芸能界入りまで[編集] 東京都生まれ。圭一という名前は母親がファンだという俳優山本圭からとられた。 広島県瀬戸内高等学校へ進学後、野球部に入部したが20日間のみの在籍だったという[2]。 野球部を退部後サッカー部に移籍し数ヶ月籍を置いた後に、当時同郷で「ブレイクダンスの神様」と言われた風見しんごらが流行らせたブレイクダンスに夢中になり、広島平和記念公園等で踊り観光客の注目を浴びた[2]。 芸能界入り[編集] 高校卒業後上京し、天宮良が在籍していた当時日本一有名なショーパブだった「タップチップス」の面接に合格して修行したが病気になり一度広島に戻る、20歳の時再び上京し有名になりたいと「東京ヴォードヴィルショー」の面接を受け再び合格して在籍、ここで加藤浩次と出会い加藤の本名が“浩二”と聞き運命的なものを感じて[注 1] コンビを組む[2]。 1989年、月謝の滞納が続き金銭的に苦しいと思ってい