そのうちの一つが、16世紀のイタリア人画家アレッサンドロ・トゥルキの絵画「聖母子」だ。美術品の略奪を監督していたナチスの役人が、占領下のポーランドから持ち出した数百点のリストの中に、この絵画も含まれていた。
この記事は前回からの続きです。 ●現代美術における引用と、歴史文化の「動員」 ●『歴史を描くこと ―絵画と、漫画や映像のストーリー芸術と―』というトークイベントをやります。 ●配布資料:古典画法油彩作品の断面図とテンペラの説明 近年戦争画に注目されて、アート界ではちょっとしたブームのようになりました。つい数年前までは「戦争画に興味あります」などと言おうものなら他のアーティストにドン引きされることもありましたが。 私は歴史画というテーマで取り組んできてますが、美術史においては歴史画というと、かつて「正史」を描くことを担ってきたと。正史とはつまり、王朝や国などが編纂し対外的に正統であると示す歴史であると。 これは最初の打ち合わせの時に速水螺旋人さんが仰ったんですが、「めちゃくちゃナショナリスティックな信条の作家がその歴史観でもって描いても、面白い作品が出来るなら凄いことじゃないのか」、と。後日
東京国立近代美術館の常設展「MOMATコレクション」では今、一部のコーナーを除いて全フロアーで戦後70年の特集企画≪誰がためにたたかう?≫を開催しています。 動物の争いにはじまり、国と国との争い、男女の争いや世代間の争いに至るまで、さまざまなテーマで“たたかうこと”について描いた作品を展観するというもの。 その数、実に200点! 今回特に注目されるのが戦争記録画の公開。東近美では近年、所蔵する戦争記録画を積極的に公開していますが、今回は一度の公開点数としては過去最多の12点の作品が展示されています。 [写真左より] 津田青楓 「ブルジョワ議会と民衆生活 下絵」 1931年、津田青楓 「犠牲者」 1933年 海老原喜之助 「殉教者」 1951年、田中忠雄 「基地のキリスト」 1953年 がんばってますよね、東近美。特別展もそうですが、企画力があるというか、アグレッシブというか、そうした取り組
東京国立近代美術館は9月、所蔵作品展「MOMATコレクション」にて、所蔵する全ての藤田嗣治作品を一堂に展示する「藤田嗣治、全所蔵作品展示。」を実施する。 2012年のリニューアルより、「何がおこってる」パート1、パート2(2013~2014年)や「誰がためにたたかう?」(2015年)など、豊富なコレクションを活かした質の高い所蔵作品展を実現し、各方面より高い評価を受けてきた同館。今展では、2フロア1500㎡以上を使い、初期の油彩「パリ風景」から「アッツ島玉砕」、「ラ・フォンテーヌ頌」など同館が所蔵する全25点に、京都国立近代美術館が所蔵する「タピスリーの裸婦」を加えた全26点を一堂に紹介する。 戦後、藤田が日本を去る要因となった戦争画は、これまでも同館の所蔵作品展で紹介されているが、全14点が一挙に展示されるのはこれが初めて。また、藤田自身が所蔵していた挿絵本や装丁本に、監督映画「現代日本
東京国立近代美術館では、戦争画、戦争記録画と呼ばれる作品を数多く所蔵している。日中戦争中、藤田嗣治をはじめ多くの画家が戦地に赴き、戦地の様子を書き留めた。そして聖戦美術展などの美術展が開催され、そこで戦争画が出品される。これは日米開戦後も続き、従軍してスケッチする以外にも、多くの戦争画が生み出された。詳しくはこのへんを読んでほしいけれど。 戦争画 - Wikipedia 戦後になり、このうち153点がGHQに接収されアメリカに運ばれたが、1970年に日本に、無期限貸与という形で返還された。必要に応じて修復が行われ、東京国立近代美術館に保管されている。その一覧はここから見ることができる 独立行政法人国立美術館・所蔵作品検索 上記のサイトから『戦争記録画』で検索すると東京国立近代美術館所蔵の全153点の情報が網羅でき、うち80数点については画像も確認できるようになっている。この153点について
1月23日(土)、NHKのBS20周年ベストセレクションとして2003年8月にハイビジョンスペシャルとして放映された「さまよえる戦争画―従軍画家と遺族たちの証言」が再放映され、これに対するコメントもその後に放送された。 戦争画には以前から興味を持っているので見ることにした。とくに2003年と2010年の7年間に戦争画に対する見方がどのように変わったかという点に注意して聴いた。 まず東京国立近代美術館(近美)にある153点の戦争画(わたしの作成した132点の展覧会別リストはこちら)のうち、2003年当時は6割が未公開であるということが紹介された。これは戦争被害を受けた近隣諸国に配慮しているからということだった。 この番組の企画は元戦争画家で戦後倶知安に引きこもっていた小川原脩が2002年8月に死亡する前に、「戦争画は全面公開すべき」という趣旨の手紙をNHKに送ったことからスタートしたようであ
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