また1日旅に出たくなった。 首都圏から割と近い所で未だ乗ったことがない線に乗ってみようと考えると、一番近いのが水郡線だった。 沿線には日本三名瀑の一つとして有名な「袋田の滝」もあり、ここにも一度行っておきたい。 上野~水戸間では「フレッシュひたち」にも一度乗ってみたい(といってもクリソツのE751系には乗ったことがあるのだけど)。 ということで今回は水郡線に乗ってくることに決定した。 前日、浜松町の「みどりの窓口」で切符を買う。買ったのは「東京都区内~東京都区内 経由常磐、水郡、東北線」という1周する片道乗車券。毎度のことながら「みどりの窓口」にはご迷惑かけます(ややこしい乗車券で…)。 さて、「ひたち」は日中30分間隔で走っているので8時半、9時半、10時半…と「フレッシュひたち」が出ている…と思いきや、9時半だけなぜか「スーパーひたち13号」勝田行き、となっているのだ。10時半の「フレ
第4章 ゼノン ★ゼノン(BC336-BC269)★ ストア学派。キュプロス島出身。ディオゲネス、クラテスと続くキュニコス学派から、ストア学派を築き、ソクラテスの精神を受け継ぐ。アパテイアという幸福をめざし、積極的に自然と調和した生き方ができるよう、自分を厳しく鍛えることを説いた。 犬の哲学者 ゼノンは、エピクロスの快楽主義に対して禁欲主義を説いたことは、すでに述べた通りである。彼は柱列(ストア)のある殿堂で哲学の講義をしていたところから、ストア学派と呼ばれている。 ところで、ゼノンを理解するには、実はソクラテスの時代にまでさかのぼり、彼の思想の母体となったキュニコス学派の奇妙な哲人たちを、まず最初に紹介しなければならない。 キュニコスとは、「犬(キュオーン)」から命名されたもので、なぜそう呼ばれたかというと、犬のように外で暮らし、物乞いをする生活をしていたからだといわれる。
上杉謙信といえば戦国最強武将の一人に必ずと言っていいほど挙げられますが、そんな謙信に女性説というものがあります。 ここでは管理人がいろいろな所から集めた証拠になりそうな話を以下に紹介したいと思います。 ただし管理人自身も正直、上杉謙信が男性なのか女性なのか半分半分といった感じです。 そういったことから文章中もできるだけ公平な目で書いているつもりです。 中にはへ〜と言う説や、呆れるような説がありますが、それらを踏まえて、参考意見という事で、ひとつご理解頂きたいです。 信じない人は読み流す程度で見られた方がベストです。ただ「こういう考え方もあるんだなぁ」と思って頂ければ結構です。 明治時代に入ってから、今までの歴史は徳川300年の間に徳川家の都合のいいようになっていることから、新しく正しい日本史を編纂しようと「史学会」というものができた。 この「史学会」が明治44年に発表したのが
茨城県北茨木市磯原町に、「皇祖皇太神宮天津教」という宗教法人がある。 ここは、武内(竹内)宿禰の末裔を称する、竹内家の神社でもあり、代々伝えられてきたという資料約3000葉が保存されていた。 この資料を通称「竹内文書」という。 戦前、66代宮司竹内巨麿の時、この資料の一部が公開された。 天津教は、天皇家の紋章である菊花紋を使ったという咎で、「不敬罪」に問われ、竹内巨麿は逮捕された。 これを天津教不敬事件と呼ぶ。事件は最高裁まで争われたが、結果を先に述べれば、竹内巨麿は無罪となった。無罪理由は、これは宗教上の教義問題であり裁判になじまないという事であった。 一方、竹内文書の批判は、元京都大学文学部長、狩野亮吉氏の「天津教古文書の批判」(岩波書店)により行われた。 狩野氏は以前天津教信者から貰ったという5枚の文書の写真を用いて、批判を行った。 その中の一枚に「神代文字」で記され
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