3万以上の人生のストーリーがあなたを待っています!投稿者は10代から80代まで。職業も、学生、主婦、声優、ホスト、起業家、映画監督、大学教授などバライエティ!あの『ビリギャル』も、STORYS.JPから生まれました。
The computing industry progresses in two mostly independent cycles: financial and product cycles. There has been a lot of handwringing lately about where we are in the financial cycle. Financial markets get a lot of attention. They tend to fluctuate unpredictably and sometimes wildly. The product cycle by comparison gets relatively little attention, even though it is what actually drives the compu
黒澤はゆまの歴史上の女性に学ぶシリーズ、第4話はアステカの悪女、マリンチェです。姫として産まれたのに母親に奴隷として売られてしまった彼女は、好色な男性の元を転々とするうちに人心掌握術を身につけます。男性の懐の中から世界を滅ぼしたマリンチェ。彼女は何を思い、生きたのでしょうか。(編集部) 姫として生まれ、奴隷になった 「こんな世界滅んでしまえ」 女性にばかり、不公平と理不尽を強いられる毎日のなかで、そう願ったことはないでしょうか? この願いをまだ20歳にも満たない少女がかなえたことがあります。 その名はマリンチェ。 彼女は西暦1502年、南米のアステカ(現在のメキシコ)で生まれました。父親はパイナラという街の王で、マリンチェはお姫様として、蝶よと花よと育てられるはずだったのですが、幼い頃に父が死んだことから運命は狂い始めます。 別の男と再婚した実母は、娘がうとましくなり、隣国のタバスコにマリ
ここ最近徳島新聞で、「青い目の人形」のことが紙上を賑わしています。これは徳島県立博物館で開催されている、徳島平和ミュージアムプロジェクト「海を渡った人形と戦争の時代」という特別企画に関連した記事です。 現在神領小学校に保存されている青い目の人形アリスちゃん。NPO法人グリーンバレーの大南理事長が「阿波の神山から世界の神山」を目指す活動の原点ともいえる人形です。 大正の末期から昭和初期にかけて世界恐慌がおきました。そのときアメリカで日本人移民の排斥運動がおきました。それを憂えた親日家のギューリック博士が日本に平和と親善のため人形を贈ろうではないかと全米に提唱しました。この呼びかけが通じて12,379体の人形が集まり、はるばる太平洋を越えて日本にやって来ました。 横浜の港に着いた人形は、当時の閣僚たちが参列して盛大に迎えられました。そして、日本全国の幼稚園や小学校に配られました。アメリカから来
創業特区の福岡市のベンチャーで、隆盛を極めるのがWebマーケティング系とモバイル系。 中でも、モバイルコンテンツとアプリケーションのサービスをおこなうエニセンスは、成長株として注目されている。代表取締役の熊谷昭彦氏は、スマホ前夜のガラケー時代からモバイルコンテンツプロバイダとして起業したベテラン。盛衰の激しいモバイル業界で何度かのピボットをおこない生き抜き、成長を遂げ世界に進出しようとする。その根底にあるビジョンをうかがった。 ガラケー戦国時代を生き抜いて 株式会社エニセンス 代表取締役 熊谷 昭彦氏 —ガラケー時代からモバイルコンテンツ・プロバイダとして起業されて、モバイルの激変の波をくぐってこられました。今、スマホアプリでは海外にも進出されています。持続と成長を支えてきた経緯についてうかがえればと思います。 個人的には、大手電機メーカーで携帯のiモードの開発をしていた時代からつながって
ジャパネットたかたの名物ともいえる高田元社長が最後の出演だという。 そんなニュースを仕事中に見てしまい、まったく仕事が手に付かなくなった。 昨年社長をやめて、「高田社長」は「高田さん」と呼ばれるようになった。 大学時代、朝起きるのがつらくて授業をとらずにジャパネットばかり見ていた僕としてはあまりにさびしい呼ばれ方だった。 調べると最後の放送は30時間生放送だという。そんな無茶な・・・。 急いで家に帰ったのが20時半。テレビを点けるともうすごいことになっていたのです。 地上波編 21時までは高田社長の地上波最後の出演。 ラジオショッピングは26年、テレビショッピングは21年、テレビには10万回は出たとのこと。すごい。 地上波の視聴者に最後の挨拶をして、つつがなく終了。 ここまでは嵐の前の静けさだったのです。 CSに移してゲスト登場 ここから0時まではCSのジャパチャンDX、またはインターネッ
中世の「金儲けの悪知恵」とは 「楽していっぱい儲けたい」のは人類の永遠の夢であります。 世界史はそんな詐欺師が掃いて捨てるほどいるし、今でも「秒速で数億稼ぐ」とかうそぶくペテン師がもてはやされてしまうのですが、そういう強欲な連中はたいていそれ相応の十字架を背負うものです。一瞬で破産したり、不正取引で逮捕されたり、ライバルとの抗争の挙句殺されたり。 人自身はまったく発達しないわけですが、そのような「強欲さ」がテクノロジーやシステムを発達させてきたことは事実で、 本日のテーマである「為替取引」もそんな中世ヨーロッパ商人の「楽していっぱい儲けたい」思いから発展したものであります。 1. 「利子を取ることは神に対する罪」 1-1. 商業技術の発達 近代資本主義を支える様々な商業技術、例えば銀行や保険、簿記、会社などはルネサンス期の北イタリアで誕生しました。 互いにライバルだったフィレンツェ、ベネツ
あの頃も今も、コンピュータは楽しい機械です。仕事でも趣味でも、コンピュータとともに過ごしてきた読者諸氏は多いことでしょう。コンピュータ史に名を刻んできたマシンたちを、「あの日あの時」と一緒に振り返っていきませんか? 最初はやっぱりコレでしょう。国民機と呼ばれたNEC「PC-9801」 本コラムの第1回、どの名機を取り上げるか悩みましたが、やっぱりコレは外せませんよね。NECの「PC-9801」です。 1982年(昭和57年)10月13日、日本電気(NEC)と新日本電気(NECホームエレクトロニクス、2001年2月解散)は、16ビットパーソナルコンピュータ「PC-9801」を発表しました。16ビットの夜明け、後に日本の国民機とまで呼ばれた「PCキューハチ」の誕生です。 搭載していたCPUは、インテル「i8086」コンパチブルの「μPD8086」でクロックは5MHz、RAM(メモリ)128KB
昨年「米InterActiveCorp(IAC)によるエウレカの買収」というニュースが流れ、スタートアップ界隈を賑わせた。 エウレカは、スマートフォン市場を中心に事業を展開するスタートアップだ。Facebook認証を利用した恋愛・婚活マッチングサービス「pairs」、続いてリリースしたカップル向けコミュニケーションアプリ「Couples」ともに現在、会員数300万人を突破している。 一見、華々しい飛躍をみせているように思えるエウレカだが、ここに至るまで決して順風満帆ではなかった。「創業してからの3年間は、もうホント、一番辛い時期でしたね」と話すのは、株式会社エウレカ代表・赤坂優さん。当時を振り返り、「でも、当時がなかったら今もないんですよね」と笑う。 赤坂優さん: エウレカの場合、最初からメインとなるサービスありきで起業したわけではありません。当時、僕は26歳。知識も経験値も足りず、「さて
<1>アダルトビデオ界の大物は、どんな男なのか <2>アダルトビデオで儲かるのは「販売」ではない 亀山敬司がアダルトビデオ(AV)の世界から本格的に打って出たのはここ10年ほどである。「デジタル・メディア・マート」の略称である「DMM」を新たな旗艦ブランドに打ち立てて、それを前面に押し出したテレビCMの放映を大々的に始めた。そして、2008年には200億円の大台を突破した潤沢な内部留保を、新規事業に惜しみなく投資した。DMMの名が一般のビジネス界で強く意識されだしたのは2009年に買収したFX(外国為替証拠金取引)事業の躍進からと言えるだろう。 今の亀山はどちらかと言うとベンチャーキャピタリストに近いかもしれない。4年前からは「亀チョク」と呼ぶ仕組みを始めた。起業家らアイデアを持った人間を業務委託的に雇い、実働部隊と資金を与えて存分に働いてもらおうとの試みだ。 「50歳にもなるとアイデアが
<1>アダルトビデオ界の大物は、どんな男なのか <3>アダルトビデオ界の大物が切り拓く"新境地" 亀山敬司が今日に到る飛躍を成し遂げたきっかけは、人気映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」シリーズをふと観たことだった。 〈ビデオはなくなり将来は電波か何かでいつでも映画が観られるようになるんじゃないか〉 高校生がタイムマシンに乗って過去と未来を行き来するというハリウッド仕立ての斬新なSFストーリーを観て、亀山は直感したという。 〈それでも、メーカーなら生き残れるのでは〉――。 亀山はそう考え、部下をひとり、東京に行かせた。すると、映画はとても無理だが、アダルトビデオ(AV)なら1本100万円で制作できるという。1990年、29歳になったばかりの亀山は「北都」を設立し、AV事業に乗り出した。 倒産が頻発する問屋対策のための販売方法 当初狙ったのはレンタルだ。が、「アリスJAPAN」など強豪に
ミニストリー・オブ・サウンド(Ministry of Sound、以下MOS)はイギリスの南ロンドンにあるクラブ。1991年オープン。サウンドデザインは1987年に閉店したNYのパラダイス・ガレージのDJプロデューサーであったラリー・レヴァンが担当した。MOSはラリー・レヴァンによる1991年型パラダイス・ガレージである。オープン当初はパラダイスガレージと同じように、クッションでごろ寝して見るミニシアターも設置されていた。オープニングパーティーのDJはラリー・レヴァン自身がプレイした。ターンテーブル周り及びアンプやその他の機材のダンスフロアの大音量による振動対策のため、パラダイス・ガレージと同様に、ダンスフロアと隣り合わせになった2階の別室にDJブースが設置されていた。オーディエンスからDJの姿がよく見えないとのことから、1992年に別室のDJブースは撤廃し、ダンスフロアと同じ部屋にDJブ
「ミクシィ」の創業者である笠原健治氏。1990年代のインターネット黎明期から数々のサービスを構築してきました。現在は、新規事業の責任者としてアプリの開発を中心に、次のヒットサービスを生み出すべく奮闘中です。ご自身がどうやってサービスに向き合ってきたか、そしてこれからのWeb業界で、どんなキャリアを構築していくべきかについて語っていただきました。 「キャリア」はあまり意識しておらず ────学生時代に起業し、転職サイト「Find Job !」を立ち上げられました。学生時代はどのようなキャリア構想があったのでしょうか。 笠原 正直、自分のキャリアについて、強く意識したことはないんですよ。 ────えっ、そうなんですか。意外な気がしますが・・・。 笠原 様々なビジネススキルを磨くというよりも、どうすればサービスを拡大させることができるかという意識が強かったですね。まわりにネットを使いこなして
そろそろ年内IPOもでそろった感ありますが、昨日はソーシャルワイヤーに上場承認が降りました。最近では加藤ポールさんがいろいろ手伝ってるのをSNSで見かけていましたが、ついに上場。 ソーシャルワイヤーはかつて未来予想という社名でした。その頃は別の事業をやってた記憶がありますが、現在はプレスリリース配信などの「@Press」、世界中でインキュベーションオフィスを展開する「CROSSCOOP」が主軸。この二つの事業は買収したもので、なかなか面白い展開だなぁと。 「@Press」は元々はミクシィが始めた事業。そして「CROSSCOOP」の源流はアップステアーズという会社のインキュベーション事業。アップステアーズは2004年にネットエイジキャピタルパートナーズ(NCP)に買収されたのですが、そのタイミングでアップ社代表の金子さんがネイットエイジ入りし、現在ユナイテッドの代表という流れ。ちなみにアップ
この記事はギークハウス Advent Calendar 2015の21日目です。 昔話発端は、はてなついったー部だったように思う。 そこで見つけたはてな村の住人をtwitterでフォローし、他愛ない会話を交わし、オフ会に参加するようになった。 そのころ、僕は川崎で独り暮らし&フリーランス技術者をしていたのだけれど、とても安いアパートに住んでいたため、隣人の女性が夜中に頭を壁にぶつけながら泣いてたり、毎晩セックスしながら老人カップルが喧嘩していたりして、アパートに独りでいるのがとても辛かった。 そのころ読んだエントリがこれだった。 結婚したいわけじゃないけど一人暮らしはもう飽きたって人っていっぱいいるよね、って話。 はてなシェアハウスを構想する - phaの日記 そう、飽きてたし、疲れていたんだ。 なので、家で仕事しながらシェアハウスできるといいなあ、位の感覚で知り合いに話をして、向ヶ丘遊園
前にサイバーエージェントの事業別売上推移を調べたことがあるのですが、いくつかの会社の今と昔の事業別売上構成をちょっと見てみました。 いろいろと感じることがありますね。 ※上の図を一つの画像にしたものを置いておきます。 http://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/16eece67be4dede549c94572c14948fd/1449826715
1990年代のイギリス映画を代表する作品に『トレインスポッティング』があります。これはスコットランドのエディンバラに暮らす薬物中毒やアルコール中毒といったろくでもない老若男女の日常をスタイリッシュに切り取った物語です。主演はユアン・マクレガー、あとは僕の愛するロバート・カーライルなど。監督はダニー・ボイル、原作はアーヴィン・ウェルシュ。ここに挙げた四名すべてスコットランド人。そんな素敵な映画です。 ところでこの「トレインスポッティング」というタイトルはしばしば謎を呼んできました。いったいどんな意味なのか、外国人である日本人だけではなく、当のイングランド人やスコットランド人にもよくわからない。当然、もっともらしく書かれている日本語のネット上のソースも、全て間違っているか、もしくは間違ってはいないけど正しくもない、そんなものしか見つかりません。 まず、大前提として、トレインスポッティングの辞書
バーグハンバーグバーグ代表・シモダテツヤが、自分と同じ“社長”に話を聞きに行く企画。今回は家入一真さんと佐藤健太郎さんにお話を伺いました。 三人はpaperboy&co.(現GMOペパボ)で共に働き、現在はそれぞれの道で社長になったという関係。 実はケンカしていた?実は言いたいことがあった?起業家として経営者として、あの頃を振り返ってもらいました。 (左)佐藤健太郎、(中)家入一真、(右)シモダテツヤ バーグハンバーグバーグ代表・シモダテツヤが、自分と同じ“社長”に話を聞きに行くこの企画、今回は家入一真さんと佐藤健太郎さんを迎え、対談形式でお話を伺いました。 三人はpaperboy&co.(現GMOペパボ=以下ペパボ)で共に働き、現在はそれぞれの道で社長になったという珍しい関係。 当時の自分たちを振り返りながら、社長という立場についても語ってもらいました。 家入一真 1978年生まれ。20
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く