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戦争に関するnamiskのブックマーク (2)

  • 婆ちゃんに戦争の話聞いてきた

    今年87歳になった婆ちゃんに、 正月、田舎帰った時に戦争の話を聞いてきた。 当時「この世界の片隅に」のすずと、 同じような年齢で戦争を経験した婆ちゃんに当のところは、 どうだったのかなと聞いてみたいと思ったのがきっかけだった。 婆ちゃんは7人兄弟の三女。 婆ちゃんのお母さんは、早く亡くなっていて 物心ついたころには、後としてきたお母さんに育てられたそうだ。 婆ちゃんが子供のころは婆ちゃんのお父さんは事業に成功していたらしく 家にはお手伝いさんが何人もいたらしいのだが、 戦争前に事業に失敗。 家は途端に貧しくなったらしい。 たまたま勉強が優秀だった婆ちゃんは、 小学校の先生が何度も何度も婆ちゃんの家に来て 婆ちゃんを女学校に入れて欲しいと、お父さんを説得したそうだ。 当時はまだまだ少なかった奨学金の話を持ってきてくれたり、 授業料免除の手続きなどをするなど、 当に熱心に動いてくれたらし

    婆ちゃんに戦争の話聞いてきた
  • あの戦争を生き残った私からあなたへ(飯田進)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    あの戦争とは何だったのか。 あれが「防衛のための戦争」であったという見方は根強くある。しかし他方で、あれが「侵略戦争だった」と言われれば、そう思われる歴史的な筋もないことはない。 そのように世の中を二分するような全く異なる見解があるとき、正邪を軽々しく論ずるわけにはいかない。いずれの立場にも考えがあり、部分的に見ればそれぞれの主張には論拠があるからだ。あの戦争の背景にはかなり複雑な要因があった。それは、70年の時を経た今なおそう思う。 一口に言えば、日人はそもそも浮き上がっていた。それは誰も否定できないはずだ。 私もその中の一人である。1941年の末に太平洋戦争が始まり、まだ20歳にも満たなかった感受性の強い時分の私は、いわゆる「興亜青年」のはしくれだった。「日は神国である」という極めて単純な考え方──あまりに神がかり的で、独善的な思想がその背景にあった。 そもそも日の近代とは、欧米

    あの戦争を生き残った私からあなたへ(飯田進)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ
    namisk
    namisk 2016/01/02
    真面目な人間が熱心に非人道的な行為をしてしまう、集団に取り込まれることの恐ろしさ。ナショナリズムを煽る言説が力をもつ現在、私たちも壁厚き部屋をもちたい。
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