読み方:きくのきせわた 陰暦9月9日、重陽(ちょうよう)の節句に行われた慣習。前夜、菊の花に霜よけの綿をかぶせ、その露と香りを移しとって、翌朝その綿でからだをなでると、長寿を得るといわれた。きせわた。きくわた。《季 秋》
読み方:きくのきせわた 陰暦9月9日、重陽(ちょうよう)の節句に行われた慣習。前夜、菊の花に霜よけの綿をかぶせ、その露と香りを移しとって、翌朝その綿でからだをなでると、長寿を得るといわれた。きせわた。きくわた。《季 秋》
職人/げるびらりあ @gervillaria なぜ鬼がツノが生えたデザインになったのか問題。自然界でツノがある種の多くは食植生であることは某比較解剖学の巨人の言の通り(そして我々はその例外も知っている)。であるならば、人を襲うモンスターに表徴として、鬼にツノが描かれたのは何をモチーフにしたからなのか。 2017-08-17 09:29:38
ロイヤルオンタリオ博物館収蔵のドリームキャッチャー ドリームキャッチャー(英: Dreamcatcher)とは、北アメリカ大陸北部の少数民族オジブワの伝統的な魔除け、装飾品。 柳の枝を曲げた輪に糸を張って蜘蛛の巣に見立て、悪夢を捕らえ防いでくれるよう願った。オジブウェー語のローマ字ではasabikeshiinhと記され、クモまたはクモの巣を意味する。 1960年代から1970年代のパン・インディアン運動により、他の少数民族へ広まったとみられ、先住民族、ファースト・ネーションの文化的アイデンティティーを象徴すると見なされもした。もっとも、現在市場に流通しているアクセサリー商品に対しては、その限りでない模様。 概要[編集] 現在のアメリカ・カナダ国境付近、五大湖周辺で漁労生活を送っていた彼らは、円または涙形の枠でイラクサの繊維を撚り合わせ、漁に用いていた。ドリームキャッチャーはこの作業の中から
「恵方巻(えほうまき)を始めたのは、野田さんですよ!」 広島市の中心街にほど近い、中区舟入地区のコンビニ経営者から聞いたその名前をきっかけに、ここ数年抱いていた「恵方巻の謎」はいっきに氷解した。江戸から明治にかけて関西の風習だった「恵方巻」が、なぜ今、全国的にこれほどまでに生活の中に入り込んでいるのか。それが知りたくて調べてみた。その答えが「野田さん」だった。 「恵方巻」とは、2月3日の節分に、その年の「恵方」(ラッキーな方位)を向いて、黙って願いごとを思い浮かべながら、丸かじり(丸かぶり)して食べる「太巻き」のこと。関西では「丸かぶりすし」とも呼ぶ。戦後いったんは廃れていた風習だ。それが、気が付くと歳時記に組み込まれ、認知度も90%以上になっている。いったい、いつ、なぜ、どのようにして復活して今に至ったのか? 謎解きをする前に、今年(2009年)セブン-イレブン・ジャパン、イ トーヨーカ
発祥は花街?「とりあえず大阪の船場が発祥だということは確かでしょう」 そうBuzzFeed Newsの取材に語るのは、熊本大准教授の岩崎竹彦さんだ。節分の巻き寿司(恵方巻)の研究者で、「フォークロリズムからみた節分の巻きずし」などの論文がある。 フォークロリズムとは、伝統的な民間伝承が、違う文脈で使われるようになることを指す言葉だ。 「もともとは船場の旦那衆が、花街でやっていた遊びでしょうね」 岩崎さんの聞き取り調査などによると、かつては商家の旦那たちが、遊女と巻寿司を使った遊びを楽しんでいたのだという。 それが少しずつ、人々に浸透していったのだろうか。明治末期の大阪で生きた人が残している回顧録などには、「家でそういうことをしていた」という記載もあるという。 いずれせにせよ、恵方巻きの明確なルーツは不明だ。近畿地方の一部に広がっていた風習であり、「伝統行事」と言えるまでではなかったようだ。
場所:岩手県花巻市石鳥谷町 光勝寺 蛇石のある黒岩は北上市 収録されているシリーズ: 『日本の伝説42 岩手の伝説』(角川書店):「黒岩の蛇石」 タグ:竜蛇の封印/竜蛇のわたり 伝説の場所 ロード:Googleマップ 一名「じゃぬめり伝説」と言われる。漢字で書くと蛇蜒蛆(じゃのめり)となるようだ。なんともものすごい字面である。ヌシの邪な竜蛇は、人や牛馬を呑んで害をなすと良く出てくるが、意外と皆あっさりその点は話される。害をなすので「武者が討伐に立ち上がる・高僧が調伏に乗り出す」というこちらの方が話の骨格をなすのである。しかし、中には娘・稚児が呑まれたことそのものの悲劇に焦点を当てた話もある(実は珍しい)。奥州稗貫郡光勝寺の智空法師は怒りにふるえ、大蛇の調伏をはじめる。 昔、石鳥谷(稗貫郡)の光勝寺に大蛇がいて、住職の寵愛していた寺の童子(稚児)を取って食ってしまう。住職は悲しみ、かつ、怒っ
2016年9月10日(土)、國學院大學博物館で開催されている「折口信夫と『死者の書』―生誕130年記念 特集展示」を観てきました。また、ミュージアムトーク「『死者の書』を漫画化するということ」を聴いてきました。大勢の方が集まっていました。 近藤先生の「死者の書」の原画ですが、9月3日~22日を前期、9月23日~10月10日を後期として2回に分けて各20枚ずつ展示されます。今回は上巻から20枚。展示には書籍のページと原作の該当ページが添えられています。 展示原画:冒頭のカラー4ページ分/第1話扉からp12までの6枚/p36~37/p40~41/p68~69/p84~85/p156~157 14時から博物館のホールではミュージアムトークが始まりました。数々のイベントで登壇されてきた近藤先生ですが、必ず聞き手がいらっしゃって、対談形式をとっておられました。今回おそらく初めて「一人での講演会」との
⅃ЯAƎ⊿せかんどらいふすたあと @DrMagicianEARL 【背景・目的】ザシキワラシの文献での初出である柳田国男『遠野物語』は佐々木喜善の語りを書き起こしたものである。佐々木による多数のザシキワラシの逸話が『奥州のザシキワラシの話』にまとめられている.これらの逸話にLevy小体病の幻覚との類似点があるかどうか検討した. 2016-08-15 17:26:44 ⅃ЯAƎ⊿せかんどらいふすたあと @DrMagicianEARL 【方法】民俗学的史料への病歴に準じた分析にあたり条件を設定した.パーキンソン病でみられる幻視の特徴を参考に,覚醒時or睡眠時の別,周囲の環境の別が特定もしくは推察できる記述のあるもの,また,「言い伝え,昔話である」と明記されておらず,ザシキワラシの経験者が特定できる逸話のみを抽出 2016-08-15 17:30:46
東京都江東区東砂・陶首稲荷の土公神 土公神(どくしん・どこうしん)とは、陰陽道における神の一人。土をつかさどるとされ、仏教における「堅牢地神」(けんろうちしん=地天)と同体とされる。地域によっては土公様(どこうさま)とも呼ばれ、仏教における普賢菩薩を本地とするとされる。 土をつかさどるこの神は、季節によって遊行するとされ、春はかまど(古い時代かまどは土間に置かれ、土や石でできていた)、夏は門、秋は井戸、冬は庭にいるとされた。遊行している季節ごとにかまどや門、井戸、庭に関して土を動かす工事を行うと土公神の怒りをかい、祟りがあるという。 また、土公神はかまどの神(かまど神)ともされ、かまどにまつり朝晩に灯明を捧げることとされる。この神は、不浄を嫌い、刃物をかまどに向けてはならないとされる。 関連項目[編集] 暦 土用 犯土 かまど神 三宝荒神 土用の間日 方位神
怠け者の子どもたちを探しに地上に降りてくる神々。村人たちが豊穣を願って水をかける、わらに覆われた若者。鬼の面をつけて家々を回る神々。これらの住んでいるところが「妖怪の島、ニッポン」。写真家のシャルル・フレジェ氏が築いた想像上の世界だ。 異界から来たとされる彼らは、日本の民間伝承に古くからあり、日本各地でそれぞれ決まった時期に現れる。だが、フレジェ氏はそうした祭事の様子を撮るという民俗学誌のような描写には興味がない。「私は人類学者ではありませんから」と彼は言う。むしろ祭りの面や装束といった視覚的な側面に着想を得て、全く新しい見せ方を打ち出した。フレジェ氏が選んだ背景の中で、それぞれの仕草や姿勢を取ってもらったのだ。
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