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コメントと差別に関するTakahashiMasakiのブックマーク (3)

  • 川原泉の同性愛差別論議について - 架空の杜

    善福寺 瓢箪のごとき池があり - pêle-mêle 眠れないので敬愛する川原泉に関する話題なので書き殴ってみる。「真面目な人には裏がある」を読んだ最初の感想は「トレンドのBLに関する愚直な感想を正直に作品にしてしまったな」といった感じだけであった。ところが、各所で「川原泉は同性愛差別者」と非難囂々である。 川原泉に限らず女性漫画家が描く作品は、ヒーローが愚かなところがあるけれども愛すべきヒロインを、愚かさを含めて好意に値する女性として受け入れるという黄金パターンを踏襲した作品が、相変わらず比率的に極めて多い。ヒーローもまた脆弱な人間として描く点で、独自のオリジナリティーが高く評価される川原泉の作品でもその基構造は変わらない。そういった創作パターンの定石から見れば、愚者であるヒロインを受け入れる余地のない同性愛者(ゲイ・ホモ)はヒーローの資格がない。愚かなヒロインを受け入れる可能性を見込

    川原泉の同性愛差別論議について - 架空の杜
  • 「マイノリティ」バッシング - umeten's blog

    こっちは、あきらかにバックラッシュ的。 :煩悩是道場 - 自分たちの事を「マイノリティ」なんて言うのヤメなさいよッ! そして、それに萎縮し沈黙させられるマイノリティ精神。 むぎむぎ - ほんとうにマイノリティなのか マイノリティのみが、こうやってその政治性を「暴き立てられる」様は、それこそマイノリティの存在とその現状の苦しさを浮き彫りにするものではあるが、 一方、マジョリティの側は、可視化された政治性を持つだけに、「暴き立てられる」という「形式的非難」を免れ、逆に「普通」「当然」「常識」「当たり前」といった「自然的文脈」でもってのみ言及される。 そこにあるのは、「悪とは潜在するものである」という無邪気な信仰なのか。 「大きすぎて見えない」ものは、その「大きさ」という点に性善説的なイメージを読み込まれるのか。 あるいは、それぞれに「逆らう」ときに予想される「被害」の大小が、その反応を違えさせ

    「マイノリティ」バッシング - umeten's blog
  • 言葉狩り - 煩悩是道場

    言葉狩り 当該事例についていえば、一部で半ばネタ的なコメントとして認知されている(らしい)「死ねばいいのに」というコメントが「批判」の範疇にはいるのか、あるいは単なる罵倒の類なのか、という個別的な是非がまず問題とされるべき 「はてブ・コメント」論は「無断リンク」論と同根の問題を抱えている-日々是自己主張 はっきり言って言葉の一つ一つに対して批判であるか罵倒であるかと分ける行為は意味のない行為である。 言ってみればそれは言葉狩り以外の何物でもなく、不毛の荒野を行くが如しである。 はてブに50文字制限が存在する以上、書いた言葉に悪意が含まれているかいないかの判断は極めて難しいかもしれない。 たとえば「これは非道い」は批判と罵倒のどちらだろうか。 「豆腐五丁」ではどうだろう。「ほげ」は? 私は言葉の個別的な議論は不要であると考える。 何故ならそれは言葉狩りに過ぎないからだ。 しかし「必要だ」と

    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2005/11/19
    差別用語問題にも通じる名言だと思う
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