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ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (5)

  • 女性専用車両について考えてみた: 極東ブログ

    ツイッターのタイムラインで今朝、千代田線で停車中の女性専用車両に男性数人が乗車してトラブルとなり電車が遅れたというニュースを知った。世の中、変な人はいるからなあと思ったのだが、どうやら、男性たちは意図的に乗車する行動によって、女性専用車両が性差別だからなくせ、という主張をしたいらしい。タイムラインを追っていると、そうした男性たちの行動に非難する意見が多いように見受けられた。 そのニュースを知ったとき私はあまり関心がなかった。世の中どこでも小競り合いは起こるものだし、おかしな示威行動をする人はいる。しかし、公共交通に迷惑をかけるような示威行動は好ましくないだろう……とぼんやり考えながら、しかし、示威行動というのは、フランスのストライキなどがそうだが、基的に社会に一定の迷惑をかけることでメッセージを伝えようとするものなので、迷惑をかけるから一概によくないともいえない。 しかし、市民社会の規則

    kowyoshi
    kowyoshi 2018/02/18
    屁理屈をこね回すだけの自称現実派はやはりダメだな
  • 石原慎太郎・東京都知事によるとされる「天罰」発言のこと: 極東ブログ

    石原慎太郎・東京都知事によるとされる「天罰」発言には、私には関心がなかった。今でもさして関心はない。理由は簡単で、この人の新しい失言から思想信条を考えるまでもなく、それなら、過去の失言で十分ではないかと当初思えたからだ。問題は、そうした思想信条が公的な立場である東京都知事としての行政に反映されているかなのだが、これまで都知事をされていて、特段に影響を見ないように思う。 今回の失言の顛末だが、すでに「言葉が足りなかった。撤回し、深くおわびする」(参照)と謝罪したとのことなので、政治的な決着は済んでいると言えるのではないか。人としても、「天罰」発言が失言であったと認めている(参照)。 とはいえ、当初の報道のされかたに私は奇妙な印象を受けた。これってきちんとした報道になっているのだろうか。そういう思いから、報道の資料としてブログに残して、それと自分がこの件で思ったことを記しておきたい。 大手紙

    kowyoshi
    kowyoshi 2011/03/17
    日蓮宗系の人たちはどう思ったのかなあ…学会以外の
  • 永田洋子死刑囚、死刑執行されず: 極東ブログ

    1971年12月から翌72年2月にかけて起きた連合赤軍事件で、殺人・死体遺棄罪などに問われ、1993年に最高裁で死刑が確定した元連合赤軍最高幹部・永田洋子(ながたひろこ)死刑囚が死亡した。多臓器不全とみられるらしい。65歳だった。誕生日は2月8日なので、あと数日の命があれば、66歳。 そのくらいの年齢で死ぬ人は珍しくはない。天寿を全うした部類と言えるのだろうかとふと思い、沈んでいた言葉にならない思いを見つめた。私が中学生のころの事件である。彼女は1945年生まれ、事件当時、27歳。アラサーと呼ぶには怒りそうな女子ですなというお年頃。 永田死刑囚は1984年7月に脳腫瘍と診断され手術を受け、その後も頭痛に悩み、2006年5月に東京八王子医療刑務所に移され、翌05年東京拘置所に戻されたが脳萎縮の状態だったらしい。そのころはいわゆる寝たきりの状態で意識もない状態だったのではないだろうか。 生まれ

  • 1リットルジュースを購入する際に「ストローはお使いなりますか」と聞かれる問題について: 極東ブログ

    世の中はそれと気づかぬ間に変わっていくものだ。白髪頭とか禿頭のように人生の半ばにじわじわと押し寄せる変化ではない。ふと小石につまづくようなもの。ありゃと思った刹那、蒼天がかすかに揺らぐ。おっとっとと六方を踏む。初めてじゃない。先日もちょっと、けっつまづいたっけ。そんな感じ。最初はさして気にも留めない。 看板のように妙に大きな月が浮かんでいる夕刻、コンビニでいつのも買い物をしたとき、たぶん新しいアルバイトなのだ、その少女が内気そうにうつむいて、「ストローはお使いなりますか」と僕にきいたときも、さして気に留めなかった。それが1リットルジュースに適用されるものであるなんて思いもよらなかったからだ。若い日に告げられた愛に気づかなかったように。 二度目には、はてと思った。三度目には、はてなと思った。それはもしかして、1リットルジュースに使うストローということなのだろうか。 チェーホフの短編の牡蠣の話

    kowyoshi
    kowyoshi 2011/01/26
    まあ、私は先に「ストローはいらないッス」と前振りしています/あと、文章そのものがなんか素敵
  • 赤塚不二夫のこと: 極東ブログ

    赤塚不二夫のことといっても、私は赤塚不二夫に面識はまるでない。赤塚不二夫の漫画を読んだ無名の一人というだけのこと。そこから思うことを少し書くというだけのことだ。昨日のエントリ「極東ブログ: [書評]これでいいのだ(赤塚不二夫)」(参照)の続きのような話なので、その2としてもいいのだが、ちょっと違うかもしれない。 赤塚不二夫が亡くなっていろいろな感想をメディアやネットで見た。私はあるズレを感じた。自分が何か正しい感覚を持っているというようなことではない。なんだろうこのズレの感覚はと自分を訝しく思った。ブログなどでタモリの弔文が賞賛されるのにも少しズレを感じた。弔文が悪いということではまったくない。それどころか畢生の言葉だろうと評価するし、タモリは見えないところで赤塚に尽くしていたに違いないとも確信している。 ズレの感覚を抱えながら、そこに一番近く触れるのは栗パパの昨日のワッサーステータス「赤

    kowyoshi
    kowyoshi 2008/08/09
    finalvent氏と立ち位置や世代が違うので、このエントリーにもどかしさというかズレを感じるが「それでいいのだ」。
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