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ブックマーク / erlkonig.hatenablog.com (3)

  • 諫山創『進撃の巨人』がギャグ漫画すぎるのでマサルさんのフーミンに読ませたい(『進撃の巨人(1)-(11)』感想) - 魔王14歳の幸福な電波

    この漫画がレビュワー界隈(なにそれ)でいちばん流行ってたのって、2010年末とか2011年初頭でしたっけ? いちおうその頃に一巻だけ確保したんですが、「流行りものはブームが落ち着くまで寝かせた方が落ち着いて読めるしー」とか言い訳しつつ例によってすっかり放置してまして、さいきん周囲に薦められたのでようやく既刊10冊一気読みした次第。実際、ブームも沈静化してきた頃合い*1なので、のんびり楽しみながら読むにはちょうど良いタイミングだったのかなと思います。 というわけで過去の議論とかはほとんど参照せずにいきなりこの文章を書いているわけですが、そうは言いつつも作を読む上でかなり意識していた記事があります。昔の記事をほじくり返して恐縮ですが、FTTHさんのこれ。 諫山創「進撃の巨人」 を絶賛する「自称漫画好き」には右端脚を見舞うべき。 前提として、当時『進撃の巨人』が意識高い漫画レビュワーに絶賛され

    諫山創『進撃の巨人』がギャグ漫画すぎるのでマサルさんのフーミンに読ませたい(『進撃の巨人(1)-(11)』感想) - 魔王14歳の幸福な電波
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2013/09/01
    (読んでないが,巨人がいるんならミサイルとかで頭吹っ飛ばしてやればいいんじゃないの?(設定がむちゃくちゃだよね
  • それをマリー・アントワネット的暴力と呼ぶ - 魔王14歳の幸福な電波

    「パンがなければお菓子をべればいいじゃない」 とか 「要は、勇気がないんでしょ?」 とか 「生活が辛いなら必死で働けばいいじゃない」 とか 「人生は気の持ち方次第でどうにでもなる」 とか。 自分自身はそういった問題を抱えておらず、どういう文脈の上でそういう問題が生じているのかも理解していないような人が、まったくトンチンカンで実行力*1のない「解決法」(のつもり)をずけずけと突きつけて何か言った気になって悦に浸ってるような図。 こういうのを「マリー・アントワネット的暴力」と呼んでみてはどうか。って山奥で会った紀仙が言ってた。 *1:腹が減ればものをべればいい、という理屈は圧倒的に正しいけれど、正しいだけで意味はない。問題に対しては何も言ってないのと同じ。

    それをマリー・アントワネット的暴力と呼ぶ - 魔王14歳の幸福な電波
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2009/04/05
    (ネーミングが甘い(西晋の恵帝的暴力とよべばよろしい http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%B5%E5%B8%9D_(%E8%A5%BF%E6%99%8B)
  • 公共のインフラで主観を表明するのは迷惑 - 魔王14歳の幸福な電波

    tukinohaの絶対ブログ領域 アニメや映画を見て「面白かった」や「つまらなかった」などの主観を記事にする価値ってあるのだろうか?みたいなことを最近は考えています。 不特定多数の人が見る場所で、公共のインフラを使って主観を表明するのってすごく迷惑な行為ではないだろうか、とか tukinohaさんがどういう思考の流れでそういう結論に至ったのかというところに興味が。 まあ当に「○○というアニメを見た。面白かった」で終わってる記事なら、情報としての価値は低いです。(この人がそう感じたなら、自分にとっても……といった判断の材料にはなるので、無価値とは言えないでしょうけど。むしろ、こういった他人の主観を作品を選ぶ際の最大の判断材料としている人が世の中には大多数な気がします) けれど、「この作品のこういうところに自分はこういう印象を持った、それはおそらくこれこれこういう理由によるものなのだろう」と

    公共のインフラで主観を表明するのは迷惑 - 魔王14歳の幸福な電波
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2007/03/21
    (つきつめていくと,主観的でない意見ってあるのか,って話になる気がする
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