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知識と哲学に関するcastleのブックマーク (138)

  • 3ToheiLog: わたしはあなたじゃありません。でもわたしはあなたです

    わたしはあなたじゃありません。でもわたしはあなたです {【警告】以下の文には、脈絡も意義もライフハックもビジネスチャンスも無いので、そういうのが必要な方は速やかに「Back」ボタンを押すことをお勧めします。 * タイトルに惹かれて、数学を勉強することの意味――「1+1」の思想 というエントリを読みかけてやめた。 なんかぴんとこない。 僕はたぶん日人の平均よりは、数学とかもしてはきたけれど、結局、「役に立つからやっていた」わけではない。やらないと気持ち悪かっただけだ。 たとえば、野球選手が「野球をすることの意味」というエントリを書いていてさ、「野球をすると健康によく長生きができる」とか、「野球をすると反射神経が鍛えられる」とか、「仲間と力を合わせることを学ぶ」言われても、多分、やっぱり眉をひそめると思う。 野球選手は、もともとは野球やりたくて野球やっているのだろう。(プロになったあと

    castle
    castle 2009/09/26
    「(癖の本質は「意味」とかじゃ無く)反復の記憶。論理思考とか数学も」「モデル化できそうなパターンがあって、それを抽象化しないのも、僕には気持ちが悪い」「模倣欲求こそが、社会を、文化を、言語を作った」
  • 技術への問い - 池田信夫 blog

    書は、ハイデガー晩年のもっとも重要な論文「技術への問い」を中心にして5の論文を集めたものである(復刊)。最初に断っておかなければならないのは、訳があまりにもひどく、とても通読できないということだ。たとえば有名な、技術をGe-stellという奇妙な言葉で表現する部分は、書ではこう訳されている:われわれはいま、それ自体を開蔵するものを用象として用立てるように人間を収拾するあの挑発しつつ呼びかけ、要求するものをこう名づける――集‐立(Ge-stell)と。この文を理解できる人は、まずいないだろう(訳者が理解しているかどうかも疑問だ)。私は原文を読んではいないが、英訳のほうがはるかにわかりやすい。英訳ではGe-stellはenframingと訳されており、自然を一定の枠組の中で理解し、利用することだ。 この論文が重要なのは、若きハイデガーが『存在と時間』で提起した形而上学批判という問題に、

    castle
    castle 2009/09/24
    「技術が対立するのは科学ではなく、自然がおのずから立ち現れてくるポイエーシス(生成」「近代科学の方法論は自然を受動的に見るのではなく、実験や工学的応用によって自然を「挑発」して真理を開示するテクネー」
  • フリードリヒ・ニーチェ - Wikipedia

    フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(独: Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844年10月15日 - 1900年8月25日)は、ドイツ・プロイセン王国出身の思想家であり古典文献学者。ニイチェと表記する場合も多い。 概要[編集] 現代では実存主義の代表的な思想家の一人として知られる。古典文献学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュル(英語版、ドイツ語版)に才能を見出され、スイスのバーゼル大学古典文献学教授となって以降はプロイセン国籍を離脱して無国籍者であった[1][2]。辞職した後は在野の哲学者として一生を過ごした。随所にアフォリズムを用いた、巧みな散文的表現による試みには、文学的価値も認められる。 なお、ドイツ語では「ニーチェ」(フリードリヒ [ˈfriːdrɪç] ヴィルヘルム [ˈvɪlhɛlm] ニーチェ [ˈniːtʃə])のみならず「ニーツシェ」[ˈn

    フリードリヒ・ニーチェ - Wikipedia
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    castle 2009/09/14
    「ルサンチマン、超人、永劫回帰」「それまで世界や理性を探求するだけであった哲学を改革し、現にここで生きている人間それ自身の探求に切り替えた」「次々と生まれ出る真理の中でそれに戯れ遊ぶ人間を超人とした」
  • ドイツ観念論 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "ドイツ観念論" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2011年12月) ドイツ観念論の哲学者たち。左上から時計回りにカント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲル ドイツ観念論(ドイツかんねんろん、独: Deutscher Idealismus, 英: German idealism)またはドイツ理想主義は、近代の観念論(理想主義)の典型であり、プラトン哲学のイデアから由来している[1]。18世紀末から19世紀半ばに、ヒュームの流れを組むカント『純粋理性批判』への反動として、主にプロイセンなどドイツ語圏ルター派地域において展開された哲学

    ドイツ観念論 - Wikipedia
    castle
    castle 2009/09/14
    「カント哲学を出発点として自己意識、精神、自我など精神的なもの、その根底として観念的原理の自己展開をおき、絶対者あるいは神と呼んで、その関わりによって世界や人間の本質を捉える立場から説明しようとする」
  • ソーカル事件 - Wikipedia

    ソーカル事件(ソーカルじけん、英: Sokal affair)とは、ニューヨーク大学物理学教授だったアラン・ソーカル[注釈 1]が、1995年[注釈 2]に現代思想系の学術誌に論文を掲載したことに端を発する事件をさす[1]。 ソーカルはポストモダン思想家の文体をまねて科学用語と数式をちりばめた「無内容な論文」を作成し、これをポストモダン思想専門の学術誌に送ったところ、そのまま受理・掲載された。その後ソーカルは論文がでたらめな内容だったことを暴露し、それを見抜けず掲載した専門家を指弾するとともに、一部のポストモダン思想家が自分の疑似論文と同様に、数学・科学用語を権威付けとしてでたらめに使用していると主張した。 論文の発表につづいてソーカルは、フランスのポストモダン思想家を厳しく批判する著作を発表し、社会的に大きな注目を浴びた。 事件の経緯[編集] ソーカル論文の掲載[編集] 1994年、ニュ

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    castle 2009/09/09
    「数学・科学用語を権威付けとして出鱈目に使用した人文評論家を批判するために、同じように、科学用語と数式をちりばめた疑似哲学論文を執筆し、これを著名な評論誌に送ったところ、見事に掲載された事件」
  • 経験主義について考えてみた - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ヒューム 自生的秩序(コンベンション) ボクの立場はとにかく経験主義です。経験主義的な立場とはまず「自生的な秩序」があるということです。このような経験主義を明確化したのはヒュームでしょう。ヒュームは自生的秩序をコンベンション(慣習)と呼びます。合理主義や法など言語活動はいつもコンベンションの後から来る。そしてこのような合理主義は重要ではあるが必ず失敗する。それは言語の限界であって、知の限界です。 そして注意する必要があるのが、言語表現の軽さです。言語表現はすべてを軽いものにしてしまう。操作可能にしてしまう。そこに失われる「重さ」は、コンベンションに繋がっています。コンベンションは環境であり、そして環境と接する身体です。いくら言葉で語ろうが容易に変化しない重さ。それは、物質的な環境であるとともに人そのものです。人は生まれ落ちた環境、文化、社会、関係性などに密接に結びついて切り離すことができな

    経験主義について考えてみた - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    castle
    castle 2009/07/23
    「注意すべきは言語表現の軽さ。言語表現は全てを軽く、操作可能にしてしまう。そこに失われる重さは、コンベンション(慣習・身体)」「慣習の重みを言葉という軽さでしか捉えられないということもまた人間の重さ」
  • [阿弥陀とは全知全能をあらわす] by 碌々(ろくろく)ブログ

    castle
    castle 2009/06/06
    「「阿」というのは否定をあらわす言葉で、「弥陀」を否定しています。弥陀とは、量(はか)るという意味。そうすると、阿・弥陀というのははかれない、ということで、無量(無限)」「一方に命、一方に光があり」
  • ポストモダン - Wikipedia

    ポストモダン(英: Postmodern)またはポストモダニズム(英: Postmodernism)は、近代から脱却することを目標に、20世紀中葉から後半にかけて、哲学・芸術・建築・評論などの分野で流行した広範な思想運動である。広義には、近代のあとに続くと考えられている時代とその傾向を指す言葉である。脱近代主義とも言われる[1]。 概要[編集] ポストモダニズムは、懐疑主義(英語版)的・イロニー的な姿勢、あるいは大きな物語(英語版)や近代主義と関連のあるイデオロギーの拒絶によって一般的に定義され、啓蒙主義的な理性主義を批判し、政治的・経済的権力の維持におけるイデオロギーの役割に焦点を当てていることが多い。ポストモダニズムの思想家は、知識の主張(英: knowledge claim)や価値体系を、政治的・歴史的・文化的な言説、あるいはヒエラルキーの産物とみなし、偶発的または社会的条件が付いた

    castle
    castle 2009/06/03
    「モダン(近代)の次」「高度に自己完結的なものとして把握され、人間理解の基礎的な枠組みとして汎用的かつ実体的に前提される近代的な「主体」概念に対して構造主義によって提起された批判が背景にある」
  • 廣松渉 - Wikipedia

    廣松 渉(ひろまつ わたる、男性、1933年8月11日 - 1994年5月22日)は、日の哲学者。東京大学名誉教授。筆名は門松暁鐘など。 生涯・人物[編集] 福岡県柳川市蒲池出身。出生地は山口県厚狭郡(現在の山陽小野田市)。1946年、中学1年生の時に日青年共産同盟に加盟。 1949年4月、高校進学と同時に日共産党に入党する。1950年の50年分裂では国際派に所属し、 1951年に国際派の「全国統一会議」が解散した後は、党に戻らず全日学生自治会総連合(全学連)などで活動。 福岡県立伝習館高等学校から放校後に、大検に合格して大学進学資格を得て、東京学芸大学に入学するも、中退して東京大学文学部哲学科に再入学をする。当初はエルンスト・マッハに対する関心が強かったが、指導教官の勧めもあってカント研究に専念することになる。その後、東京大学大学院に進学。1965年に博士後期課程を単位取得退学し

    castle
    castle 2009/05/07
    「マルクス/エンゲルスの思想における物象化論を中心に、マッハ、フッサール、ハイデッガー等と対質しながら、特異な擬古文調・擬漢文調の文体で、主観-客観の二項対立図式を止揚すべく独自の哲学を展開した」
  • マルティン・ブーバー - Wikipedia

    マルティン・ブーバー(ヘブライ語: מרטין בובר‎, ラテン文字転写;Martin Buber, 1878年2月8日 - 1965年6月13日)は、オーストリア出身のユダヤ系宗教哲学者、社会学者。 経歴[編集] 1878年、ウィーンの正統派ユダヤ教徒の家庭に生まれる。イディッシュ語とドイツ語が交わされる中で生活しながら、1892年に父方の実家があるレンベルク(当時オーストリア領、現ウクライナ領リヴィウ)に転居。イマニュエル・カント、セーレン・キェルケゴール、フリードリヒ・ニーチェなどに親しむうち哲学に興味を示し、1896年に再度ウィーンへ戻って哲学、美術史、歴史などの勉強に勤しんだ。 その後、当時盛んになったシオニズム運動に加わり、機関紙の編集者にもなるものの、ハシディズムに関心を持ったことを契機に、政治的に特化されたシオニズムに疑問を持って離脱。再び学究と著述に専念し、1923年

    マルティン・ブーバー - Wikipedia
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    castle 2009/04/25
    「科学的、実証的な経験や知識は「それ」というよそよそしい存在にしか過ぎず、「われ」は幾らそれに関わったとしても、人間疎外的な関係から抜け出すことはできない」「真に大切なのは「われ-なんじ」関係」
  • モナド - Wikipedia

    モナド (英:monad) モナド (哲学) - ライプニッツが著書『モナドロジー』(『単子論』とも)において提唱した哲学上の概念。 モナド (超準解析) - 数学の超準解析において、ある与えられた超実数に対して無限に近い全ての超実数の集合。 モナド (圏論) - 圏論における特定の性質を満たす圏代数<T ; μ , η>のこと。 モナド (プログラミング) - プログラミング言語の意味付けにおける完備な意味領域をモジュール性を持たせた形で分割するための枠組み。 モナド (レコードレーベル) - テイチクのかつてのレコードレーベル。 任天堂より発売されたWii用ゲームソフト『ゼノブレイド』(開発:モノリスソフト)の仮称時のタイトル(Monado: Beginning of the World)、および同ゲームに登場する重要アイテム(武器)。 このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの

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    castle 2009/01/12
    「究極的には無数のモナドから、そしてただそれだけからなる現実世界全体の状態(ということはすべてのモナドの状態)に、個別のモナドの「状態」は対応する。これがモナドの持つ「表象・知覚」能力(モナドは鏡)」
  • 無常 - Wikipedia

    無常(むじょう、巴: anicca, アニッチャ、梵: anitya, アニトヤ)とは、仏教における中核教義の一つであり、三相のひとつ[1][2][3]。生滅変化してうつりかわり、しばらくも同じ状態に留まらないこと[4][5]。非常ともいう[4]。対義語は常住。 あらゆるもの(有為法)が無常であることを諸行無常といい、三法印の1つに数える[4]。 概略[編集] 釈尊が成道して悟った時、衆生の多くは人間世界のこの世が、無常であるのに常と見て、苦に満ちているのに楽と考え、人間位の自我は無我であるのに我があると考え、不浄なものを浄らかだと見なしていた。これを四顛倒(してんどう=さかさまな見方)という[6]。 この「無常」を説明するのに、「刹那無常」(念念無常)と「相続無常」の二つの説明の仕方がある。刹那無常とは、現象は一刹那一瞬に生滅すると言う姿を指し、相続無常とは、人が死んだり、草木が枯れた

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    castle 2008/12/25
    「無常は、この現象世界のすべてのものは消滅して、とどまることなく常に変移しているということ。釈迦は、その理由を「現象しているもの(諸行)は、縁起によって現象したりしなかったりしているから」と説明して」
  • アイロニーとは 一般の人気・最新記事を集めました - はてな

    ユーモア パロディ メタ アイロニズム シニシズム

    アイロニーとは 一般の人気・最新記事を集めました - はてな
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    castle 2008/12/17
    「自分の無知を盾にして「知ったかぶりをする相手の無知をさらけ出す」。自分の批判対象の主張を徹底的に賛美してみせ、その論理を極限まで押し進めてそのグロテスクさを浮き彫りにさせるという批判のレトリック」
  • 実証主義 - Wikipedia

    実証主義(じっしょうしゅぎ、英: positivism、仏: positivisme、独: Positivismus)は、狭い意味では実証主義を初めて標榜したオーギュスト・コント自身の哲学を指し、広い意味では、経験的事実に基づいて理論や仮説、命題を検証し、超越的なものの存在を否定しようとする立場である。 英語の「positive」は、もともと「(神によって)置かれた」を意味するラテン語「positivus」に由来する。この原義から転じて、実証主義における「positive」とは、経験的に裏付けられたものを意味する。 意味と背景[編集] 実証主義は神学的・形而上学的なものに依拠せず、経験的事実にのみ認識の根拠を認める学問上の立場であり、19世紀のフランスの思想家・社会学者のオーギュスト・コントによって人類の発展における神学的段階と形而上学的段階の最後に来る実証主義的段階として唱えられた。 各

    実証主義 - Wikipedia
    castle
    castle 2008/12/06
    「19世紀以降の自然科学・工学の長足の進歩と社会的成功を踏まえ、知識の形態として有効かつ知識を統一しうるものとして科学に特権的地位を見出す考え方」「その対義語は否定的、すなわち形而上学的である」
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    台北市立動物園と迪化街めぐり 子連れ台湾#5 年越し台湾旅行5日目、レジャーや友人との事を楽しむ日です。前日の様子はこちら www.oukakreuz.com 台北市立動物園へ パンダ館 パンダが見られるレストラン 迪化街へ 林茂森茶行でお茶を購入 小花園で刺繍グッズを購入 黒武士特色老火鍋で夕 台北市立動物園へ 松…

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    castle
    castle 2008/10/17
    「この<私>が見ているコップの像と、このコップそれ自体は果たしてまったく同じものと言えるだろうか」「(人の認識能力は弁証法的に高められ)世界とは認識を深めていく人間によって徐々に知られうるものの総体」
  • 晴れ - finalventの日記

    秋晴れ。よい天気だがいまひとつ心は晴れない。 夢は忘れた。昨晩も坐禅をしてから寝た。眠気がないので、寝れないのかとも思ったがそうでもなかった。禅が少しずつわかってきたような感じがする。あまりいろいろと知識があると、自分を知るということの障害になるものだ。

    晴れ - finalventの日記
    castle
    castle 2008/10/16
    「禅が少しずつわかってきたような感じがする。あまりいろいろと知識があると、自分を知るということの障害になるものだ」
  • ドクサ - 呟き尾形の自転

    呟き尾形の自転 呟き尾形の個人的な資料です。 トップページページ一覧メンバー編集 ドクサ 最終更新: tubuyaki1 2005年09月22日(木) 19:20:40履歴 Tweet 呟き尾形の哲学自転 --------- ドクサ まず、一般的に、ドクサとは、事実ないし真実に対して,当人の思い込みにすぎない事柄のことをさします。 とどのつまりは、憶測・想像による考えのことであり、臆見のことです。 めずらしく、今回は一般的な意味とほぼ同様の意味になります。 さて、妥当な判断するためには、事実ないし、真実を知っていることが必要になりますが、それを知らずして、判断をすることになるとは、「ドクサ(憶測)」になります。 このドクサ、現象学、ことにエポケーにおいては、不倶戴天の敵といえるほどの存在です。 まさに、エポケーとは、このドクサをいかに取り除くかがポイントになるということになります。 ですか

    ドクサ - 呟き尾形の自転
    castle
    castle 2008/09/01
    「ドクサとは、事実ないし真実に対して,当人の思い込みにすぎない事柄のことをさします。憶測・想像による考えのことであり、臆見のことです」「エポケーとは、このドクサをいかに取り除くかがポイント」
  • 第1章 帝国末期のウィーン - 『ハイエク 知識社会の自由主義』サポートページ

    ウィーンの中心部、ケルントナー通りをオペラ座からシュテファン寺院に向かって歩くと、まるで一八世紀で時が止まったままのような印象を受ける。街全体が博物館の展示物のように古く重苦しく、人を威圧する。建物は老朽化して使いにくく、人々は遺跡のような街で、歴史の重みにあえぎながら暮らしているようにみえる。それが当に中世に建てられた建物なのか、それとも昔の様式を模して新たに建てられたのかはわからないが、街全体に変わるまいという意志が感じられる。それはウィーンのもっともよき時代が、遠く過ぎ去ったことを人々が知っているからだろう。 道端では大道芸人が芸をし、若いミュージシャンがモーツァルトを演奏している。ここは何といっても、モーツァルトの街なのだ。彼の音楽は、ほとんどバックグラウンド・ミュージックのように、いつもウィーンのどこかで聞こえている。彼は、この街のもっとも華やかだった時代の記憶でもある。 ウィ

    第1章 帝国末期のウィーン - 『ハイエク 知識社会の自由主義』サポートページ
    castle
    castle 2008/08/20
    「人間の行動を認識論的なレベルで把握するところから出発する」「「合理的」な推論にもとづいて経験的事実から「帰納」されたようにみえる因果関係は、実際には「習慣にもとづいた蓋然性」の認識にすぎない」
  • ハイエク 知識社会の自由主義 - 池田信夫 blog

    やっとハイエクができた。発売は19日だが、アマゾンでは予約の受付が始まった。あくまでも新書なので、「ハイエク入門」として誰でも読めるようにやさしく書き、専門的な議論や文献は省いた。しかしケインズとの論争は現在の世界経済を考える上でも示唆に富んでいるし、彼の法哲学はShleiferなどの実証研究でホットな話題になっている。また「合理的経済人」の仮定を徹底的に拒否した彼は、行動経済学の元祖としても再評価されている。そういう専門的な議論や参照文献のリストアップは、サポートページでやる予定である。序文を引用しておこう: 世界の金融市場を、前代未聞の危機がおおっている。現代の金融商品は数学やコンピュータを駆使した「金融工学」によって合理化され、あらゆるリスクは技術的にヘッジされ、世界中の市場がいっせいに暴落するパニックは起こりえないはずだった。今回のサブプライム・ローン危機による株価の暴落は、通

    castle
    castle 2008/08/09
    「「合理的経済人」の仮定を徹底的に拒否」「人々は不完全な知識のもとで慣習に従って(必ずしも合理的といえない)行動をする」「不完全な知識に基いて生まれ、常に進化を続ける秩序があらゆる合理的な計画を凌ぐ」
  • 代数的構造 - Wikipedia

    二つの演算によって決まる代数的構造 環: 加法に関してアーベル群であり、乗法に関して半群(またはモノイド)であり、分配法則を満たす。 体: 0 でない元が乗法に関して群(またはアーベル群)をなす環 演算と作用によって決まる構造 環上の加群: 環の作用するアーベル群 ベクトル空間: 体上の加群 算法や二項演算の項に記す通り、加群やベクトル空間などにいて環や体が与える外部的な作用も適当な方法で内部的な 1 項算法(単項算法)と捉えなおすことができるので、加群やベクトル空間やほかにも同様に作用域を持つ構造である多元環などが、群や環と同様のもの(多くの演算によって決まる構造)として統一的に論ずることもできる。 さらに複雑なもの 代数(多元環): 乗法の定義された加群やベクトル空間 結合代数: 乗法が結合法則を満たす代数 可換代数: 乗法が可換な結合代数 束: 二つの演算が定義されている集合で、演算

    castle
    castle 2008/05/04
    「代数的構造とは、集合に定まっている算法(演算)や作用によって決まる構造のこと」「具体的な様々な代数系から、それらが共通してもつ原理的な性質を抽出して抽象化・公理化したものが代数的構造と呼ばれる」