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落語に関するmujisoshinaのブックマーク (7)

  • 「円生」争い新展開、鳳楽vs円窓に…円丈棄権 : ニュース : エンタメ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    伝統芸 <河村常雄の家元探訪>市川 團十郎(29) (5月26日) 市川流家元・市川團十郎は昭和60年4月1日、東京・歌舞伎座で3か月にわたる十二代目團十郎襲名興行の初日を迎えた。この月の出演俳優は総勢160人、「襲名口上」には六代目中村歌右衛門、二代目尾上松緑、七代目尾上梅幸、十七代目中村勘三郎、十三代目片岡仁左衛門ら戦後歌舞伎を支えた名優など役者47人が勢ぞろいした。20年ぶりに復活した新・團十郎の「勧進帳」「助六」に客席は沸きに沸く。空前絶後のこの襲名興行を起爆剤にして始まった歌舞伎ブームは、平成に入ってのバブル崩壊、近年のリーマンショックを乗り越え、今なお続いている。 ――私事で恐縮ですが、十二代目團十郎襲名の取材を機に読売新聞芸能部(現文化部)の演劇担当になりましたので、思い出深い襲名です。初日の記事を見ますと、團十郎さんは「気分はきょうの青空のように晴れやか」と楽屋入り、「歴代

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    mujisoshina 2010/05/28
    つか金フライデーで円丈の話を聞いたら、密室ではなくオープンに決めようと自分が尽力してきたのに、内密に遺族の後押しを取り付けて今更出てきた円窓に嫌気がさして、しらけてしまったという感じらしい。
  • asahi.com(朝日新聞社):円生襲名、三つどもえの争いに 弟子の円窓も名乗り - 落語 - 舞台

    円生襲名、三つどもえの争いに 弟子の円窓も名乗り2010年5月25日 三遊亭円窓三遊亭円丈三遊亭鳳楽 昭和の落語の名人、六代目三遊亭円生(えんしょう)の襲名を巡って、弟子の三遊亭円丈(えんじょう)(65)と孫弟子の三遊亭鳳楽(ほうらく)(63)が名乗りを上げている問題で、弟子の三遊亭円窓(えんそう)(69)が後継争いに加わった。円生の遺族の一部から襲名を促され、関係者の間での調整を続けているといい、17日に開かれた落語協会の理事会にも出席して経緯を報告。「調整が済んだらきちんとお話しする」としている。 襲名を巡っては円生の筆頭弟子だった故・五代目円楽が自らの筆頭弟子の鳳楽を七代目円生に指名。これに対して円生の直弟子の円丈も名乗りを上げて、3月には2人で「円生争奪杯」の落語会を開くなどしたが、結論は出ていない。円丈の兄弟子にあたる円窓は当初、鳳楽の襲名には反対していたが自らは立候補せず、争奪

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    mujisoshina 2010/05/26
    フジポッドつか金フライデーで円丈師匠は、順序から言えば円窓兄さんだから、兄さんが出るなら自分は退く、みたいな事を言っていたような気がするが、どうなのだろう。
  • 落語家の演目がダウンロードできる- |ニフティ寄席

    新進気鋭の二つ目 落語家の音声コンテンツを毎月4回配信!公開寄席への招待、オリジナルグッズのプレゼントなど特典多数。無料で試聴も可能です。ニフティ寄席の活動、お知らせを報告します。 2010年01月28日 ニフティ寄席をオープンいたしました!の活動報告・お知らせが追加されました 2010年01月28日 第三回 公開収録 出演落語家からのプレゼントの活動報告・お知らせが追加されました 2010年01月28日 ニフティ寄席 第三回 公開収録終了しました!の活動報告・お知らせが追加されました 2010年01月28日 くしゃみ講釈の演目ダウンロードが追加されました 2010年01月28日 紙入れの演目ダウンロードが追加されました 活動報告・お知らせを読む

    mujisoshina
    mujisoshina 2010/02/15
    落語家は50代でも「若手」だったりするが、本当の意味での「若手」の落語を聴ける。無料ポッドキャストから課金制になったが、月額315円を払う価値はある。
  • 星の王子様は苦笑いしながら昇天:日経ビジネスオンライン

    三遊亭円楽さんが亡くなった。 思い出すのは、小学校四年生の時、仲の良かった二人の同級生と共同出資して「笑点音頭」のレコードを買ったことだ。 立川談志と笑点メンバーが賑やかに歌う、楽しい歌だった。 レコードは、どこに行ったのかわからない。 共同出資者の一人であるAの手元にあったはずなのだが、彼は十年ほど前に死んでしまった。もう一人の同人(われわれは、3人の共同名義で「ハッタリ新聞」という個人紙を発行していた)も、二十年ほど前に亡くなっている。 だから、細かいことは藪の中だ。ハッタリ新聞も四十年以上休刊状態にある。 「笑点音頭」」を検索してみると、ニコニコ動画に同名のコンテンツがある。サルベージして聴いてみると、どうも記憶と違う。 「笑いのポイント 笑点だい ソレ」 「アリャリャンコリャコリャ イモ買いな」 「鬼婆屁した ソレ エッヘラヘと笑え」 ……私はこの歌を知らない。 ♪はーるはイヤだね

    星の王子様は苦笑いしながら昇天:日経ビジネスオンライン
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    mujisoshina 2009/11/13
    スイーツ(笑)的に、『星の王子様(笑)』とか書いたら良いかもしれない。
  • 【円楽さん死去】『よぅ、あの世にいくよ』 言葉失う「笑点」メンバー (1/2ページ) - MSN産経ニュース

    円楽が「笑点」降板笑顔で司会からの卒業を表明した三遊亭円楽さん(下列中央)と、新加入の春風亭昇太(後列右端)ら大喜利メンバー=東京・水道橋の後楽園ホール【撮影日:2006年04月】 「江戸っ子らしい亡くなり方。『よぅ、あの世にいくよ』。そんな感じで…」 弟子の好楽さん(63)は、そう振り返った。円楽さんは25日に急に体調を崩したという。 信念の人、だった。テレビやラジオで人気者になったが、師匠に「芸が荒れた」と注意されると番組をすべて降板。5年間、高座に集中して芸を磨いた。 真打ち制度のあり方に異議を唱え、師匠とともに落語協会を脱退。その後の一門会を率いた。一門会が約40人の大所帯になったのは、信望を集めたゆえだ。 脳梗塞(こうそく)で倒れたのは平成17年。長く司会を務めていたテレビ番組「笑点」の司会を勇退した。高座復帰を目指して19年2月、国立名人会に臨み、十八番の古典「芝浜」を演じたが

    mujisoshina
    mujisoshina 2009/10/31
    『十八番の古典「芝浜」を演じたが、「だめだった。恥はさらせない」と引退宣言』 芸への厳しさと美意識を感じる見事な引き際だった。/その美意識が師の死後も落語協会復帰を潔しとしなかったのかもしれない。
  • 三遊亭円楽さんが死去…76歳肺がんで : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    テレビ系の演芸番組「笑点」の司会などで知られた落語家の三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく、名・吉河寛海=よしかわ・ひろうみ)さんが、29日午前8時15分、肺がんで亡くなった。76歳だった。 東京都台東区の寺に生まれ、1955年に六代目三遊亭円生に入門。全生を名乗り、58年に二つ目、62年の真打ち昇進と共に五代目三遊亭円楽を襲名した。 端正な顔立ちと博識で人気を得て、60年代の演芸ブームでは立川談志、古今亭志ん朝、橘家円蔵と「寄席四天王」と呼ばれた。78年に円生とともに落語協会を脱退、翌年の円生の死後も一門を率い、円楽一門会の名で活動を続けた。 また、テレビ番組に積極的に出演し、「笑点」は初回から参加。いったん落語に専念するが、82年に司会者となり、2006年5月に勇退するまで、老舗番組の看板として活躍した。 晩年は、腎不全、脳こうそく、胃がんなどの病気と戦い、07年には落語家を引退。

    mujisoshina
    mujisoshina 2009/10/31
    笑点では親しい間柄であるほど際どい悪口雑言の応酬がある。一番悲しんでいるのは歌丸であり楽太郎なのだろう。
  • asahi.com(朝日新聞社):三遊亭円楽さん死去 古典落語の第一人者、笑点で人気 - おくやみ・訃報

    落語家の三遊亭円楽さんが29日、肺がんで亡くなった。76歳だった。

    mujisoshina
    mujisoshina 2009/10/30
    全盛期の噺を聞いてみたかった。落語に興味を持つのが遅すぎたのが悔やまれる。
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