マイノリテイが、ネタとしてエンターテインメントを提供してくれるかぎりにおいて、「安全」な存在として認められ、かれの居場所を与えられるという構図は、暴力でしかない。
「マイノリティの正義の暴走」のようなものを権力の暴走と同じくらいかそれ以上に恐れている人たちは、一体どのような遠近法で歴史や社会を眺めているのか疑問には思いますね。
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