石丸元章 『危ない平成史』 #01 絶望から始まり絶望で終わった平成の音楽産業・前編 Guest|sinner-yang a.k.a. 代沢五郎 from O.L.H. GONZO作家・石丸元章が異形の客人と共に平成の「危ない」歴史を語り合う。第一回のテーマは音楽産業。ゲストはX-RATEDノワールファンクバンド〈Only Love Hurts a.k.a. 面影ラッキーホール〉の主催者・sinner-yang。 平成前期のアンダーグラウンドに異形の花を咲かせたバッドテイスト・カルチャー。その立役者のひとりであるGONZO作家・石丸元章が、毎回、ひと癖もふた癖もある客人を招いて、過ぎ去りし平成の「危ない歴史」を(曇りまくったサングラス越しに)振り返らんとする当シリーズ。記念すべき第一回のテーマは音楽産業史、ゲストはX-RATEDノワールファンクバンド〈Only Love Hurts a.k
ロック歌手で映画俳優としても活躍した内田裕也(うちだ・ゆうや、本名内田雄也)さんが17日5時33分、肺炎のため、東京都内の病院で死去した。79歳。兵庫県西宮市出身。17年11月に脱水症状で倒れてから車椅子生活を余儀なくされていた。18年9月15日に妻で女優の樹木希林さん(享年75)に先立たれ、喪失感が消えない中での死となった。都知事選出馬など常に話題を提供し続けたロック界のカリスマだった。葬儀は近親者のみの家族葬で執り行い、後日お別れ会を執り行う。 【写真】内田裕也さん死去を報じるスポニチ1面 希林さんの死から半年、波乱に満ちた“ロケンロール人生”に幕が引かれた。年明けから体調が悪化し、17日に天に召された。1995年に俳優の本木雅弘(53)と結婚した長女の也哉子(43)らが裕也さんの遺体に寄り添った。 晩年は病気やケガと闘う日々が続いた。16年11月に英国ロンドンのホテルの浴室で転倒し、
kentarotakahashi @kentarotakahash つかね、1970年前後に、アメリカのブラック・ミュージシャンが7thコードを使わなくなり、突然、メジャー7thを好むようになるのよ。あの時、どういうケミストリーがあったのかについては、まだ探求すべきことが残っている気がする。 2012-05-02 00:01:39
突然、NHKから流れる緊急地震速報。「チャラン、チャラン、緊急地震速報です。強い揺れに警戒してください」。これを聞いて、8年前の東日本大震災を思い出す方も多いのではないだろうか。速報が流れれば、直後からSNSには〈地震よりあの音が怖い〉〈音がトラウマになるレベル〉なんて声も散見される。耳にするたびに、“怖い”と感じるこの音。生みの親である人物に、緊急地震速報が“怖い音”である理由を聞いてみた。 *** NHKの緊急地震速報チャイムの作曲者は、福祉工学のパイオニアである東京大学名誉教授の伊福部達(いふくべとおる)氏だ。伊福部という珍しい名字にピンとくる人ならご存知、あのゴジラ音楽の作曲者である、故・伊福部昭(あきら)氏の甥にあたる人物である。 東日本大震災のときは、水爆から生まれたゴジラと原発事故とを結びつける、緊急地震速報チャイムの世代を超えた奇縁が話題にもなったが、 「東日本大震災のとき
自分で作詞・作曲した楽曲なのに、使用許諾を拒まれて、ライブが開けず、精神的苦痛を受けたとして、シンガー・ソングライターの、のぶよしじゅんこさんら3人が、JASRAC(日本音楽著作権協会)を相手取り、計385万円の損害賠償をもとめる訴訟を東京地裁に起こした。1月11日、第1回口頭弁論が開かれて、JASRAC側は請求棄却をもとめた。このあと弁論準備に入るが、ミュージシャンによる提訴は異例ということだ。はたして訴訟のポイントは何だろうか。 ●ライブを開けなかったミュージシャン 訴状によると、のぶよしさんは音楽出版社を通じて、自分が作詞・作曲した楽曲の著作物管理契約をJASRACと結んでいる。のぶよしさんが2016年5月、東京・八王子市のライブハウス「X.Y.Z.→A」でライブを開催するために、オリジナル曲6曲を含む12曲の演奏申し込みをおこなったが、JASRACに拒否されて、ライブが開けなかった
マーヴィン・ゲイの72年ロスト・アルバム『You're The Man』が公式リリース決定、1曲試聴可 マーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye)が1972年にリリースを予定していたものの、お蔵入りとなっていたロスト・アルバム『You're The Man』。モータウン・レコードからオフィシャル・リリース決定。海外で3月29日発売。アナログレコード2枚組版とデジタル版でリリースされます。 1971年アルバム『What's Going On』の次回作としてレコーディングされましたが、当時はシングル「You're The Man」だけがリリースされました。このレコーディング・セッションで録音された残りの大半のトラックは、後に様々なデラックス・エディションやコンピレーション・アルバムでリリースされていますが、もともと予定していたアルバムという形で集められたのはこれが初めて。 アルバム『You'r
アレサ・フランクリンのコンサート・ドキュメンタリー映画『Amazing Grace』 ついに公開へ、トレーラー映像あり アレサ・フランクリン(Aretha Franklin)のコンサート・ドキュメンタリー映画『Amazing Grace』、ついに公開へ。トレーラー映像が公開されています。 1972年1月に米ロサンゼルスの教会で行われたコンサートの模様を収めたライヴ・アルバム『Amazing Grace(邦題:至上の愛〜チャーチ・コンサート〜)』。ドキュメンタリー映画『Amazing Grace』はこのコンサートの模様を撮った作品で、監督は『トッツィー』『愛と哀しみの果て』などで知られるシドニー・ポラック。20時間以上もの映像を撮ったようですが、映像と音声を同期するために必要なカチンコを一切使用していなかったと言われており、そのため、編集がうまく出来ずに、結果的にお蔵入りとなっていました。
レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)の楽曲の中でデジタル時代に一番聴かれている楽曲は? 米ビルボード誌は、バンドの楽曲がダウンロード・ストアで最初に入手可能になった2007年11月から2018年7月12日までの間に、iTunesなどのダウンロード・ストアやSpotifyなどのストリーミングサービスでダウンロード/ストリーミングされたことによって生み出された収入に基づいて、レッド・ツェッペリン楽曲94曲をランク付けしています。 以下はTOP10 1. "Stairway to Heaven" ($2,903,223.42) 約3億1400万円 2. "Kashmir" ($1,421,130.32) 約1億5400万円 3. "Immigrant Song" ($1,306,140.94) 約1億4100万円 4. "Black Dog" ($1,167,232.19) 約1億2
イギリス、ロンドン・ブライトンでの公演『Haruomi Hosono+Acetone Light in the Attic』、『HARUOMI HOSONO LIVE AT THE OLD MARKET』、映画『万引き家族』のオリジナルサウンドトラックの制作、2018年11月から2019年2月まで開催される全国ツアーなど精力的な活動を継続している細野晴臣。次のアクションはなんと、1973年のソロデビュー作『HOSONO HOUSE』のリメイクアルバム『HOCHONO HOUSE』。すでに収録曲「薔薇と野獣(new ver.)」がリリースされ、打ち込みをベースにした斬新なトラックに大きな注目が集まっている。 リアルサウンドでは、リメイクアルバムを制作中の細野にインタビュー。制作のプロセスで実感したという“20数年ぶりのサウンド的大変革”を軸にしながら、現在の細野のモードを探った。(森朋之)
190センチ以上もある長身に長い髪、清潔感あふれる白いシャツにダーク・スーツや黒いジャケットを身に着け、常にエレガントな雰囲気を漂わせていたニック・ドレイク。 憂いのある魅力的な声だけでなく、彼の奏でるギターにも定評があった。独自のチューニングで五本の指から複雑に、そして繊細に、しかし力強く奏でられるギターについては、学生時代の友人を始め、レコーディングを共にしたミュージシャンの誰もが、その技術の高さと正確さを絶賛している。 そんな彼の様子が変わり始めたのは、1970年に2ndアルバム『ブライター・レイター』を発表してからだ。 1stアルバムの商業的失敗を払拭しようとニックが強い思いを持って臨んだこのアルバムを、プロデューサーのジョー・ボイドやアイランド・レコードは高く評価していた。しかしそれとは対照的に、ニックは全体のアレンジが少し華やか過ぎたとして、あまり満足していなかったという。 前
1969年から1972年の3年間にたった3枚のオリジナルアルバムを遺して、26歳の若さで夭折したイギリスのシンガーソングライター、ニック・ドレイク。 その歌声は、少し憂いを帯びて儚げでありながら親密さも感じられ、聴く者の心をすぐさま虜にしてしまう魅力がある。 彼の音楽は近年になってますます再評価が高まっているが、その短いキャリアと生涯については謎が多い。そんな彼の人物像に迫ろうと、パトリック・ハンフリーズは2005年に「ニック・ドレイク~悲しみのバイオグラフィ」を著した。 パトリック・ハンフリーズは、ボブ・ディランやブルース・スプリングスティーンについての著書もある音楽ライターで、彼もニック・ドレイクの音楽に魅了された一人だ。 1974年に26歳で生涯を閉じたニック・ドレイクの一般的なイメージは、鬱病に苛まれ、深い悲しみに縁取られていた。口数の少なかったニックは、インタビューでの証言や書き
Home Extra便 イギリスでも無名だったクイーンを日本で売り出すことを決めて意欲を燃やしたプロデューサー・渡邊晋の慧眼 - TAP the POP クイーンが本国のイギリスでデビューしたのは1973年7月だったが、シングル「炎のロックンロール」もアルバム『戦慄の王女』も、マーケットではほとんど反応がないままメディアからは酷評されてしまった。 しかしまだアルバムが発売になる直前の5月の段階で、その後の彼らの運命にも影響を与えたふたりの日本人が、本人たちの預かり知らないところで、日本における売り出し方に思いをめぐらせ始めていた。 ことの発端となったのは拡大する日本の音楽マーケットに関して、渡辺プロダクションの創業者で社長だった渡邊晋と、副社長で夫人の美佐のもとへ、欧米のレコード会社や音楽出版社、アーティストのエージェントなどから様々な共同事業の提案が持ち込まれていたことだった。 渡辺プロ
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