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アタリショックと歴史に関するTakahashiMasakiのブックマーク (5)

  • アタリショック論appendix 1982年12月8日に何が起きたのか: Runner's High!

    WCI社(筆者注:ワーナー・コミュニケーションズ)は八十二年十二月、アタリ社家庭用の急激な業績悪化を示す第四・四半期(十 - 十二月期)の業績予想を発表したことで、その株価が暴落した。米国家庭用市場が急激に後退し始めたのが原因で、ニューヨーク証券取引所で語り継がれることになる、「アタリショック」が起こったのだ。 ―― 『それは「ポン」からはじまった』 (05年)[1] 1982年12月に、アタリの親会社であったワーナー・コミュニケーションズの株価が急落したことは、アメリカの家庭用ゲーム市場崩壊を象徴するエピソードとしてよく知られている。 上に引用した『それは「ポン」からはじまった』のみならず、元々「アタリショック」とはワーナーの株価暴落を指す言葉であったかのように説明している文献も少なくない。(ただし別稿でも述べたが、当時のアメリカで「アタリショック」との言葉が使用されている実例は見出すこ

    アタリショック論appendix 1982年12月8日に何が起きたのか: Runner's High!
  • アタリショック論(3) 1983年のピットフォール: Runner's High!

    ○Atari 2600 - Pitfall! (AtariAge) 『ピットフォール!』は信じられないほど斬新で、アクティビジョンの名を一躍知らしめんばかりの独自性と高いプレイ性を有したゲームである。疑いの余地なく、おすすめだ。 ―― 『Electronic Games』82年12月号のレビューより ■前回の記事はこちら。 ■アタリショック関連記事のまとめはこちら。 アメリカでは、日よりもいち早く家庭用テレビゲームブームが起きていた。アタリ社から発売されたVideo Computer System=VCSが毎年数百万台規模で売れるという大ブームになっていた。ゲーム市場が急速に膨らんだため、さまざまなソフトハウスがこぞってVCS用のソフトを開発し、それがさらにVCSの売り上げに貢献するという好循環が続いていた。 しかし、アタリ社ですら、どのようなソフトが発売されているのかわからないほどゲー

    アタリショック論(3) 1983年のピットフォール: Runner's High!
  • アタリショック論(2) サードパーティの誕生: Runner's High!

    私がジム・レビーと出会ったのは、1980年1月にラスベガスで開催された家電見市だった。彼はアラン・ミラー、ボブ・ホワイトヘッドと共にアクティビジョンの設立を発表したのだ。 私は、彼を愚かだと思った。 既にアタリ自身が数多くのゲームソフトを供給しているのに、さらにゲームを必要とする消費者が居るとは想像できなかった。消費者はアタリのゲームとアクティビジョンのゲームを、グラフィックで区別することなどできないだろう。そして、今までに聞いたことがないメーカーのゲームに、小売価格で3~5ドル余計に支払う者が居るとは思えなかった。 ―― マテル・トイ社のマーケティング担当重役を務めたマイケル・カッツの回想 [1] ■前回の記事はこちら。 ■アタリショック関連記事のまとめはこちら。 アタリ社は『アタリ2600VCS』の技術仕様を公開しており、多少のプログラミング技術があれば誰でも『アタリ2600VCS』

    アタリショック論(2) サードパーティの誕生: Runner's High!
  • アタリショック論(1) 「アタリショック」とVideo Game Crash: Runner's High!

    No single event caused the crash, just as no single event sank the Titanic. タイタニック号が沈没した原因が一つではないように、市場崩壊の原因は一つではない。 ―― 『Classic 80's Home Video Games』 (08年) ■前回の記事はこちら。 ■アタリショック関連記事のまとめはこちら。 アタリショックとは、1982年のアメリカ合衆国においての年末商戦を発端とする家庭用ゲーム機(パソコンゲーム市場を含まない)の売上不振「Video game crash of 1983」のことである。 ―― ○アタリショック 『ウィキペディア(日語)』 アメリカの家庭用ゲーム市場崩壊を語る上で避けて通れないのが、我が国で広く使われている「アタリショック」との呼称の由来と、その定義の変遷である。 「アタリショック」

    アタリショック論(1) 「アタリショック」とVideo Game Crash: Runner's High!
  • アタリショック論序説: Runner's High!

    ビデオゲーム産業の形成過程を考察する上で、1980年代のアメリカに起きた家庭用ビデオゲーム市場の急激な崩壊は特筆すべき出来事である。 テレビ受像機を利用する据置型家庭用ビデオゲーム機の歴史は、1972年にマグナボックス社より発売されたオデッセイに遡る。 以後、70年代から80年代初頭にかけて、高い成長性と収益性を予見した企業が数多く参入し、技術開発と販売競争を積極的に推し進めた。その結果、家庭用ビデオゲーム産業は、単なる娯楽玩具の域を超えた一大産業へと発展していく。 アメリカの家庭用ビデオゲーム産業が最盛期を迎えたのは1982年である。市場規模は30億ドルに達した。しかし、翌1983年から1984年にかけて急激な縮小へと転じる。そして遂に、1985年の家庭用ビデオゲームの市場規模は、1億ドル以下にまで落ち込む。 アメリカの家庭用ゲーム市場の崩壊を指す言葉として、我が国では「アタリショック」

    アタリショック論序説: Runner's High!
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