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東日本大震災と社会に関するkowyoshiのブックマーク (6)

  • 今村復興相 辞任の意向固める | NHKニュース

    今村復興大臣は、自民党の派閥のパーティーで、東日大震災に関連して、「まだ東北の方だったからよかった」などと、被災者を傷つける発言をした責任を取りたいとして、復興大臣を辞任する意向を固めました。

    今村復興相 辞任の意向固める | NHKニュース
    kowyoshi
    kowyoshi 2017/04/25
    今村雅弘が二階派ではなく、安倍ちゃんと同じ細田派だったら辞めてただろうか…と邪推はしてしまう。もちろん、今回の件を含めて議員も辞めてしまえという感想しか持ってないのだが。
  • 16.7メートルの津波は、ちょうどこの高さ―― ヤフーが出した防災広告に絶賛の声

    最高16.7メートルの津波が銀座の真ん中に来ていたら、ちょうどこの高さ――ヤフー・ジャパンが、銀座ソニービルの壁面に掲出した広告がネット上で注目を集めています。 2011年3月11日に発生した東日大震災では、最大16.7メートルの津波が東北地方の太平洋沿岸を襲い、甚大な被害をもたらしました。この広告が掲出されている銀座ソニービルの高さは地上31メートルなので、津波はそのちょうど真ん中あたりまで届くことになります。数字ではイメージが難しいものの、ビルを利用し津波の高さを分かりやすく示すことで3.11の津波の様子を伝えています。 すさまじい高さの津波だったことが分かります ヤフー・ジャパンのサービス内容には全く触れておらず、「災害はいつかまた、たぶん、いや確実に起きてしまうだろう」「この高さを知っているだけで、とれる行動は変わる」「あの日を忘れない。それが、一番の防災」と、あくまでも防災意識

    16.7メートルの津波は、ちょうどこの高さ―― ヤフーが出した防災広告に絶賛の声
  • 被災地の仮設商店街、客足まばら 人口減で廃業も:朝日新聞デジタル

    「仮設商店街」の約9割が自立できずにいる。売り上げを支えてきたボランティアのほか、地元の人口も減り、経営を断念する事業主も出ている。 宮城県気仙沼市のフェリー乗り場に近い「南町紫市場」。被災地で最大規模の仮設商店街だ。2011年12月、プレハブの長屋7棟に、津波で店舗を失った青果店や居酒屋など約50店が入った。手狭だが、家賃はかからない。 11日の昼すぎ、復興工事の作業員や観光客の人影はまばらだった。4年が過ぎ、通路に置かれた木製のベンチは傷んでいる。 「にぎわいが去り、厳しい」。商店街代表で、「あさひ鮨(ずし)」を営む村上力男さん(74)は話す。 開設からしばらくは、被災地を訪れるボランティアや見学客でにぎわった。 だが、津波で打ち上げられ、大勢の見物客が訪れた全長60メートルの大型漁船が撤去された13年秋ごろから、客足は遠のく。村上さんは「商店街の売り上げは(漁船撤去前の)半分もあるか

    被災地の仮設商店街、客足まばら 人口減で廃業も:朝日新聞デジタル
    kowyoshi
    kowyoshi 2016/02/14
    地元としては震災のトラウマだたんだろうけど、それが客寄せだったとはねぇ>津波で打ち上げられ、大勢の見物客が訪れた全長60mの漁船「第18共徳丸」が撤去された13年秋ごろから、客足は遠のく
  • 東京新聞:東電「津波対策は不可避」 震災2年半前に内部文書:社会(TOKYO Web)

    東京電力福島第一原発事故で、東電が二〇〇八年、同原発について「津波対策は不可避」と記した内部文書を作成し、社内会議で配っていたことが分かった。東京地裁で十八日開かれた原発事故をめぐる株主代表訴訟の口頭弁論後、株主側の弁護団が明らかにした。これまで東電は「大津波を予測できなかった」と主張してきたが、事故の二年半前に対策の必要性を認識しながら、先送りした実態が浮かんだ。 文書は、東電店が作成し、〇八年九月十日に福島第一原発で開かれた会議で配られた。会議では国の耐震安全性評価への対応を店の担当部署と福島第一原発幹部が協議し、当時、同原発所長だった小森明生(あきお)元常務も出席していた。機密性が高い情報として、文書は会議後に回収された。 弁護団によると、文書には、福島第一原発沖合を含む海域で、マグニチュード(M)8クラスの地震津波発生の可能性があるとした政府の地震調査研究推進部(推)の予測

    kowyoshi
    kowyoshi 2015/06/20
    東電って3.11の件について、本当にケジメつけてないんだよなあ。だから再稼働と言われても「は?」となってしまうのよね。
  • 「人は簡単に『忘れてはいけない』という。でもね......」外国人歴史家が体験した3.11 | ハフポスト

    オーストラリアに生まれ、日に40年以上暮らした歴史学者が、2011年3月11日、宮城県で被災した。彼はその日を、そしてそこから4年を、どう過ごし、考えたのか――。

    「人は簡単に『忘れてはいけない』という。でもね......」外国人歴史家が体験した3.11 | ハフポスト
    kowyoshi
    kowyoshi 2015/03/12
    せやな>復興は、東北が東京の植民地であるという、従属関係を組み直して、地域が独自に成り立つように組み替える必要がある。
  • 猟師減:津波で銃失い許可失効 食害ピンチ- 毎日新聞

    kowyoshi
    kowyoshi 2013/12/03
    若い人が狩猟に興味示しても、それを叩く人が湧くしなあ
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