときいた。しかも果物屋直営である。 行く。行くしか~。
今も昔も子供やスイーツ好きの熱視線を一身に集め、王道を突っ走るフルーツパフェ。 大正時代の庶民にとって、果物やアイスはハイソな食べ物。なかなか手が届くことはなかった。昭和40年頃ようやく喫茶店でも定番になったといわれている。 さかのぼること3年。創業昭和37年のフルーツパーラーが現存するときいた。しかも果物屋直営である。 行く。行くしか~。
お盆にのった、ほかほかご飯にみそ汁、メーンのおかず――。昔ながらの定食屋さんがめっきり減ったと感じる今日この頃、大衆食堂で呑(の)みたくなった。 東京都渋谷区の京王線笹塚駅前の商店街の一角、創業90年の常盤食堂にいる。食品サンプルが飾られたショーケースがまばゆい。のれんをくぐって中に入ると、そこには昭和の大衆食堂そのままの空間がある。右手には小あがりも。 今回のテーマは大衆食堂呑み。同行を願ったのは「大衆食堂パラダイス!」「汁かけめし快食學」の著書もある、自由文筆労働者の遠藤哲夫(69)。通称・エンテツ。庶民の食を追求し、「大衆食堂の詩人」「酒呑み妖怪」の異名もある。 遠藤は、日替わり定食の生ザケフライにメンチカツ、瓶ビールを頼んだ。蛍光灯で中から照らす行灯(あんどん)風の看板と木札にメニュー、その下に厨房とホールをつなぐカウンターがある。二十歳のときから店に立つ2代目店主の内山繁雄(73
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