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小谷野敦に関するTakahashiMasakiのブックマーク (67)

  • 「武士の一分」のクズ「武士の一分」のぶり - 猫を償うに猫をもってせよ

    山田洋次の、藤沢周平原作の三部作(といっても事後的に三部作にしただけだろうが)と言われる「武士の一分」をDVDで観たが、ひどく疑問が残った。毒見役をしている武士が、藩主の事に入っていた貝の毒がもとで失明するのだが、これで今後の生活をどうするのか、などと親戚が集まって協議し、は夫の上司に身を任せて、禄をそのままにしてもらうようにし、夫はそれを知ってを離縁するが、実はその上司は何もしておらず、藩主の裁定で身分が守られたと知って、盲目の身で果し合いをする。 だが、毒見役をしていて毒にあたって失明した武士の禄を取り上げる家中などというものがあるだろうか。そんなもの、普通に考えたって、仕事の上での事故なのだから、むしろ褒賞があってしかるべしである。どうやら山田洋次は、徳川時代というのはよほどひどい時代だとでも思っているらしい。 確かに、藤沢の原作にも、それに当たる箇所はあるが、描き方が全然違う

    「武士の一分」のクズ「武士の一分」のぶり - 猫を償うに猫をもってせよ
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    顔に見える?最近「送水口」が気になるという話 「送水口」が気になる今日この頃 最近街中で気になる存在、それがこの「送水口」です。地上のフロアが7階以上あるビルなど、一定の条件を満たした建築物には設置が義務付けられているもので、火事が発生したフロアにただちに水を送るために使われるものです。ポンプ車…

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    うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かししてを読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…

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    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2007/07/09
    先生のはてダの由来はこれ?
  • なぜ片仮名書きする? - jun-jun1965の日記

    前から気になっていたのだが、なぜ「モテない」と片仮名書きするのだろう。私は片仮名書きしたことはない。なっていたとしたら、文責・取材者である。どうも片仮名書きだと、嘲弄しているような、頭が悪いような印象を受ける。 さて、渡部伸の『中年童貞』を買った。私のが八冊も参考文献にあがっていて、ありがたいことである。ヨコタ村上のもあるが。 著者の言っていることの根幹、つまり恋愛は誰にでもできるものではない、というのは私と同じだ。もっとも、それを「資主義」に結びつけるのは、どうか。もう少しロマンティック・ラブ・イデオロギーの構成要素は複雑だと思う。民主主義とか平等思想とか、「愛のないセックスはいけない」思想とか。 ところでこのには、著者の学歴が書いていない。大卒であることは文中の記述から分かるのだが、大学名がない。もしかすると「渡部伸」というのは筆名で、半分匿名の方なのだろうか。もう一つ、奥付には

    なぜ片仮名書きする? - jun-jun1965の日記
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2007/07/04
    小谷野先生が「中年童貞」を評
  • 小谷野敦氏の結婚報告を受けて非モテの人が裏切りだ!と言わないのはなぜか? - ARTIFACT@はてブロ

    初婚ではなくて、今回は再婚なんだから、そういう前提をもって、小谷野氏の言説を認識している人が多いのでは? 確か初婚の時はそういう「裏切ったな!」みたいな意見はあったと思う。あと、小谷野氏はブログで非モテな話をあまり書いてないというのもありそう。

    小谷野敦氏の結婚報告を受けて非モテの人が裏切りだ!と言わないのはなぜか? - ARTIFACT@はてブロ
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2007/07/01
    小谷野先生は「結婚」は認めているんですよ(「もてない男」最終章や「恋愛の超克」参照
  • おめでとう小谷野敦さん - 他山の石書評雑記

    最新の『婦人公論』で、小谷野敦さんが過去の恋愛体験談を書いている。文章の終わりで、結婚したことを報告している。21歳下の女子大学院生で、ブログで出合ったとのこと。 女子大学院生はブログ上で演劇や美術展の批評を書いており、それを見た小谷野さんがアプローチをしたようである。 先の離婚後、小谷野さんは結婚相談所出会い系サイトに挑戦したものの、連戦連敗だった。諦めていたところ、21歳年下の女性に出会ったとのことだ。 小谷野さんは、今年1月1日付のブログで、結婚の可能性の低さを嘆き、「私は宮台真司に負けた」とまでおっしゃっていた。http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070101 正月から非モテぶりを見せ、小谷野さんらしさを見せていたものの、鮮やかな「裏切り」である。 興味深いのは、小谷野さんがネット恋愛をしたということだ。渋井哲也さんの『ウェブ恋愛 (ちくま新書

    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2007/06/27
    (雑誌未確認
  • 「逆ギレ」の濫用 - jun-jun1965の日記

    最近、「逆ギレ」という言葉が濫用されている。まあ、といっても「逆ギレ」自体が流行語なのだが、これは来、AがBを叱責したりしている時に、当初は、すみません、などと低姿勢だったBが「なんでそこまで言われなきゃならないんだ」と怒り出すといった状況で使われる言葉だった。 ところが最近では、別にそういう状況でもないのに、誰かが、人から何か問われて、いくぶん攻撃的な口調になるだけで「逆ギレ」というようになってしまった。 たとえば、全面禁煙などとバカなことになっている地上駅のプラットフォームで私が喫煙していて駅員が注意しても、私は最初から「なんでいけないんだ」と怒るから、「最初は低姿勢」という条件に当てはまらないが、まあ駅員としては「逆ギレ」と言ってもおかしくはあるまい。 - 似た例で、往年の「根クラ」がある。これはタモリが言い出したもので、「見た目は明るいが根が暗い」の意味だったのに、たちまち、見た

    「逆ギレ」の濫用 - jun-jun1965の日記
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2007/06/22
    "往年の「根クラ」がある。これはタモリが言い出したもので、「見た目は明るいが根が暗い」の意味だったのに、たちまち、見た目からして暗い、という意味に変わってしまった"
  • 城山三郎、逝く - jun-jun1965の日記

    城山三郎氏が亡くなったようだ。前からたびたび、ぼけていると指摘していたが、ぼけたまま長命を保ったりせず、幸いだったと思う。 http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20060818 http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20061231 ところで城山三郎、名杉浦英一は経済学者だったが、マルクスではない。で、一時は何となく右翼っぽく思われていたが、晩年はむしろ左翼っぽかった気がする。 −−−−−−−−−−−−−−−−− 別に城山を批判するわけではないのだが、「死者に鞭打つ」とよく言うが、考えてみたら、死者は鞭打たれても痛くも痒くもないのだから、これが特にひどいことのように言うのは間違いだろう。もっとも、死んでしばらくたてば「死者に鞭打つ」とは言わないのだから、これは家族や友人の、死んで悲しいという思いを忖度して言われる言葉なのだろう

    城山三郎、逝く - jun-jun1965の日記
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2007/03/24
    "たとえば「いじめにあって自殺」すると、世間は騒ぐ〔略〕だが、「いじめにあっている。助けてくれ」と言っても世間は騒がない。「強くなれ」とか無責任なことを言うだけである。"同感です
  • Yahoo!ブログ - 40過ぎて独身で(断じて言い訳ではない) - 素晴らしき愚民社会

    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2007/02/06
    (すばらしき じゃなかったか
  • いじめっ子に「愛」はあるか - jun-jun1965の日記

    私は『恋愛の昭和史』以来、「愛」とかラヴとかいう言葉は、人類愛や博愛に限定して使われるべきで、男女の愛とか家族愛とか、排他的な感情には使うべきではなかった、この二つをごっちゃにした西洋人が間違っていた、と言い続けている。 これを「いじめっ子」に当てはめるとよく分かる。いじめっ子でも、母親を「愛」していたり、恋人を「愛」していたりするだろう。ヒトラーだってエヴァ・ブラウンを、毛沢東だって江青を「愛」していただろう。だが彼らには人類愛や博愛はなかった(ただし毛は「文藝講話」で、異なる階級間に「愛」はないと言っている。もっとも、同じ階級だから「愛」があるとも限らない)。 「なぜ自分の家族には愛情深い人なのに、他人には冷酷なのか」というような問題も、この二つの「愛」を混同しているところから起きる。自分の周囲の人間を慈しんだりかわいがったりするのは、そも「愛」と呼ぶべきではないのである。

    いじめっ子に「愛」はあるか - jun-jun1965の日記
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2006/12/25
    "「なぜ自分の家族には愛情深い人なのに、他人には冷酷なのか」" "この二つの「愛」を混同しているところから起きる。自分の周囲の人間を慈しんだりかわいがったりするのは、そも「愛」と呼ぶべきではない"
  • http://blog.goo.ne.jp/amakara_2006/e/e72130d72abc949bfd728091801a824f

  • 猫を償うに猫をもってせよ

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    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2006/09/07
    "ハイパーメリトクラシーって、ダンバインじゃあるまいし"小谷野先生…
  • Bruckner05: 何も間違っていなかった小谷野敦氏

  • 種は尽きまじ - jun-jun1965の日記

    恐らくこれからも、次々と新手のバカが現れて、遊女は聖なるものだったとか言い続けるのだろう。『別冊歴史 歴史の中の遊女・被差別民』を見つけてそう思った。今のところ、私に批判されているのを知っているのか知らないのか、たぶん知らないのだろうほとんどまだらボケの沖浦和光(79歳)と、もともと頭の悪い朝倉喬司あたりが中心だが、確信犯・田中優子は、吉原はディズニーランドだテーマパークだと、相変わらずの大ボケぶりで、吉原は今でもあります。川崎堀之内も札幌ススキノも神戸福原も岐阜金津園もありますが、それが何か? 佐伯さんはいなくて、ほっとする。 しかし、大月隆寛から「稀代のバカ」と聞いた大阪外国語大学教授・森栗茂一は、『恋愛の超克』で私が徹底批判して、その後おとなしくなったと思っていたら、相変わらずのバカぶりを発揮している。こんなのが合併で阪大教授になるのかと思うと暗澹たる気分だよなどと、未だに大学に

    種は尽きまじ - jun-jun1965の日記
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2006/09/02
    セックス系バカ学者批判
  • 猫を償うに猫をもってせよ

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    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2006/08/27
    "そういう意味では、ペットを閉じ込めているお前ら、みんな虐待してるんだよ"じっさいそのとおりかもしれません
  • 「悲望」批評総括 - jun-jun1965の日記

    文藝雑誌は毎月七日発売である、などということは多くの人は知らないだろう。『文学界』と『群像』に「悲望」評が出たので、所感(弁明?)を述べておきたい。それにしても、雑誌に何かが載っただけでいろいろ評してもらえるというのは、小説家というのはずいぶん甘やかされているんだな、と思った。ただ全体に対して何か言うのは時期尚早あるいは不要なので、気になった箇所だけ触れる。 『文学界』の「新人小説月評」は、森孝雅と福嶋亮大。森は、甘んじて受けると言っておいた、小説になっていないという評。しかし、「もう少し時間をおいて、作品として差し出すことはできなかったのか。あるいは、どうしても今、これを書かねばならない事情があったのか」と結ばれているが、別にワインではないのだから時間をおけば小説になるというものではないと思う。小説になっていないとすれば、私に才能がないからに過ぎない。あれは十年くらい前に書いて、二年ほど

    「悲望」批評総括 - jun-jun1965の日記
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2006/08/08
    "今どき、こんなきれいごとの嘘を言う奴が『群像』には棲息しているのか。ロラン・バルトが聞いたら呆れ返るだろう"小谷野先生!
  • 加藤典洋よ、お前は既に死んでいる - jun-jun1965の日記

    前に『文学界』に連載していた「文壇から遠く離れて」は、『反=文藝評論』(新曜社、二○○三)に収められているのだが、その中の「虚構は『事実』に勝てるか」という章の最後で、私は「想像力」という語の安易な用い方を反省すべきではないかと書いておいた。この語はサルトルが用いたのを、日では大江健三郎が盛んに使って広まった。「他者」という語もサルトル由来で、こちらは江藤淳によって広められた。この二つを合わせて「他者への想像力の欠如」といえば、今では手垢にまみれた言葉である。それを、加藤典洋が『朝日新聞』の文芸時評(七月二十五日夕刊)で使っていたから、今さらながら加藤の鈍感さに驚いたのだが、想像力なるものは、人に冤罪を着せるためにも使われるし、あらぬ噂をたてる場合にも使われる。重要なのは事実ではないか、と私は書いた。 さて加藤は、私の「悲望」をとりあげて、「相手の女性が感じただろう恐怖と不安への想像力が

    加藤典洋よ、お前は既に死んでいる - jun-jun1965の日記
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2006/07/30
    "文藝というのは、倫理を説く場所ではないし、少なくとも凡庸な道徳を代弁するものではないだろう"昔のゴー宣でもそのような主張がありましたの
  • 【喪】「誰でも恋愛ができる」というのは幻想【男】

    【喪】「誰でも恋愛ができる」というのは幻想【男】 1 名前:依頼820@記憶たどり。φ ★ :2006/03/26(日) 21:42:15.82 ID:???0 ? ■「恋愛は誰にでもできる」という幻想を捨てよ  人間には遺伝や環境によって形成された、能力の差があります。だから努力したから といって、誰もが東大に入れるわけではないし、マラソン選手になれるわけでもない。 これと同じように、いくら努力しても恋愛ができない人はできない。  他人と意志疎通を図るために、言葉をしゃべったり文字を書くことは大抵の人ができ ます。けれど恋愛にはもう少し高度なテクニックが必要で、「ロミオとジュリエット」 にはできても、普通の人にはできないんです。  そもそも「全員が恋愛をする」という考えが広まったのは近代に入ってからのこと。 徳川時代には恋愛なんてしない人の方が多かったんですから。  よく雑誌に書いてある

    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2006/07/28
    小谷野先生!(2ch某板の再録
  • 「切通理作『失恋論』トークセッションシリーズ」

    いつもサイト「KADOKAWAオフィシャルサイト」をご利用いただき、ありがとうございます。 2013年10月1日に子会社9社を吸収合併し、新生KADOKAWAがスタートいたしました。 アスキー・メディアワークス、エンターブレイン、角川学芸出版、角川書店、角川マガジンズ、中経出版、富士見書房、メディアファクトリーの商品・提供サービスにつきましては、これまでKADOKAWAオフィシャルサイトとともに、各ブランドページでもご覧いただいておりましたが、今後KADOKAWAオフィシャルサイトにて商品・提供サービスをご覧いただけますようお願い申し上げます。 KADOKAWAオフィシャルサイト 商品・提供サービスに関するご質問やお問い合わせにつきましては、引き続きKADOKAWAオフィシャルサイト内の「お問い合わせ」をご利用ください。 KADOKAWAお問い合わせ 今後ともサイトを宜しくお願い申し上

    「切通理作『失恋論』トークセッションシリーズ」
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2006/07/11
    "小谷野 私は30すぎまで、女の人とつきあったことがないんです。ないんだ! デートしたこともない!"小谷野先生!!
  • 『悲望』小谷野敦: Lエルトセヴン7 第2ステージ

    『文學界』8月号掲載。目次には「創作」とあって、あれ? と思うが、じっさいに読んでみて、『悲望』が小谷野敦にとっての、はじめて発表された小説であることがわかった。個人的には、小説家になりたかったが才能がないためになれないことを悟った、という、いくつかの文章に書かれてある断念こそが、小谷野の批評性を支えているひとつの柱であると考えていたので、いささか複雑な気持ちでページを繰っていたのだけれども、いや、これがなかなかに読ませてくれる内容であった。おそらく若かりし頃の小谷野の、その実体験に基づくエピソードが、藤井というフィクショナルな人物に仮託され、記述される。大学院時代よりの片想いを捨てきれず、留学先のカナダにまで追いかけてきた篁響子から、藤井に一通の手紙が届く。そこに書かれていたのは、徹底的な拒絶の態度であった。1990年11月19日のことである。〈私は暗い道をどこまでも歩いたが、闇は深まる

    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2006/07/10
    小谷野先生の小説(らしい 評