万葉の時代、飛鳥は日本の首都でした。新益京と呼ばれた藤原京は新しく国家体制もでき、活気にあふれていました。7世紀末の文武天皇の時、天香具山の南では、飛鳥最大の蘇が作られた記録があります。 蘇は牛乳をゆっくりと特殊な方法で煮つめたチーズの仲間ですが、すでに、人々は、牛・馬を食べていますから、貴族の間ではもう少し前から、この妙なる味が知られていたことでしょう。 おそらく、中央アジアの草原のパオの中で生まれた美味な固形物であった蘇は、 はるかシルクロードの道を通り、飛鳥の都へ伝わって来たのです。 当時飛鳥には多くの異国人が住んでおり、彼等が、その製法を伝えたのでありましょう。 ここには、高松塚壁画のような人々が居ましたが、誰もが蘇を口にすることができたわけではありません。 貴族や高級官人など、「日本書紀」の主人公が賓客を迎える夕べの宴を色どったものでしょうし、貴婦人の美容の滋味でもありました。高