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知識と哲学に関するcastleのブックマーク (138)

  • office-ebara - 理論的関心のある人のために-哲学の旅 廣松哲学への疑問 第3章

    第1章 廣松体験 1)プリコラージュ 2)認識論的主観形式 3)関係と項 4)物象化と意志支配 5)対話の権力作用 6)無の弁証法 第2章 認識論的主観主義 1)認識論的主観主義の自己否定 2)能知的主体の自己形成 第3章 四肢構造論 1)観念論の採用 2)新しい認識論の前提 3)精神世界の現象にむかう 4)"主体"の共同主観的自己形成 5)四肢構造論の問題点 第4章 関係と項 1)関係と反照 2)関係における観念論的な実在性 3)言語モデルは物象化的錯視の産物 4)まとめ 第3章 四肢構造論 1)観念論の採用 何故そうなのか、実はこれが廣松哲学をして哲学たらしめている根拠なのだ。そして、共同主観の外にある所与との実践的交通を遮断することが、四肢構造論の出発点だったのだ。 私は廣松氏の哲学ので面白いと思ったのは『世界の共同主観的存在構造』だけで、『存在と意味』が出たときに手にとってみたが

    castle
    castle 2008/04/29
    「この共同主観的に自己形成される主体の構造を、イデアールな誰か或る人がレアールな個々の主体に肉化するものと捉える」「"客体" 的な側面と"主体"的な側面が便宜上別々に考察され、二組の二肢、都合四つの契機」
  • 認識の四肢的構造連関と物象化 (廣松渉): 試稿錯誤

    「ヨーロッパの実体主義に対してアジアが潜在的に育んできた「関係主義」の思想を掘り起こし、それを体系化したのが廣松渉の世界観である」(野家啓一)。 廣松渉著作集(岩波書店)が中国語に翻訳されたのを記念して南京大学で行った野家啓一の講演『広松哲学の成立過程』が雑誌『情況』(情況出版)2004年7月号特集「今、なぜ廣松思想なのか」に掲載されている。この講演から廣松哲学の核である「認識の四肢的構造連関」と「物象化」に係る部分を引用する。この講演のなかで野家は廣松の事的世界観や認識の四肢的構造という廣松哲学の核となる概念をスッキリ説明している。以下引用ページはことわりがない限り雑誌『情況』のページを示す。廣松は漢字変換できない文字、や難字をやたらに使うので正確な変換を行わない箇所があることをお断りしておく。 なお、廣松渉の主著は文庫として数冊が出版されている。廣松の哲学入門書は新書になっている。

    認識の四肢的構造連関と物象化 (廣松渉): 試稿錯誤
    castle
    castle 2008/04/28
    「「四肢的構造連関」ですが、これは主観と客観という2つの項が切り離されているのではなく、それぞれ「レアール real」 と「イデアール ideal」という二肢的二重性をもって構造的に連関し合っているあり方のこと」
  • 0.999... - Wikipedia

    無限に"9"の続く無限小数 数学において"0.999…"は、小数点の後に無限に"9"が続く循環十進小数である。 概要[編集] 実数として "0.999…" と"1"は等しくなることを示すことができる(ただし、0.9999など途中で終了する小数は1と等しいと言えない)。この証明は、実数論の展開・背景にある仮定・歴史的文脈・対象となる聞き手などに応じて、多様な数学的厳密性に基づいた定式化がある[注釈 1]。 循環する無限小数一般に言えることだが、0.999… の末尾の … は省略記号であり、続く桁も 9 であることを示す。省略記号の前の 9 の個数はいくつでもよく、0.99999… のように書いてもよい。あるいは循環節を明確にするために 0.9、0.9、0.(9) などと表記される。 一般に、ある数を無限小数で表すことも有限小数で表すこともできる。稿で示されるように 0.999… と 1 は

  • やるおで学ぶ西洋近現代哲学入門:ハムスター速報 2ろぐ

    哲学で博士号取る予定の俺が、どんな質問にも哲学的に答える http://urasoku.blog106.fc2.com/blog-entry-185.html 哲学で博士号取る予定の俺が、どんな質問にも哲学的に答える 第二部 http://urasoku.blog106.fc2.com/blog-entry-225.html 1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/03/21(金) 02:20:23.61 ID:sIt3qGIe0       ____      /      \    / ─    ─ \   /   (●)  (●)   \ やる夫は何故生まれて来たんだお   |      (__人__)    |     \     ` ⌒´     /       ____      /      \    / ─    ─ \   /   (●)  (●

  • これを全部読んでいない人間は「猿」です。 ちなみに猿に人権はありません..

    これを全部読んでいない人間は「猿」です。 ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。 プラトン『饗宴』岩波文庫 アリストテレス『詩学』岩波文庫 アウグスティヌス『告白』岩波文庫 レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫 マキァベッリ『君主論』中公文庫BIBLO, 岩波文庫 モア『ユートピア』岩波文庫 デカルト『方法序説』岩波文庫 ホッブズ『リヴァイアサン』岩波文庫 パスカル『パンセ』中公文庫 スピノザ『エチカ』岩波文庫 ルソー『社会契約論』岩波文庫 カント『純粋理性批判』岩波文庫 ヘーゲル『精神現象学』平凡社ライブラリー, 作品社 キルケゴール『死に至る病』岩波文庫 マルクス『資論』岩波文庫 ニーチェ『道徳の系譜』岩波文庫 ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資主義の精神』岩波文庫 ソシュール『一般言語学

    これを全部読んでいない人間は「猿」です。 ちなみに猿に人権はありません..
    castle
    castle 2008/03/14
    私はサルになりたい。
  • 知識 - Wikipedia

    この項目では、人間社会一般における知識について説明しています。仏教における知識については「知識 (仏教)」をご覧ください。 知識を人格化した像(ギリシア語: Επιστημη、エピステーメー)。トルコ、エフェソス Robert Reid 画 Knowledge (1896)。アメリカ議会図書館 は、しばしば大きな知識の源である。 知識(ちしき、希: ἐπιστήμη, epistēmē、羅: scientia、仏: connaissance、独: Wissen、英: knowledge)とは、認識によって得られた成果、あるいは、人間や物事について抱いている考えや、技能のことである。 概要[編集] 認識(英: cognition)とほぼ同義の語であるが、認識は基的に哲学用語であり、知識は主に認識によって得られた「成果」を意味するが、認識は成果のみならず、対象を把握するに至る「作用」を含む

    知識 - Wikipedia
    castle
    castle 2008/03/04
    「心理学では知識は長期記憶として扱われ、表象化された知識を「宣言的知識」、行動的な知識を「手続き的知識」」「形式化、伝達方法の観点からは「形式知」と「暗黙知」」「知識とは正当化された真なる信念である」
  • 孔子 - Wikipedia 

    孔夫子の像 孔子(こうし/くじ、拼音: Kǒng zǐ 、朝: 공자 [ˈko̞(ː)ŋd͡ʑa̠]、英: Confucius [kənˈfju.ʃəs]、紀元前552年または紀元前551年 - 紀元前479年)は、春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖[1]。氏は孔、諱は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。孔子は尊称である。ヨーロッパではラテン語化された"Confucius"(孔夫子の音訳、夫子は先生への尊称)の名で知られている。読みの「こうし」は漢音、「くじ」は呉音。釈迦、キリスト、ソクラテスと並び四聖人(四聖)に数えられる[2]。 有力な諸侯国が領域国家の形成へと向かい、人口の流動化と実力主義が横行して旧来の都市国家の氏族共同体を基礎とする身分制秩序が解体されつつあった周末、魯国に生まれ、周初への復古を理想として身分制秩序の再編と仁道政治を掲げた。孔子の弟子たちは孔子の思想を奉じて教団を作

    孔子 - Wikipedia 
    castle
    castle 2008/03/04
    「孔子はそれまでのシャーマニズムのような原始儒教を体系化し、一つの道徳・思想に昇華させた。その根本義は「仁」であり、仁が様々な場面において貫徹されることにより、道徳が保たれると説いた」
  • 四書五経 - Wikipedia

    四書五経(ししょごきょう)は、儒教の経書の中で特に重要とされる四書と五経の総称。ただしこのうち『大学』『中庸』はもともと『礼記』の一篇を独立させたものである。 要綱[編集] 君子が国家や政治に対する志を述べる大説として日常の出来事に関する意見・主張や噂話など虚構・空想の話を書く小説と区別される。 四書は『論語』『大学』『中庸』『孟子』、五経は『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』をいい、五経を以て四書よりも高しとする(「礼記」の成立受容史については「三礼」の項を参照)。「楽経」を含めて四書六経ともいう。 中国国だけでなく、日や朝鮮でも広く講義された。朝鮮では『礼記』と『春秋』を省いて「四書三経」ともいった[1]。 戦国時代の六経[編集] 『荘子』や『語叢』においては、下記の六種類の経書が列挙されている。 詩 書 礼 楽 易 春秋 当時の儒家らはこれらの経典を重視したが、『楽』は早くに

    castle
    castle 2008/03/04
    「四書五経とは、儒教の経書の中で特に重要とされる四書と五経の総称。『大学』『中庸』はもともと『礼記』の一章を独立させたもの」「四書は、論語・大学・中庸・孟子、五経は、易経・書経・詩経・礼記・春秋」
  • 後人類的知性についての与太話: 極東ブログ

    与太話でも。先日、3日の日経コラム「春秋」(参照)にこんな話があった。もちろん、コラムだし些細な話である。春秋の筆法という趣向ではない。 ベランダに放置してあるプランターに、勝手に生えてきたタンポポやスミレが早くも花をつけている。狭い人為的な空間でも、みごとに生態学的な地位を築く草花のたくましさに驚く。心配なのは、彼らも我ら人類も、生存の基礎を全面的に委ねている地球の気候条件が、今大変動しているという科学者の指摘だ。 春秋子、あまり科学的なものの考えをなさらないのであろうが、科学少年の慣れて果てでかつ無粋なダーウィニストである私はこんなことを思った。「生存の基礎を全面的に委ねている地球の気候条件」とかいうけれど、別段温暖化がどんどん進んで人類が滅んでも、生命が途絶するわけではないよ、心配すんなよ、と。 氷河期だってなんどもあったんだし、そのおかげでむしろチャンスが回ってきたのが人間種の祖先

    castle
    castle 2008/02/19
    「進化の一般的な現象について考えるときに,私たちはサンプルを一つしかもっていないよね」「ベルクソンはそんな場としての宇宙を考え」「自滅する知的種を含んでいたのか、人類種の知性の到達に描かれていたのか」
  • http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0726.html

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    castle 2008/02/16
    「思想も芸術も経済も、どこかで誰かが夢うつつになったのだ」「(このような漠然とした考え方は世間に通用しないと思われてきた事に)荘子は、ちょっと待ちなさい。その夢うつつにこそ通用があると言ってみせた」
  • http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0846.html

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    castle 2008/02/16
    「「色」は物質的な実在、「空」はそれがないこと」「仏教史は「空」をどのように解釈してきたかという歴史」「空は概念として孤立(自立)していない」「「空」を感じるにはその「空」をめぐる言葉を捨てるしか」
  • まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか - 池田信夫 blog

    Dan氏のところには訳が届いたようだが、私は原著しかもっていないので、それをもとに書く。したがって例によって、これは書評ではない(書評は2/25発売の週刊ダイヤモンドに書く予定)。 原著は2004年に出て大反響を読んだが、同じ著者のこれを上回る傑作、Black Swanが出たあと訳が出たのは残念だ。書の議論はBlack Swanで深められているので、1冊読むなら、そっちを読んだ方がいい。実は、書は別の版元で最後まで訳したのだが、あまりにも訳がひどくて廃棄され、ダイヤモンド社でやりなおしたという経緯がある。 ここでは、1点だけコメントしておく。それは著者の議論のコアになっている素朴ポパー主義だ。ポパーについては、当ブログで私が批判すると、アマチュアから粘着的なコメントが来るが、もはや見捨てられた過去の哲学者であることは世界の常識だ。著者もそれを前提にしているのだが、彼はあえてポパ

    castle
    castle 2008/01/28
    「興味あるのは、著者が科学哲学における通約不可能性理論と同じ結論に達していること」「すべての科学理論は宗教の一種であり、客観的知識なんて存在しない、という知的アナーキズム」「不可知論と実質的に同じ」
  • 自由 - Wikipedia

    自由(じゆう、希: ἐλευθερία、羅: libertas、英: liberty, freedom)とは、他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意思や性に従っている[注釈 1]ことをいう。哲学用語。自由な行動により生じた結果は人が引き受けるべきという社会通念があり、自由と責任は併せて語られる事が多い。 「Freedom」と「Liberty」[編集] ウジェーヌ・ドラクロワ『民衆を導く自由の女神』(1833年),自由を寓意的に表した代表的な絵画。1789年8月26日人間と市民の権利の宣言(フランス人権宣言)第4条は「他人を害することのないもの全てをなし得ること」を「自由」と定義した。[1] 英語の「Freedom フリーダム」と「Liberty リバティ」は、ともに自由と訳される。現在、この2つの語はほぼ同じ意味で用いられるが、その意味合いはいくらか異なっている。 フリーダ

    自由 - Wikipedia
    castle
    castle 2008/01/04
    「フリーは、束縛や拘束がなく義務を免除された状態、すなわち自由の消極的側面 (しなくてよい)を強調」「リバティは、選択や行動・発言の権利が保障された状態、つまり積極的側面(してよろしい)に比重が置か」
  • Dasein - Wikipedia

    この項目では、主としてハイデッガーによる哲学用語について説明しています。日のミュージシャンについては「DASEIN」を、ヘーゲル等による哲学用語については「定有」をご覧ください。 この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "Dasein" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2014年12月) Dasein (ダーザイン、ドイツ語発音: [ˈdaːzaɪn])は、ドイツ語で文字どおりに直訳して「ここにいる」という意味である。哲学用語でもあり、現存在(げんそんざい)とも訳されている。 ドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーが自分のコンセプトを説明する語として用いており、と

    castle
    castle 2007/12/26
    「言語によって定義された必然的な本質を否定していく自由な実存として、いまここに現実に活動している「私」」「Existenz、元の邦訳は「現実存在」。それを短縮して「実存」とした。語源はex-sistere外に立つの意」
  • セーレン・キェルケゴール - Wikipedia

    セーレン・オービュ・キェルケゴール(デンマーク語: Søren Aabye Kierkegaard デンマーク語発音: [ˈsɶːɐn o:'by ˈkiɐ̯ɡəɡɒːˀ] ( 音声ファイル)、1813年5月5日 - 1855年11月11日)は、デンマークの哲学者、思想家[1]。今日では一般に実存主義の創始者、ないしはその先駆けと評価されている。 キェルケゴールは当時とても影響力が強かったゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル及びヘーゲル学派の哲学あるいは青年ヘーゲル派、また(彼から見て)内容を伴わず形式ばかりにこだわる当時のデンマーク教会に対する痛烈な批判者であった。 表記と仮名[編集] 日語では、「セーレン・オービエ・キェルケゴール(キルケゴール)」との表記が通用しているが、デンマーク語の原音に近いカタカナ表記は「セーアン・オービュ・キアゲゴー」である[2][3]。セーレンと

    セーレン・キェルケゴール - Wikipedia
    castle
    castle 2007/12/26
    「(ヘーゲル的な)抽象的思考とは、個々の主体が消去されているような思考であるのに対し、(キェルケゴールの)具体的思考とは、主体が決定的である思考」「抽象的な議論は、現実的な主体にとって意味をなさない」
  • 現象学 - Wikipedia

    現象学(げんしょうがく、独: Phänomenologie〈フェノメノロギー〉)は、哲学的学問およびそれに付随する方法論を意味する。 哲学 概要[編集] 「現象学」という用語は、哲学史上、18世紀のドイツの哲学者ヨハン・ハインリッヒ・ランベルトの著書『新オルガノン』に遡ることができるとされる。「現象学」が指し示す概念は、哲学者によって大きく異なる。また、エトムント・フッサールのように、1人の哲学者においても、その活動時期によって、概念が変遷している例もある。下記に代表的な3つの「現象学」の概要を記す。 ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル (1770 - 1831) が1807年に出版した著作『精神現象学』(Phänomenologie des Geistes) の中で、「現象学」は主観的意識から現象の背後にある絶対精神を把握する哲学の手引きとして示される。弁証法的現象学と呼ばれ

    現象学 - Wikipedia
    castle
    castle 2007/12/05
    「ヘーゲルの精神現象学は、単純な感覚的確信から始まり、絶対知へ至るまでの精神の弁証法的発展を叙述する学問」「フッサールの超越論的現象学は、世界がすでに「ある」とする態度を棚上げ(エポケー、判断停止)」
  • 哲学で博士号取る予定の俺が、どんな質問にも哲学的に答える 第二部:ハムスター速報 2ろぐ

    一部 http://urasoku.blog106.fc2.com/blog-entry-185.html >>1がスレ離脱するとこからの続きです。 かなりレス番いじくりましたが、質問が錯綜していて読みにくい感は否めない。 編集へたくそです、すみません。 554 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/07/25(水) 21:33:26.89 ID:Ecteuiyz0 よし、俺頑張った。四時間半戦った。 おまいらありがとう。 らぶやん読むぜ。あとサリンジャー読むぜ。 乙乙。 557 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/07/25(水) 21:34:52.33 ID:5I3c2dnfO >>554 乙です 569 :ドラドリの弟子@東大生:2007/07/25(水) 21:38:42.36 ID:7zlqpWAV0 デリダによるストロース批判を

    castle
    castle 2007/12/04
    「ニーチェは「神の機能」みたいなものを看破した。神ってのは、価値観をひっくり返して人間を縛るための道具であり、祭司や権力者が神への通路を独占することで特権化するためのもので、人間の生きる力を奪うだけ」
  • 言語的相対論 - Wikipedia

    言語的相対論(げんごてきそうたいろん、英: Theory of linguistic relativity)または言語的相対性原理(げんごてきそうたいせいげんり、英: Principle of linguistic relativity)、サピア=ウォーフの仮説(サピア=ウォーフのかせつ、Sapir-Whorf hypothesis、SWH)は、「どのような言語によってでも現実世界は正しく把握できるものだ」とする立場に疑問を呈し、言語はその話者の世界観の形成に関与することを提唱する仮説である。ベンジャミン・ウォーフが唱えた理論であり、個人が使用できる言語によってその個人の思考が影響を受けることを体系化した理論である。ウォーフとエドワード・サピアの研究の基軸をなした。 概要[編集] この理論は何度も提案され、議論を重ねてきた。時にはサピア=ウォーフの仮説と呼ばれたり、単にウォーフの仮説と呼ば

    castle
    castle 2007/11/20
    「言語はその話者の世界観の形成に差異的に関与する」「個人にとっての「現実」とは、常に流動している感覚要素を一時的に抽出した直感的なものであり、これを自身の知的範型に通して解釈した時に「理解」が起こる」
  • デカルトの「我思う故に 我有り」って言葉があるけど。 カオスちゃんねる跡地

    ※カオスちゃんねる移転のお知らせ カオスちゃんねるは移転しました。 お手数おかけして大変申し訳ありませんが、 リンク・ブックマーク等の変更をよろしくお願い致します。 移転先URL http://chaos2ch.com/ 移転先RSS http://chaos2ch.com/index.rdf 携帯版移転先URL http://blog.m.livedoor.jp/chaos2ch/ 1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/11/13(火) 03:57:53.28 ID:Mt3ywMkFO 彼は万物全ての存在を疑ってたらしいけど「そう疑ってる自分は確かに存在する」ってことに気がついたんだろ? それは分かるんだが、だから何なんだと言いたい 何故彼のこの発見が評価され現代まで語り継がれているかが分からない この発見によって何かに重大な進歩をもたらしたの?それとしばしば

    castle
    castle 2007/11/16
    「全ては人間の意思を通してからしか認識出来ないから、我々が認識してる事が全て」「主体があって初めて客体はというものは存在」「これらを林檎たらしめているのは、林檎というラベルを貼った我々の認識そのもの」
  • 意味論 - Wikipedia

    意味論 (言語学) - 言語学における意味論。 意味論 (論理学) - 論理学・哲学における意味論。 意味 (哲学)(英語版) - 哲学における「意味の理論」(theories of meaning) プログラム意味論 - コンピュータ科学での意味論。 オントロジー (情報科学) セマンティック・ウェブ OWL 公理的意味論 操作的意味論 意味ネットワーク 意味論 (心理学)(英語版) 一般意味論 - A.コージブスキーが提唱した。 このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職能を有する場合の水先案内のために、異なる用法を一覧にしてあります。お探しの用語に一番近い記事を選んで下さい。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えて下さい。

    意味論 - Wikipedia
    castle
    castle 2007/11/10
    「(言語学では) 意味論は次の二つの分野に対置される。すなわち、より単純な記号から複雑な記号を作り出すことに関わる統語論、および、実際の発話状況や文脈に依存した記号の使用に関わる語用論である」