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ブックマーク / reki.hatenablog.com (129)

  • なぜイランではイスラム宗教学者が権力を持っているのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    宗教学者が政治に介入するようになった経緯 ご存知の通り、シーア派の大国イランではウラマー(イスラム宗教学者)の権威が非常に高く、世俗の長である大統領の他に「最高指導者」という職があり高位のウラマーが就くことになっています。 ただし、当であればウラマーではなく、イマーム(信者共同体の最高指導者)が国を治めるべきとされています。しかし最後のイマームであるムハンマド・ムンタザル(マフディー)が9世紀にどこかに「お隠れ」になっている現在、ウラマーが国を代理で治めるという発想です。 しかしどこまでウラマーが法制定や世俗の統治に関与すべきか、宗教学者同士の長い議論があり、現在の政体が生まれたのです。 1. ホメイニ師のイスラム革命 現代のイラン・イスラム共和国は、 1978年のイラン・イスラム革命によって前王朝パフレヴィー朝を打倒してできた政体です 石油利権によって莫大な富を得たイランは、国王モハン

    なぜイランではイスラム宗教学者が権力を持っているのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-
    take--chan
    take--chan 2018/03/22
    「後継者である12人のイマームの「伝承」を参照」って聖書の福音書に近い気もしますが、民衆が自分の考えを持つ近代ヨーロッパと、全て神に委ねるムスリムは大きく考え方が違うので、結果も異なってくるのですね。
  • 小さなミスがきっかけで起こった大きな事件 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    ちょっとしたミスで起こった大騒ぎ ミスは世の中に溢れています。 注意散漫でボケーとしている時に起こりやすいですが、注意していれば防げるというものではなく、集中していても起こるときは起こるものです。 電車に乗り間違えた、とかシャツを表裏逆に着ていた、とかいうレベルであればいいですが、例えば発注個数の桁数を間違えたとか、ブレーキと間違えてアクセルを踏んだとか、目も当てられない災害を起こすミスもあります。 そして歴史上はそんなミスでとんでもない大騒ぎが起こったこともありました。 1. コンマの打ち間違いで100万ドルの税収を失う(アメリカ) 誤って関税撤廃が果物にも適応される 1872年6月6日、アメリカ政府は関税法を改訂し、国内の栽培を目的とすること限定で、熱帯と亜熱帯の果物植物の輸入関税を撤廃しました。 担当者は発令文書で、 「耕作栽培の目的で、熱帯、亜熱帯の果実植物(“fruit-plan

    小さなミスがきっかけで起こった大きな事件 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
    take--chan
    take--chan 2018/03/02
    5番目は実際に歴史を変えてしまったミス、6番目は歴史を書き換えかねなかったミス、いづれも背筋が凍ります。今でも人間はこんな危ういシステムの上で生活しているのでしょう。
  • 日本軍による占領がフィリピン社会に与えた根深い問題 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    悪い意味で何も変えなかった日軍のフィリピン占領 太平洋戦争とその影響が語られる時、日の社会や政治体制、人々の心の面がどう変わったか、あるいは変わっていないか、という面にフォーカスが当たる傾向が多いように思います。 それはそれで大事なのですが、日がおっぱじめた戦争が、他の国々にどれくらい大きな影響を与えたかという視点で語られることはあまり無いように思います。 あっても、「アジア解放に多大な貢献した」とか「住民を殺したり強姦しまくった」みたいな物事を単純化した見方ばかりです。 さて、日軍のフィリピン占領は、実際のところフィリピン社会の土台を揺るがすような変化を何も起こすことはありませんでした。一方で戦後フィリピンの国の選択肢を狭め、国の有り様を決定づける結果になりました。 1. 仮想敵国・日 フィリピンは1901年からアメリカの植民地になっており、当然アメリカの影響力が最も大きかった

    日本軍による占領がフィリピン社会に与えた根深い問題 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
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    take--chan 2018/02/26
    太平洋戦争開戦後に占領されたフィリピンやインドネシアでは、占領政策が生きていた期間が実質1年ぐらいなので、成果が出ることは無かったのだと思います。インドネシアは終戦後の日本人の活躍がありましたが。。
  • 中世東南アジアの大国・マジャパヒト王国の歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Work by Gunawan Kartapranata 東南アジア島嶼部分の多くを支配した大帝国 現在のインドネシアは様々な民族や宗教が混在する多民族国家で、ジャワ人・ムスリムが主導する政府に対する反発や独立運動も少なからず存在します。 インドネシアの国土はオランダが支配した「蘭領東インド」が母体になっており、そのオランダを追い出した反帝国主義イデオロギーがになっているのですが、古代には現在のインドネシア国家に匹敵するほどの影響力を持った王国がありました。それがマジャパヒト王国です。 1. クディリ王国の崩壊とシンガサリ王国の成立 クディリ王国の崩壊 マジャパヒト王国を始めジャワ島東部に興った王国は、ブランタス川流域の農業力を基盤として国力を蓄え、ジャワ海を通じて海上交易に乗り出すという特徴を持っています。 9〜13世紀に東ジャワに拠点を持ったクディリ王国は、西ジャワやマラッカ海峡へ進出

    中世東南アジアの大国・マジャパヒト王国の歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
    take--chan
    take--chan 2018/02/08
    過去、現在のインドネシアに近い広大な版図を得た国があったことは知りませんでした。でも多民族ゆえなのか、よほどの利益・権益がないと持たないのですね。今もその構造は変わっていないように思えます。
  • 有名な10枚の「未完の絵」とエピソード - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    完成した作品よりも心惹かれる未完の絵の数々 当たり前の話ですが、絵は完成して初めて世に出て、売られて、飾られるものです。 ですがどういうわけか、未完の絵にも関わらず、世に出て評価され、高値で売られているものもあります。 今回はなぜこれらの絵は未完で終わったのかとそのエピソードを見ていきたいと思います。 1. 「東方三博士の礼拝」レオナルド・ダ・ヴィンチ 飽きっぽいダ・ヴィンチによって途中で放棄された絵 レオナルド・ダ・ヴィンチはかなり飽きっぽい性格だったようです。 彼の天性の才能は誰もが認めるところでしたが、とにかく筆が遅く、しかも一旦興味を失うといかに大きなプロジェクトでも放棄してしまう。依頼主からしたら相当扱いづらい男でした。 上記の「東方三博士の礼拝」は、イエスの誕生を星の知らせで知った東方三博士が、ベツレヘムのイエスを尋ねて礼拝をする聖書の逸話で、歴代の画家たちによって数多く描かれ

    有名な10枚の「未完の絵」とエピソード - 歴ログ -世界史専門ブログ-
    take--chan
    take--chan 2018/02/05
    未完の画と一言で言っても、それぞれに独自のエピソードがあって面白いです。
  • 北元の歴史 - 元王朝がモンゴル高原に撤退して以降 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Al Jazeera English 明朝成立後も約280年モンゴルで続いた元朝 1368年、元朝の順帝(トゴン・テムル)は明軍に追われて都の大都(北京)を脱出し、北方に逃れました。 これをもって華北は再び華人の天下となったのですが、北に逃れた元朝はその後も健在で、しばしば華北に攻め入り、明皇帝・正統帝を捕虜にする(土木の変)など、北方から明を脅かし続けました。 1636年、後金国のホンタイジが諸部族から「モンゴリアの支配者」の称号を推挙され、後金が清朝に変更したことで元朝は正式に消滅しました。 そのあいだの280年間の元朝の歴史を見ていきたいと思います。 1. モンゴル高原に撤退した元王朝 Image by Khiruge フビライ・ハーン家の王位断絶 北方に逃れたトゴン・テムルは2年後に死亡。 長男アユルシリダラと次男トクス・テムルは華北の回復を目指し、明と軍事対立を

    北元の歴史 - 元王朝がモンゴル高原に撤退して以降 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
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    take--chan 2018/01/18
    北元の逃げ先がサマルカンドだったことが興味深い。アジアの版図は各民族が自立している意味で、明朝時代が一番安定していた気がする。今の中国が目指す大清最大版図は中国としては大きすぎる気がします。
  • 国の擬人化キャラクターの女の子13名 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    最も美しい国の擬人化キャラはどれだ 自分の国に特徴的なキャラクターを設定してカリカチュアに描くことがあります。 日だとサムライの姿で描かれたりしますが、名前やビジュアルに固有のものがあるわけではありません。 特にアメリカとヨーロッパの国に多いんですが、自分たちの国の歴史文化、国土を擬人化し名前をつけて表現し、しかも美しく若い女性の姿として描きます。今回はそのような「美人キャラ」をピックアップしてみます。 1. バラート・マタ(インド) Photo by Gautam Beera ヒンドゥー・ナショナリズムを神の形に現したもの バラート・マタはインドの国土の女神とされており、通常インドの国旗を手に持ち、側には獅子が控えています。その顔はヒンドゥーの神ドゥルガーやパールヴァティと類似しています。 バラート・マタの起源は19世紀末、反英・インド独立の機運の中で創られた文学や演劇・詩にあります

    国の擬人化キャラクターの女の子13名 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
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    take--chan 2018/01/16
    マリアンヌのことをずっとジャンヌ・ダルクだと誤解していました。正しい知識が得られて良かったです/日本だったらさしずめ天照大神なんでしょうかね。
  • ボーア戦争(3)- 英軍の焦土戦とボーア軍のゲリラ戦 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    手段を選ばないイギリス、ゲリラ化するボーア 20世紀前半に南アフリカの地で起こったボーア戦争のまとめ、最終回です。 ボーア国家であるトランスヴァール共和国とオレンジ自由国の地下資源の独占を狙うイギリスは、両国に武力を含む露骨な干渉を続け、とうとう1899年10月に第二次ボーア戦争が勃発。 初戦は地の利のあるボーア側が戦いを有利に進めますが、次第に物量に勝るイギリス軍がボーア側を圧倒していくことになります。前回の記事はこちらをご覧ください。 追い詰められたボーアはゲリラとなり、戦争は泥沼化していくのです。 8. イギリス軍の立て直し キンバリー包囲解除 年が明けて1900年になったものの、依然としてレディースミス、キンバリー、マフェキングはボーア軍によって包囲されていました。 また、英領ケープのオランダ系住民、通称「ケープ・ダッチ」軍の一部もボーア側で参戦を始めており、ケープ・ダッチの大軍が

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    take--chan 2018/01/11
    焦土戦のくだりで、ベトナムのナパーム弾、ボール爆弾、日本での無差別空襲を思い出してしまいました。悲惨な戦争は資本家の強欲ゆえに、繰り返されてしまっています。
  • ボーア戦争(1) - ボーア国家の成立と南アの覇権争い - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    イギリスの飽くなき野望が生んだ懊悩たる戦争 ボーア戦争と言えば、イギリスが豊富な金やダイヤモンド鉱脈を持つ南アフリカを自らの領土とすべく、オランダ系住民が建てたトランスヴァール共和国やオレンジ自由国を打ち倒した戦争として、高校の世界史でも学びます。 ですが、世界史的文脈で言うと、ボーア戦争こそ半世紀後に訪れる大英帝国の瓦解を予知する出来事であり、帝国の矛盾が露出し様々な反戦運動が巻き起こった一大事件でした。ボーア戦争にこそ20世紀で起こる様々な悲劇の兆しがあり、なぜこの悲劇を我々人類は見逃してしまったのかという意味で、再び学ぶ価値のある事柄と思います。 PR 英領ケープの成立とグレート・トレック(大移動) 1806年、イギリス軍がケープタウンを占領し、約5,000名の植民者が入植しました。 イギリスはケープタウンの支配を進め、人道的観点から「黒人奴隷の解放」を宣言。ボーア人の農業経営は大き

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  • ボーア戦争(2)- 第二次ボーア戦争の勃発、苦戦する英軍 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    地下資源を巡る利権争いから第二次ボーア戦争勃発へ 完全独立を要求する南アフリカのボーア人(アフリカーナー)と、ダイヤモンドなどの地下資源の独占を狙うイギリスの戦いの歴史です。 イギリスの支配を嫌がり北に逃げたボーア人ですが、南アフリカ全土の支配を目論むイギリスは強制的にトランスヴァール共和国の併合を宣言。第一次ボーア戦争が勃発します。戦争トランスヴァールの勝利に終わりますが、講和はイギリスの勝利に終わった形でした。前回の記事はこちらからご覧ください。 その後南アフリカの地を巡る利権争いは激化し、とうとう第二次ボーア戦争が勃発するに至ります。 4. 金鉱脈の発見 1886年、トランスヴァール共和国・ヨハネスブルグ西方の町ラントで世界有数の金鉱脈が発見されました。 すぐに多くのゴールド・ハンターが流れ込み、ゴールドラッシュがスタート。ボーア系住民も7,000人がラントに移住しますが、イギリス

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    take--chan 2018/01/09
    20世紀前半の「ベトナム」という表現は言い得て妙。姑息な腹黒紳士の典型的悪行だと思います。
  • 「気骨」のある世界の平和主義者7人 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    平和の必要性を覚悟で示した骨のある平和主義者 現代の日で平和主義者と言えば、現実を見ずに理想ばっかり言ってるみたいな感じで、ネットでは特に批判されることが多いです。 ぼくもどっちかというと現実主義者なので、平和主義者の考えにはちょっとついて行けないなと思うことはあるのですが、例え現実的じゃなくても、命を賭けて行動で示す平和主義者がいたとするならば、賛同できなくてもその行動自体は賞賛されるべきものであると思います。 今回は平和のために命を捧げた「気骨のある平和主義者」を紹介します。 1. ディートリヒ・ボンヘッファー 1906-1945(ドイツ) ヒトラー暗殺に関わり処刑された天才神学者 ディートリヒ・ボンヘッファーは少年時代から神学に関心を持ち、テュービンゲン大学とベルリン大学で学び神学博士号を取得。アドルフ・フォン・ハルナック、カール・バルトら同時代の神学者の強い影響を受け、またマハト

    「気骨」のある世界の平和主義者7人 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
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    take--chan 2018/01/02
    自分の信念に殉じる覚悟ができている人は、主義主張がどうであれ、尊敬します。
  • なぜロシア人はキリスト教を受け入れたのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Work by Moataz1997 ロシアがイスラム教を受け入れなかったのは酒が原因…? キエフ公国のウラジミール大公がルーシにイスラム教を取り入れることを良しとせず、キリスト教(正教)を受け入れたきっかけとなる有名なお話があります。 ウラジミール大公の元にあるムスリムが現れ、多神教信仰を棄ててイスラム教に帰依するように訴えた。その教えは大変魅力的で、大公は乗り気だったが、ムスリムになったら「豚と酒が禁止される」ことを聞いてこう言った。 「ルーシは酒を飲むことが楽しみなのだ。酒なしには生きている甲斐がないのだよ…」 そうしてウラジミール大公はイスラム教ではなく、酒が許される正教の導入を決定したのだった。 実はこれ以外にもウラジミール大公と様々な宗教使者のエピソードが色々あり、どれも半ばネタじみて作り話っぽい感じで、当かどうか分かりません。 ルーシ国家は伝統的に南のアッバース朝との中継交

    なぜロシア人はキリスト教を受け入れたのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-
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    take--chan 2017/12/21
    不勉強にも、中世の最大の交易品がスラブ奴隷って初めて知りました。ちょっと調べるとそもそも英語の奴隷の語源ってスラブ人なんですね。戦国時代には日本人奴隷もいたとか。
  • 世界の「短命国家」の国歌かっこいいランキングTOP10 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    カッコイイ短命国歌の国歌を聞いてみよう 国歌が好きです。 「国の歌」ですから、その国の国民がおおよそ納得できるものに仕上がっているはずで、(基的には)その国の歴史文化が集約されているものであるからです。 そして、歴史も何も、成立してすぐにぶっ潰れてしまった国にも国歌はあったはずで、これからの国の発展に希望を託したにも関わらず、願い叶わなかったところに哀愁を感じます。 今回は独断と偏見で、世界の短命国家の国歌ランキングTOP10を発表したいと思います。 それではいきます。 10位. ビアフラ共和国(1967年〜1970年) www.youtube.com 悲劇の国家の単調な国歌 ビアフラ共和国は、現在のナイジェリアの東部州に住むキリスト教徒が、北部のハウサ族が主導を握る中央政府に抵抗して独立したもの。 すぐにナイジェリア軍が反攻を開始し、2年半でビアフラ共和国の臨時首都オウェリは陥落。ナ

    世界の「短命国家」の国歌かっこいいランキングTOP10 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
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    take--chan 2017/12/12
    短命国家ってアフリカに多いのですね。やっぱり列強が無理やり国境線を引いたのでそこここに歪みがあるのでしょうか。アフリカの土着音楽的な国歌が素敵です。
  • 大日本帝国の朝鮮人移民と移民政策 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    100年前に既に起きていた日の移民問題 日では移民問題はかなりセンシティブな話題です。特定のイデオロギーとつながりやすく、冷静で建設的な議論にならず、皆意図的にこの話題を避けている節もあります。 今後仮に日が移民を受け入れるにしても、 「日の社会に積極的に馴染む努力をし、日語が話せ、専門的な技術を有し、生活態度は真面目で勤勉な人」 であればみんな納得すると思いますが、そんな素晴らしい人達がわざわざ日を選んでくれる道理はありません。 さて、日は1910年の韓国併合後、朝鮮半島出身の移民を大量に受け入れることになります。日人と朝鮮人移民のコンフリクトがあちこちで発生し、苦慮した日政府は「朝鮮人移民の日流入を抑制し、朝鮮・満州に向かわせる」ことによって事態の打開を図ろうとしました。 1. 日土を目指す朝鮮人 韓国で言うところの「日帝強占期」の間、多くの人々が朝鮮半島から日

    大日本帝国の朝鮮人移民と移民政策 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
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    take--chan 2017/12/07
    大量移民を最初に受け入れた民族が隣の半島の人達と言うのは、不幸な経験だったのかもしれません。でも、近い将来にもっと沢山の異民族の人が難民として押し寄せてくるかも。その時はどうするのでしょうかね。
  • 羽地朝秀・琉球王国を大改革した男 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    琉球王国の政治改革を成し遂げた傑出した政治家 羽地朝秀(はねじ ちょうしゅう 1617-1675)は琉球王国の政治家・歴史家。 1666年から7年間、国王を補佐する最高位である摂政に就き、琉球王国の行き詰った構造を打破し変革を成し遂げた人物です。 羽地が摂政に就く半世紀前、琉球王国は薩摩藩の支配下に置かれ、経済的に困窮すると共に、人心は乱れ勤労意欲は薄れ、どこもかしこも問題だらけの社会でした。 羽地は薩摩藩の支配下に置かれた現実を直視した上で、琉球王国の政治・財政・法制度の改革を行い、中世以来の琉球を脱し近代化に着手をしたのでした。 1. 王国を取り巻く厳しい環境 Photo by 663highland 薩摩藩による軍事侵攻 1609年、薩摩藩による琉球への軍事侵攻が行われました。 琉球王国も抵抗するも薩摩軍の圧倒的な軍事力の前に為す術なく敗れ、尚寧王や重臣たちは薩摩へ連行され、薩摩藩に

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    take--chan 2017/11/30
    薩摩と清という強大な国に挟まれた中で、外交センスを持ちながら衰えた国力を立て直すというのは並大抵ではないと思います。彼が居なかったら今の東シナ海の地図が変わっていたかもしれません。
  • 独裁者を父に持った子どもたちの生涯 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    多くの人から好かれ・憎まれた父を持った子どもたち 独裁者は、常に多くの人の注目を浴びる存在です。 自分が中心にいることが好きな人だからこそできるんでしょうが、賛辞・称賛だけでなく、憎悪・呪詛・怨恨など負のエネルギーも大量に浴びることになります。 そして後継と目される独裁者の子が受ける賛辞・賞賛、そして負のエネルギーも親父に負けず劣らず強いものがあったはずです。 独裁者の子供たちはどのような人生を歩んだのでしょうか。 1. ヤーコフ・ジュガシヴァリ(スターリンの息子) 親父に冷たくあしらわれた出来の悪い息子 ソ連の独裁者スターリンは女好きで、3人の以外に何人も愛人を作りました。しかしまともに面倒を見た人はおらず、多くが自殺に追い込まれたり、暗殺されたり、不審死したりしており、スターリンは家庭的意識のかけらもない男でした。 最初のエカテリーナ・スワニーゼとの間に生まれたのが、長男ヤーコフ・

    独裁者を父に持った子どもたちの生涯 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
    take--chan
    take--chan 2017/11/28
    昔のような一族支配というのは、近代だとよほど情報統制が取れていないと難しいということなのでしょう。
  • コンゴの近現代史(1)- コンゴ自由国の悲劇 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    近代以降悲劇の歴史が続く大国コンゴ コンゴと聞いて何を思い浮かべますか? ザイールという名称のほうがまだ馴染みがあるかもしれません。それでも内戦が続く危ない国、という程度の印象があるくらいでしょう。 コンゴという名称の付く国は二つあり、旧フランス領の「コンゴ共和国(コンゴ・ブラザヴィル)」と、旧ベルギー領の「コンゴ民主共和国(コンゴ・キンシャサ)」です。 今回追っていくのは後者のコンゴ民主共和国のほうですが、この国は2100年には人口が世界第5位になると予想されており(インド、中国、ナイジェリア、アメリカに次ぐ)、21世紀の大国としての経済発展が予想されます。 未だに紛争の火種は途絶えませんが、コンゴはいくつもの悲劇を乗り越えて経済発展の軌道に乗ろうと苦闘しています。今回はそんなコンゴの歴史をまとめていきます。 1. バコンゴ族のコンゴ王国 ポルトガルと友好関係 14世紀、バコンゴ族が現在

    コンゴの近現代史(1)- コンゴ自由国の悲劇 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
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    take--chan 2017/11/14
    世界中の戦乱、災厄のかなりの部分は欧米人の「白人にあらずば人にあらず」というエゴイズムに根ざしているような気がしてなりません。
  • 「ポーランド分割」- 共和国ポーランドが消滅するまで - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    拡張する近隣諸国の中に溶解していくポーランド国家 高校の世界史で必ず学ぶポーランド分割。 しかし、どういう背景があって、どのような経緯で分割されるに至ったかあまり詳しく知らないのではないでしょうか?なんかケーキのようにいつのまにか切り取られてお終い、みたいな印象です。 しかしポーランド分割はポーランドの構造的な問題から他国への干渉を招いた経緯もあり、またポーランド人も黙って分割されるのを見ていただけではなく、様々に改革の取り組みがなされ、それでも抗しきれずに国家消滅の憂き目に合うことになったのです。 1. 衰退するポーランド Image by Halibutt 貴族の国ポーランド ポーランド王国は14世紀にヤゲウォ朝によってリトアニアと同君連合国となり、16世紀には制度的に両国が統合されました。 その領域はバルト海沿岸、ウクライナにまで至る広大な地域で、東欧では最大の版図を誇りました。 し

    「ポーランド分割」- 共和国ポーランドが消滅するまで - 歴ログ -世界史専門ブログ-
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    take--chan 2017/11/02
    内乱と複数の外国の干渉が国を滅ぼすという教訓。日本人は明治維新の成功例しか勉強しないけど、実際は列強干渉で国が強くなった例は殆ど無い。自派の有利を考えて外国と手を結ぶ事は悪手。
  • 絶滅寸前の西ヨーロッパの少数民族(前編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    その存在が埋没する寸前の西ヨーロッパ少数民族 現在の西ヨーロッパの民族問題は「中東や近東、北アフリカからの移民」問題に尽きます。 国の枠組みを破壊するレベルのヤバイ勢いで人が増え続けており、世界の歴史的に見ても後の大転換点となるひとつの大きな潮流となっていると思います。 かつて起こった20世紀の大規模な難民流出、ユダヤ、ベトナム、パレスチナ、ソマリア、ルワンダ、アンゴラといった難民と比較にならないほどの大きな影響を西ヨーロッパ社会に与えるはずです。 そんな中で、人知れず「ヨーロッパ」の中に埋没しようとしている少数民族がいます。西ヨーロッパは実は結構な数の少数民族がおり、カタルーニャ人、ブルターニュ人、ウェールズ人のように地域主義に結びつく強い少数民族もありますが、大抵はひっそりと目立たずグローバル化の中に溶解していこうとしています。 1. フリース人(ドイツ・オランダ) 古代ローマの時代か

    絶滅寸前の西ヨーロッパの少数民族(前編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-
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    take--chan 2017/10/24
    どこまでを独立民族と見るかという話もありますが、ヨーロッパは民族移動の歴史が長いので、少数民族の勃興は多いのでしょうね。山岳のように交流が少ない場所のほうが少数民族が多いし、独立性が高いように思います
  • 黒猫はなぜ不吉とされるのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    は悪魔の化身?幸運のシンボル? 「黒が目の前を横切ると不吉」という迷信は一度は聞いたことがあると思います。 キリスト教圏の国々では、黒は長い間魔女伝説の迷信とセットになって考えられたため、不幸と厄災をもたらすとされました。 一方で、イギリスの一部では幸運をもたらすシンボルと考えられてきたし、日でも「夜でも目が見える」ことから商売繁盛や幸運のシンボルとなっていました。 歴史上、人々が黒をどのように認識してきたのかのあれこれを見ていきましょう。 1. 古代神話に登場する黒 古代ヨーロッパでは、黒は不吉な存在とは考えられていなかったようです。むしろ神秘的で、崇拝の対象ですらありました。 黒は普通のとは違っていると考えられていたようで、ケルト神話や北欧神話にも黒はたびたび登場し、人間並みの知恵を持っていたり、女神様に仕えていたりします。 代表的なのが、ケルト神話に登場する

    黒猫はなぜ不吉とされるのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-
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    take--chan 2017/10/17
    猫は人に見えるとことでは決して死にませんし、黒猫は闇に紛れるので特に神秘的だと思っていたのですが、海賊の黒旗のイメージが乗り移っている事や威嚇する黒猫の話は初めて知りました。