1922年(大正11年)、辰口温泉・湯谷鉱泉・辰口競馬場への観光の利便性向上及び九谷焼の原料・九谷焼そのものの輸送を目的とし、寺井野村の地主にして九谷焼商の酒井芳[6]を総代に29名が発起人となり、免許を申請。この発起人には、根上村長の森喜平や寺井野村長で石川県九谷焼陶磁器同業組合連合会会長の石崎蕃も名を連ねていた。 計画当初は軌間762mmの蒸気鉄道として、石川鉄道より改軌され不要になった蒸気機関車を譲り受ける予定であったが、軌間1067mmの電気鉄道に改め、翌1923年(大正12年)1月に鉄道大臣から認可を受け、同年9月に資本金60万円で能美電気鉄道株式会社を設立し工事が開始された。起点となった根上村(後の根上町)からは、設立目的からも分かる通り、積極的な姿勢ではなく3名のみしか発起人がおらず、一部地区では反対活動が行われるに至り、開通が遅れ、1925年中に新寺井-新鶴来(手取川左岸の