今回の主役は源義経です。 義経は衣川で奥州藤原氏の襲撃を受けて自害したことが史実になっていますが、実は生きのびて東北・北海道から中国大陸に渡ってジンギスカンになったという伝説があることは衆知のことかと思います。 しかし、この「義経=ジンギスカン伝説」が比較的近年にうまれたものであることを知る人は意外に少ないのではないでしょうか。 最初に唱えたのは江戸後期に来日したあのシ-ボルトで、大正の終わり頃に一般的なものとなりました。 義経=ジンギスカン伝説が受け入れられた背景には実は中国大陸の利権を狙う当時の日本の社会的な風潮があったとされています。つまり、大陸に渡って開拓を進める日本人を鼓舞するために、かつてユ-ラシアを支配した偉大な先祖(つまりジンギスカンとなった義経のことです)がいたことにしようとしたのです。 この小展示では室町から江戸時代までに義経伝説がどのように形成され、さらにジンギスカン
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『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)は、古史古伝の一つで、古代における日本の東北地方、特に現在の青森県のほか岩手県、秋田県を含む北東北[1]などの知られざる歴史が書かれているとされていた、いわゆる和田家文書を代表する文献。ただし、学界では偽作(偽書)説が確実視されており、単に偽作であるだけでなく、古文書学で定義される古文書の様式を持っていないという点でも厳密には古文書と言い難いと言われている[要出典]。しかし関係者の間では「古文書」という呼び方が定着しているため、本項目もそれに従うことにする。 内容[編集] 『東日流外三郡誌』は、青森県五所川原市飯詰在住の和田喜八郎[2]が、自宅を改築中に「天井裏から落ちてきた」古文書として1970年代に登場した。編者は秋田孝季と和田長三郎吉次(喜八郎の祖先と称される人物)とされ、数百冊にのぼるとされるその膨大な文書は、古代の津軽地方(東日流)にはヤ
まとまって本を読んでいないので(と言ってもまあぴゅーっと読めるものは読んでいるのだけれど)、テレビくらい見ようと思っても食指が動かないし、仕方なくJ-WAVEでリリー・フランキーを聴いていたら、「秋だからものさびしい」とか言うのは賢くないと言っていた。秋は発情期であるのにパートナーがいないものだからさびしいのであって、だからせめて「人肌恋しい」と言うのがおりこうさんなんだって。 いや、面白くないわけじゃないんだけどさ。この声とこの話し方で言われるのが嫌。月曜と木曜のこの距離感。シカオちゃんの声が恋しいよう。 書影をクリックするとbk1の紹介ページに、ISBNをクリックすると、はてなの紹介ページに飛びます。 縁のない順? 『リズム現象の世界(非線形・非平衡現象の数理)』蔵本由紀編、東京大学出版会、2005.10、ISBN:4130640917 "脳、カオス、サーカディアン・リズム−物理的現象
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2021年5月) 竹内文書(たけうちもんじょ、たけのうちもんじょ、磯原文書、天津教文書ともいう)は、古代の文書。いわゆる神代文字で記された文書と、それを武烈天皇の勅命により武内宿禰の孫の平群真鳥が漢字とカタカナ交じり文に訳したとする写本群と、文字の刻まれた石、鉄剣など、一連の総称。天津教の聖典とされる。竹内文書の信奉者は、原本は後述の裁判に提出されたのちに東京大空襲によりほぼ焼失したと主張している。 概要[編集] 平群真鳥の子孫であるとされる竹内家に、養子に入ったと自称する竹内巨麿(たけうちきよまろ/たけのうちきよまろ)が、1928年(昭和3年)3月29日に文書の存在を公開した。昭和10年代以降加筆されたという説もある[1]。写本の多くは戦前に焼失し失われてい
茨城県北茨木市磯原町に、「皇祖皇太神宮天津教」という宗教法人がある。 ここは、武内(竹内)宿禰の末裔を称する、竹内家の神社でもあり、代々伝えられてきたという資料約3000葉が保存されていた。 この資料を通称「竹内文書」という。 戦前、66代宮司竹内巨麿の時、この資料の一部が公開された。 天津教は、天皇家の紋章である菊花紋を使ったという咎で、「不敬罪」に問われ、竹内巨麿は逮捕された。 これを天津教不敬事件と呼ぶ。事件は最高裁まで争われたが、結果を先に述べれば、竹内巨麿は無罪となった。無罪理由は、これは宗教上の教義問題であり裁判になじまないという事であった。 一方、竹内文書の批判は、元京都大学文学部長、狩野亮吉氏の「天津教古文書の批判」(岩波書店)により行われた。 狩野氏は以前天津教信者から貰ったという5枚の文書の写真を用いて、批判を行った。 その中の一枚に「神代文字」で記され
「……非学問的な所説が必ずしも無力なイデオロギーであるとは限らない。むしろ、非合理的な議論がかえってその非合理性のために論理ではなく心情に訴え、感覚を把えて人を熱狂的に行動に駆り立てようとする。いわば、科学の喪失と神話の再生という文脈の中では、学問的には嘲笑の種でしかない理屈も十分にその存在理由を見出すのである。」(斉藤孝)(1) 明治以降の近代日本では、様々な形で奇怪な「歴史」が創作されてきた。 例を挙げるとすれば、以下のようなものである。──日本人の先祖は白人である。源義経とジンギスカンは同一人物である。世界の歴史はユダヤ人やフリーメースンの陰謀によって動かされている。神武天皇の即位以前にも天皇が存在した。日本はかつて全世界をその版図に収めていた。等々。 これら、虚構の「歴史」──「偽史」は、ほとんどの場合において、学問的な歴史学の成果と相容れないのみならず、正当かつ十分な学問的
大和岩雄と大島隼人の両偽書説 大和岩雄著「古事記成立考(75年)」 「古事記偽書説は成り立たないか(88年)」 大島隼人著「古事記成立論(89年)」 「古事記撰録方法の発見(94年)」4巻 この大和(おおわ)偽書説は、大島偽書説とは相違して 早い時点から偽作者を、古事記の筆者とされている太安麻 呂の子孫で、学者の多人長と推定し、自分自身で古事記を 書きながら、祖先の安麻呂が書いたとする偽りの書とされ ているものです。 偽作の動機は、この人長が宮廷の家臣たちに、日本書紀 の講義をするほどの書紀学の第一人者であった上に、当時 の「万多親王の姓氏録」や「舎人親王の日本書紀」の記載 に、異議や不満もあってのことのようです。 それに、当時は「舎人親王の日本書紀」が「日本最古の 歴史書」とされていたようであり、自分の先祖も初代の神 武天皇の皇子だとなっていたこともあっ
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平成四年十月二十一日、大分県在住の野村孝彦氏は、写真盗用および論文剽窃の件で、 青森地裁に損害賠償請求の民事訴訟を起こした。被告は『東日流外三郡誌』の偽作者・和 田喜八郎氏ならびに、その著書『知られざる東日流日下王国』(昭和六二年刊)の版元と なった八幡書店(同社は『東日流外三郡誌』のテキストも刊行している)である。 以前から、野村氏は奈良県生駒市や和歌山県新宮市那智勝浦町の「猪垣」といわれる古 い石垣に関心を持ち、それが古代の遺跡である可能性をも考慮して、本格的調査が必要だ と唱えていた。野村氏は自ら山中を探索し、その暫定的報告を昭和五十年五月十四日付の 日本経済新聞に「謎の猪垣熊野に眠る」との見出しで発表している。 昭和五一年頃、市浦村版『東日流外三郡誌』のことを知った野村氏は「所蔵者」たる和 田氏に、所有する文書の中に猪垣関連の記述がないか、書簡と電話で問い合わせた。和田 氏は当初、
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