ぼろ太@C103 日曜日 東地区 “シ” ブロック 02b @futaba_AFB 野火という映画を見てたんですけども、クリスマスシーズンに見る映画じゃなかったですね、こう世の中の幸せな夜にっていう雰囲気との落差が凄すぎてですね、猿の肉...猿の肉... 2013-12-06 00:19:24
戦争の遂行が最優先され、物資統制などで市民生活が極めて苦しくなった戦中の日本。アニメ映画やテレビドラマ化された人気漫画『この世界の片隅に』は、そんな戦時下の広島市と呉市で懸命に生き抜く人々の暮らしを描いている。そして、このヒット作のおかげで、1945年8月の原爆投下にも改めて関心が集まっている。 広島・長崎への原爆投下は今年8月で73周年を迎える。当時生まれたばかりの赤ちゃんも、今では70歳を優に超えているということだ。 被爆者が高齢化するなか、戦争体験を若者に克明に語れる人々も減っている。筆者は7月19、20両日、公益財団法人フォーリン・プレスセンター(FPCJ)のプレスツアーの一員として長崎と広島で取材した。ここで取材した内容をもとに、「原爆」を改めて見つめる出発点として、基本的な事実をおさらいしてみたい。 アメリカ軍は複数の都市をリストアップしていた アメリカによる広島と長崎への原爆
何が問題になっているのか 今、書店には歴史学の最新成果を無視して作家などが思いつきを綴った「俗流歴史本」が溢れている。昨今では百田尚樹氏の『日本国紀』(幻冬舎)が何かと話題だが、ここ20~30年ほどで日本史学界に対して最も攻撃的だったのは作家の井沢元彦氏であろう。ただ『逆説の日本史』などの氏の一連の「歴史ノンフィクション」は、史料に基づかない想像を多く交えており、学問的な批判に堪えるものではない。 そこで私が朝日新聞に連載したコラムなどで井沢氏の著作に対して苦言を呈したところ、氏が反論してきた(『週刊ポスト』2019年3月15日号掲載、『逆説の日本史』第1218回「井沢仮説を「奇説」「歴史ファンタジー」と侮辱する歴史学者・呉座勇一氏に問う」)。 これに対し私は、『週刊ポスト』3月29日号で「井沢元彦氏の公開質問状に答える」という記事を書いた。すると井沢氏が『逆説』1221回で「「公開質問状
連載 百田尚樹『日本国紀』に登場した謎の記事を追う オリジネーターによるまとめ 1990年代後半からの日本における歴史修正主義の台頭とともに拡散された、ククリット・プラモート「日本というお母さん」記事。この記事を「発見」し世に送り出した名越二荒之助(なごし・ふたらのすけ)は、「大東亜戦争で日本がアジアを解放した」論を集大成的に正当化してゆく大部の書籍を刊行する。1999年から刊行された『世界に開かれた昭和の戦争記念館』シリーズ全5巻(展転社)は、写真と解説記事を中心に、 これまで昭和の戦争は、日本の立場を見失い、否定的側面ばかりが強調された。しかし調べてみれば、感動の秘話の宝庫である。史実や資料の羅列でなく、そこに至る国際的背景や脈絡を明らかにし、日本が歩んだ感動のドラマを重視する。 というコンセプトのもとに編まれたものであった。最初から「感動のドラマ」に仕立て上げる気マンマンだったのであ
オーストラリア人看護婦たちを殺す前に強姦していた日本軍 1942年2月、インドネシア西部のバンカ島で、数十名のイギリス人およびオーストラリア人の捕虜と民間人、さらに21名のオーストラリア人看護婦が日本軍に虐殺された。 このとき、看護婦たちは単に殺害されただけでなく、その前に日本兵により強姦されていたことが明らかになった。BBCが次のように報道している。 www.bbc.com 「この真実を発掘し、ついに公表するには、複数の女性の力が必要だった」 軍事史を研究するリネット・シルヴァーさんがこう言う「真実」とは、1942年2月にインドネシア・バンカ島で、海の中へ歩かされ、機関銃で銃撃されたオーストラリア人看護師22人の身に起きたことを指す。看護師たちは1人を除いて全員殺された。 「それだけでぞっとした。でも、殺害前に強姦されていたなんて、語るにはむご過ぎる真実だった」。シルヴァーさんは、新著で
「桜花」――まもなく満開となる桜のことではない。戦時中の日本軍の非常さを象徴する、生還不能の特攻兵器につけられた名である。大型爆弾に操縦席と翼、ロケットをつけ、母機から放された瞬間に搭乗員の死が約束されるこの兵器は、敵の米軍にとって理解不能だったようで、彼らは「Baka Bomb(馬鹿爆弾)」と呼んでいた。 この兵器を発案した男は、終戦直後に死亡したとされたが、生存説もささやかれ、長らくその消息は謎に包まれていた。だが、5年前、遺族から神立さんへ一報があり、戦後、別人として生きてきた詳細な軌跡が判明する。 「特攻兵器『桜花』の生みの親」という過去を消し去って生きた男は、どのような後半生を送っていたのか? 特攻兵器「桜花」の初陣は全機撃墜された いまから74年前、昭和20(1945)年3月21日午前11時20分。鹿児島県の鹿屋海軍航空基地から、「神雷(じんらい)部隊」の異名をもつ第七二一海軍
一体、「南京」で何があったのか。 本来は笠原氏なり秦氏なりの新書を一冊読めば大体のところはわかるのですが、ネットではその手間すらかけずに、ネット情報のみでいい加減な発言をしている方を見かけることが珍しくありません。 例えば、よく見かける「南京大虐殺はなかった」という表現にしても、発言者はどこまで意味をわかって発言しているのか。 「中国側のいう30万人規模の大虐殺はなかった」ということでしたら、この点は日本側研究者のほぼ合意ですので、理解できないことはありません。しかし「南京における(少なくとも数万の)大規模な虐殺」の存在まで否定してしまうというのは、ちょっと無理な議論でしょう。 *掲示板では「なかった派」という奇妙な自称を行う方を多くみかけます。そしてそのような自称を行う方は、一体何が「なかった」と言いたいのか、自分でもはっきりとわかっていないことが多いようです。「大規模な虐殺」の存在さえ
HIGUさんからの情報提供を受けて、三連休最終日の銀座駅に走りました!(ありがとうございました!) @semakixxx さま 銀座線銀座駅、装飾パネル剥がされて空爆跡が露出しています! pic.twitter.com/KrFHZ6A6Gr — HIGU (@Seibeh1974) 2019年1月12日 もうすぐでちょうど74年目を迎えようとしている、1945(昭和20)年1月27日。56機のB29爆撃機が白昼の東京都心を襲いました。前年から軍事工場を目標とした爆撃は始まっていたものの、未だ空襲の怖さを知らない都会の人々は曇天の冬空を物珍しそうに見上げていたといいます。この「銀座空襲」では日比谷から有楽町、銀座にかけての都心一帯の建造物が大きな被害を受けました。 被爆箇所のひとつが銀座線の銀座駅です。銀座四丁目交差点の西南側、鳩居堂ビルの前にある現在のA2出口の真横に爆弾が落下し、道路に大
元司法省幹部、太田耐造(たいぞう)氏(1903~56)。戦時下の統制に大きな役割を果たした一人の「思想検事」だ。その所蔵文書を国立国会図書館が公開し、近現代史の研究者らから注目を集めている。治安維持法改正の過程や「ゾルゲ事件」の資料も含まれ、通説が書き換えられる可能性もある。 太田氏は戦前の検察官。27年に東京帝国大学法学部を卒業、東京地裁検事を経て39年1月、司法省刑事局で思想問題を担当する第6課長に就任した。 41年の治安維持法改正では取り締まり対象の拡大や、再犯の恐れを理由に拘禁を続ける「予防拘禁制度」の導入に中心的な役割を果たした。また、右翼活動家が一部軍人と結んでクーデター未遂事件を起こした「神兵隊事件」や、独ソ戦開戦や日本の南進政策などの極秘情報を旧ソ連へ送ったスパイ、リヒャルト・ゾルゲの捜査にも関わった。戦時統制を担った「思想検事」として知られる。 42年9月には、旧満州国の
小学六年生のテスト問題です 90点取った!と喜んだ子供を凄いな!と父が喜んでいた場なのですが、問題を見て点数では無く、問題に怒りが吹き出しました! その次の問題の日本は人々の抵抗を軍隊でおさえ朝鮮を併合したも許せない!!!!! https://t.co/nE1phCaU17
藤岡事件よりさらに凄惨な虐殺事件がいくつも起きていた 「町送り」が引き起こした埼玉県内の朝鮮人虐殺事件 最初の集団虐殺「熊谷事件」 「町送り」で生き残った人々が皆殺しにされた神保原事件と本庄事件 藤岡事件よりさらに凄惨な虐殺事件がいくつも起きていた 先日、本ブログで、虐殺被害者の遺族が95年目にして初めて慰霊祭に参加した「藤岡事件」を取り上げた。 今の群馬県藤岡市で起きたこの事件は、現地に居住していた朝鮮人17名が、警察署内に保護されていたにもかかわらず、暴徒と化した周辺住民に引きずり出されて殺されたという悲惨な事件だ。 しかし、隣の埼玉県では、もっと凄惨な事件がいくつも起こっている。その一つが「本庄事件」である。 本庄事件は、藤岡事件の前日4日に、隣接する今の本庄市で起きた別の事件です。 事件の内容は、藤岡事件よりもっと恐ろしいものでした。 — バージル (@vergil2010) 20
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