タグ

lifeとsocietyに関するhatayasanのブックマーク (46)

  • 子どもを作れなかった我々は「良い捨て石になろう」 小野文惠アナの発言にスタジオ絶句 | キャリコネニュース

    2月13日、不妊治療を特集したNHK総合「ニュース深読み」の放送中、司会の小野文惠アナウンサーが「子どもを産めなかった我々(世代)は社会の捨て石だ」と言ったディレクターの発言を明かし、スタジオ内の全員が絶句する場面がありました。 不妊とは「1年間男女が子作りを続けても妊娠に至らない場合」をいい、検査・治療経験のある夫婦はいまや6組に1組。治療には肉体的・精神的・経済的な負担が重くのしかかります。(文:篠原みつき) 「生まれない子どもに税金使わないで」に涙浮かべ反論 1回30~60万円かかる体外受精の成功率は40歳で8.3%、45歳に至っては0.8%と、年齢と共にさらに険しい道のりになります。健康保険が適用されない治療費の一部を地方自治体が助成する制度もありますが、番組に寄せられた視聴者からの意見は厳しいものでした。 「子供が欲しかったのなら、早めに結婚したらいいのに。そこで税金が使われるの

    子どもを作れなかった我々は「良い捨て石になろう」 小野文惠アナの発言にスタジオ絶句 | キャリコネニュース
    hatayasan
    hatayasan 2016/02/17
    個人の背景や社会の要請が込み入った話。重みのある言葉として受け止めるほかない。
  • 「疑わない」という怠惰について - 24時間残念営業

    2013-06-01 「疑わない」という怠惰について http://www.watanabemiki.net/journal/post-475.html 読んだ。 ちなみにクソ長いです。 正直、真正面から罵倒したいような気分がないでもないっていうか、別の場所のブコメではほぼ罵倒に近いブコメをつけた。俺はこの人はバカだと思う。バカが言い過ぎなら、考え足らずといってもいい。 ところで、いまの流れだとこの人のことをバカであるとする意見のほうが賛同を得やすいはずだ。しかし俺はひねくれた人間なので、ここで読む人に再考を促す。俺は自分の意見を書くが、それを読んだうえで、もう一度考えてほしい。みんながこの人を叩いていいっていうそういう流れになってるからこの人を叩いているのか、根的にこの人の言ってることがおかしいから反論されるのか。それとも、実は正しいのは彼であり、俺のほうがまちがっているのか。 まず、

  • 子供が増えるとか減るとかの話 - 24時間残念営業

    2013-03-31 子供が増えるとか減るとかの話 http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20130330-00024161/ 読んだ。ちょいと時間があるので書いてみる。 とはいえ俺には少子化対策の政策が云々ということはわからないっつーか知る気もない。なので、個人的な視点だけから考えることにする。つまり「子供を作らないという選択をしたうちの夫婦が、どうやったら子供を作らざるを得なくなるか」という観点からだ。もっともうちはもう年齢的に無理なんで、あくまで空想の話としてです。 というかあとで追記してるんですけど、どのみち社会状況がどうなろうが子供作る選択肢は今後ないし、たぶん過去にもどうにもならなかったので「こうなったら子供作る」という話にはあまりなりませんでした。すいません。 ちなみに俺はいろんな理由から「子供とかは作らない」と決めてる

    hatayasan
    hatayasan 2013/04/01
    「いやー、人間は自分と、自分の半径数メートルの幸福のためにしか動かないでしょ。」大義名分は人を動かすきっかけにはならないよなあ。
  • 田舎がいやになる原因は、相互監視よりも顔を切り替えられないことかな - clonblmn's revenge

    2013-01-15 田舎がいやになる原因は、相互監視よりも顔を切り替えられないことかな 毎回、はてなで盛り上がる「都市」対「田舎」の話題。家の周りが山と田んぼ、バスが1日に数、クルマは成人一人に一台、という田舎暮らしをしている。東京に住んだことはないけど、なかなか優れた文化を持った地方都市にいたことがあるので、この対立は自分の中でも関心のあるところ。 地方都市という地獄 あるいは関東圏の「私が住んでるところは田舎だよ(笑」が如何に残酷かについて - mizchi log 都会と田舎の比較の話が出るととりあえず絡みつく - 24時間残念営業 心情としてはmizuchiさんの言っていることが一番しっくりくる。田舎で嫌な目にあった人間は、自分の嫌な体験と田舎の慣習が渾然一体になっているから、田舎の慣習の話になるとどうしても辛い過去の話が飛び出す。その心情の発露について、サバンナでもおんな

    hatayasan
    hatayasan 2013/01/17
    「田舎だと顔を切り替えるという概念自体を持たない人が多い。俺という人間は俺以外の何者でもないんです。」平野啓一郎風にいえば、田舎では"分人"を生きることは難しい、ということか。
  • 地方都市に住んでヨソ者=「2級市民」として扱われた違和感。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    事実誤認している箇所がありました。これから修正します。 2013.1.18 「自分の体験談」で文章を紡ぐと言うこと 〜「ヨソ者=『2級市民』」その後〜 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月に続きを書きました。 2013.1.21

    地方都市に住んでヨソ者=「2級市民」として扱われた違和感。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
  • 「私が住んでるところは田舎だよ」を言う立場から - いんたーねっと日記

    東京都下、新宿まで電車で40分かからないところに住んでいた。 大学の近くに住むために引っ越した先は都心からは少し離れて、新宿まで電車で50分以上かかるようになった。 それでもアマゾンは当日お急ぎ便でなんでも届けてくれるし、トーキョーバイクもルイガノもときどき走っている。 小学生のころには幕張メッセまでミュウを貰いに行った。 それでもあれは「田舎」だと思う。 地方出身者からすればその態度が許せないのだろうけど、僕らは僕らなりに都心に対してコンプレックスを持っているし、 だからこそ自然と「私が住んでるところは田舎だよ」が出てしまう。 僕の実家はいわゆるニュータウンの中にあって、その住民の大半は都心に通勤する人たちで、毎朝電車に乗って都心に通勤していた。 そういう場所なので、都心に行って遊びたいと思ったら、ランチを我慢する程度のお金と往復の数時間を代償に都心に行くことができる。 テレビは関東一円

    「私が住んでるところは田舎だよ」を言う立場から - いんたーねっと日記
  • 都心住まいの価値とは何か - よそ行きの妄想

    みなさんご存知の通り、都心の地代は高い。実に。 しかし果たして当にそれだけの価値があるものなのか、都心住まいというものは、という話である。今日はそのあたりについて考えてみたい。 かくいう私の生家は渋谷から歩いてまあ15分程度、都心といえば言えなくもない立地にある。今でもそこに住んでおり、家賃というものを支払っている事実はない。従って、都心の地代が高かろうが安かろうが関係ないと思われがちな立場だ。 とは言え、である。 もし都心住まいの価値が不当に割高に評価されているのであれば、私は、今の家を高値で売り払って郊外で悠々と暮らすことが合理的だということになるだろう。 つまり、私は家を売却してしまうという選択肢に関する機会費用を、常に負担していると言える。であれば、都心住まいの当の価値には、やはり人一倍敏感で然るべきなのだ。 で、渋谷。 渋谷から徒歩圏というと便利だなんだと持ち上げられることが

    都心住まいの価値とは何か - よそ行きの妄想
    hatayasan
    hatayasan 2013/01/15
    「人間は、徹底した合理には不快を覚えるということだ。」
  • 都会と田舎の比較の話が出るととりあえず絡みつく - 24時間残念営業

    http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20130115/1358204323 http://d.hatena.ne.jp/mizchi/20130115/1358216244 両方読んだ。 過去に何度も触れた話題ではあるが、いま一度書いてみようと思う。この話題が出るとMK2さんが裸ネクタイで農道のまんなかに踊り出てきます。書きたくなるんだんよこれは!! 現在の俺は関東地方の片田舎に住んでいる。都心は通勤圏には入らない。ま、下のリンク先の方のいう「関東圏」にはあたるわけだが、各種社会インフラっつーことでいうと、まずまず田舎といっていいと思う。とりあえず、高齢率と離婚率、高校中退率あたりの高さと、大学進学率のやたらめったらな低さだけでも「田舎」は名乗っていいところだと思う。 ちなみに以前は横浜の都心部に住んでいた。どんな用事でもだいたい自転車でこと足りる。「あー今日あのマンガ

    hatayasan
    hatayasan 2013/01/15
    「田舎で生まれ育った人が田舎を憎悪するような発言をした場合には「そこに適応できなかった」という意味合いがかなり含まれている」
  • 地方都市という地獄 あるいは関東圏の「私が住んでるところは田舎だよ(笑」が如何に残酷かについて - mizchi log

    都会に住む人間は、その価値を過小評価している。というのが僕の持論だ。そしてそれは東京に6年住んでより強固になった。 都心住まいの価値とは何か - よそ行きの妄想 http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20130115/1358204323 この記事の感想としては、およそ渋谷に特徴的な衛生問題が多いという事実には同情するとしても、常になにかしらの機会が与えられていることを無自覚だ、という点が地方の人間を刺激するだろう。 子供用の自転車が買えなかったとしても、買える距離に生きているのだ。さすがに子供用の自転車ぐらいは田舎でもみつかるが、嗜好品の類はそもそも手に入るかが怪しい。 今ではインターネットで緩和されたとはいえ、それを実際に目にする機会があるかという点において、それを好きになる機会すら与えられないかもしれない。 表題は、地方出身者を最も怒らせる一言である。 僕は、18歳

    地方都市という地獄 あるいは関東圏の「私が住んでるところは田舎だよ(笑」が如何に残酷かについて - mizchi log
    hatayasan
    hatayasan 2013/01/15
    「大人になっても上司は中学や高校の先輩なのはザラ。高校の時にしでかした失敗は、大人になってもずっと周囲の人間が言いふらすから消えない。」
  • シェアハウスに映る死、夢、そして孤独の今

    1984年、福島県いわき市生まれ。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員。専攻は社会学。学術誌のほか、「文藝春秋」「AERA」などの媒体にルポ・評論・書評などを執筆。 著書に『漂白される社会』(ダイヤモンド社)、『はじめての福島学』(イースト・プレス)、『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)、『地方の論理 フクシマから考える日の未来』(同、佐藤栄佐久との共著)、『フクシマの正義 「日の変わらなさ」との闘い』(幻冬舎)『「原発避難」論 避難の実像からセカンドタウン、故郷再生まで』(明石書店、編著)など。 第65回毎日出版文化賞人文・社会部門、第32回エネルギーフォーラム賞特別賞。 開沼博 闇の中の社会学 「あってはならぬもの」が漂白される時代に 不法就労外国人、過激派、偽装結婚プロ

    シェアハウスに映る死、夢、そして孤独の今
  • 無職の父と、田舎の未来について。(9/24追記) - さのかずやブログ

    思ってたより、深刻だった。 いま僕は、来週から始まる教育実習のために実家に帰省している。 僕の実家は、北海道の片隅にある。どれくらい片隅かというと、これくらい。 大きな地図で見る 実家には事務職をしている母と、高校3年の妹、 そして今年の春から無職の父がいる。 今回、父の就職活動を少しだけ覗き見る機会があった。 そこで僕が父を見て感じたこと、父を取り巻く環境を見て感じたことが、 いままで自分が思っていた「田舎」のイメージと大きく異なっていた。 東京都心から5時間と5万円、あるいは1万円と12時間離れたこの町。 都会に出ていく田舎者として、田舎のために何かできるだろうかと思い、 とにかくこの状況を多くの人に知ってもらいたい、と思った。 そのために、少しでも多くの人に知ってもらうために、 いまこうして文章にしようと思った。 拙い文章ですが、田舎の現実を知ってもらうため、 できるだけ多くの人に読

    無職の父と、田舎の未来について。(9/24追記) - さのかずやブログ
  • めんどくささの果て - やしお

    独居でない高齢者のミイラ化した遺体なんかが見つかって、「死体と一緒に過ごせるとか頭がおかしい」とか「年金不正受給だ許せん」とかいうコメントを(ヤフーニュースなんかで)見るたびに、それはそうだけど、そのトーンで言うほど大それたことじゃないんだろうなと思う。 もっと単純に、めんどくさかっただけなんじゃない。死亡の届けを出したり何だり、も少しさかのぼって、親を病院に連れてくことのあれこれが。 やらなきゃなーと思っていたまま、ほんの少しのハードル(めんどくさい)のせいで伸ばし伸ばしにしてたら時機を過ぎて、そのまま放置ってよくあるから何となく気持ちはわかる気がするよ。っていうとコメントの人たちは「でも『普通』の人ならちゃんとやる」とか「親の死体は『普通』放置するレベルじゃない」とか言うのかな。 自分が元気な時なら、世間の目やその後の自分の信用なんかを気にできる程度に元気な状態だったら、ハードルは高く

    めんどくささの果て - やしお
    hatayasan
    hatayasan 2012/09/11
    「手放しで責めることが出来るのは幸せなことだ」Yahooニュースのコメント欄への冷静な見方。
  • 底辺から這い上がって語る貧乏 都会とカップラーメン - Togetter

    渡邊芳之 @ynabe39 昔が今と違うのは夜逃げして都会に出れば住民票がなくても常勤で雇ってくれる町工場がたくさんあったこと。両親も小石川の製屋に社宅つきの仕事を見つけて働いた。 2012-05-16 08:36:47 お菓子っ子 @sweets_street @ynabe39 10代の頃に事情があって、年齢制限で引っかからないように「住民票がなくてもおk」という職場を転々としたことがありました。住み込みで身一つで働けたので、いろんな訳ありの方がおられましたね。「世の中にはこれほど多くの流浪者がいるのか」と驚いたものです 2012-05-16 09:03:24

    底辺から這い上がって語る貧乏 都会とカップラーメン - Togetter
    hatayasan
    hatayasan 2012/05/18
    「カップラーメンを高いといえるような自炊能力は、既に文化資本なのですよ」
  • まだいける、と思ってた? - Chikirinの日記

    前に「最後通告は37歳」というエントリを書きました。 それは「将来が現在の延長線上にしか存在しなくなる」年齢であり、人生の再スタートができなくなる年齢だという話でした。 37歳まで“ぐーたら”だった人は“一生ぐーたら”だし、37歳までに決断できなかった人は、一生決断できない。それは、“今の自分とは違う将来や夢”を語ってもよい最後の年齢なのです。 若手俳優など芸能界のスターも、このあたりで役柄が変わりますよね。というか、変えないとやっていけなくなります。 元々が綺麗な人が多いし、メイクもメンテも完璧だからみんなとても若く見えるけど、それでも 37才を越えて、清純派女優、アイドル、わーきゃー騒いでるだけでかわいいタレント、的なポジションを維持していくのはちょっと大変になります。 演技力でもいいし、大人の色香や、司会者としての才能などなんらか別のものが必要になるでしょう。 また、芸能活動ではなく

    まだいける、と思ってた? - Chikirinの日記
    hatayasan
    hatayasan 2009/05/06
    「「最後通告」が37歳でやってくる。それって36歳になってからじたばたしてもたぶんもう遅い。おそらく32歳くらいから35歳くらいまでの3年間で「キャリア後半戦」のための準備を整える必要がある。」
  • 「今何してるの?」という質問は禁句となっていた - 諏訪耕平の研究メモ

    正月に久々に会った友人たちは皆元気そうで安心した。ただやはり我々ももう30歳を迎え,気になることはいくつかあった。まず,一番面白いというかショックというか複雑な現象だなと感じたのは,「今何やってるの?」という質問が禁句になっているということだ。 10人ぐらい集まると,ご時世なのかもしれないが,1人2人はフリーターのような生活を送っているものもいる。そういう人間への配慮だろうか,「今何やってるの?」は禁句であり,仕事の話も極力避けようという空気があった。 さらに,ある友人は彼女を連れてきていたのだが,この2人に対して「結婚」の話題を持ち出すのもタブーである。以前私はある友人に彼女を紹介され,「結婚するの?」と聞いたところ空気がものすごくどよーんとしたことがあった。同席者には後から,「あんなこと聞いちゃ駄目だよ」と怒られた。そうなのか。 思い出話も悪くないが,それだけでずっと持つものではない。

    「今何してるの?」という質問は禁句となっていた - 諏訪耕平の研究メモ
    hatayasan
    hatayasan 2009/01/07
    誇りを持って生きる、ために普段から意識しておかねばならないことは何だろうか?
  • 2008-09-02

    出産以来感じてきたが、ずっと書くのをためらっていた。夫ともども、いいかげん腹に据えかねたのと、同じような思いをしている人が少なくないことを知ったので、書くことにする。 ワークライフバランスという点から見れば、私の勤務先は完璧である。職場の上司や同僚はこちらの状況を慮って親切な言葉をかけてくれるし、人事の担当者は産休にあたり、使える制度についてものすごく丁寧に教えてくれた。夫の勤務先の環境も大変良い。生後数ヶ月の子どもを連れて行った時は育児経験を持つ教授たちが色々なアドバイスをしてくれたし、直属の上司は出産祝に育児百科をプレゼントしてくれた。現在、夫は家事の7割、育児のほぼ半分をやってくれるので、サポート体制は120点である。 思わぬ落とし穴は親族にあった。彼ら(というより、彼女ら)は、私たちがどのように育児をしているのか、知りもせず、また尋ねもせずに、口出ししてくる。曰く「おっぱいの方が(

    2008-09-02
    hatayasan
    hatayasan 2008/09/04
    援助なしで口だけ、というのはつらいものがあるな。
  • あの秋葉原の殺人犯って、案外、フツーの人だね。- はてな匿名ダイアリー

    ニュースを見ていた。犯人がいかにイカレた人間で、イカレたNET上でおかしな事を発言し、アニメやネットオタクは危ないだの、ナイフを規制しろだのと言っている。犯人の生い立ちや最近の言動なども紹介され、キチガイ青年だと言わんばかりに不安を煽る。 一通りのニュースを見て、一緒に見ていたお袋とカミさんがどちらともなく言った。「なんか別に、フツーの人っぽいね」「とんでもない人物のように言われているけど、殺したりした事を除けば、他はそこらへんにいる人と同じじゃない?」びっくりした。 実は、自分も同じように考えていた。自分はあの犯人とは今でこそ違うが、犯人と同じ年齢の頃は、考え方や言動などはほとんど同じだ(自分は今34歳)しかし、その思いをクチに出す事はしなかったが、自分を見てきたお袋やカミさんは同じ臭いを嗅ぎ取ったのかもしれない。 ワープア状態だったのも同じ、趣味嗜好もきっと同じ、派遣で全国転々としてた

    あの秋葉原の殺人犯って、案外、フツーの人だね。- はてな匿名ダイアリー
    hatayasan
    hatayasan 2008/06/14
    「俺だけじゃなくて、あの殺人犯と自分自身を比べて見る事だ。いったい彼と何が違う、どれだけ違うだろうか。」彼岸を分けるきっかけは、ほんの一言だったり些細なものだったりしますね。
  • 被害者の呪い - 内田樹の研究室

    毎日新聞に三ヶ月に一度「水脈」というコラムを書いている。 いささか旧聞に属するが、そこに聖火リレーのことを書いた。 昨日の夕刊に出たので、もうブログに採録してもよろしいであろう。 こんな話。 オリンピックの聖火リレーをめぐる騒動を眺めていて、いささか気になってきた。何か「厭な感じ」がしたからである。何が厭なのか、それについて少し考えたいと思う。 熱い鉄板に手が触れたときに、私たちは跳びすさる。「手が今熱いものに触れており、このまま放置すると火傷するので、すみやか接点から手を離すことが必要である」というふうに合理的な推論してから行動するわけではない。たいていの場合、私たちはわが身に何が起きたのかを行動の後に知る。 聖火リレーにまつわる「厭な感じ」はそれに似ている。 だから、この論件については、誰の言い分が正しく、誰の言い分が誤っているというような「合理的」なことは申し上げられない。それは「

    hatayasan
    hatayasan 2008/05/14
    「「こんな日本に誰がした」というような他責的な文型でしかものごとを論じられない人は、ご本人はそれを「個性」だと思っているのであろうが、実は「よくある病気」なのである。」
  • それでも私は産んだ。それはなぜか。 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    昨日の記事、産みたくない理由なら産んだ人間にでも山ほど挙げられる - 深く考えないで捨てるように書くに関する反響が大きくて、驚いた。 ここのダイアリーの主旨がタイトルどおり「深く考えないで」書くことなので、自分としても、きちんと整理せず、気持ちの赴くままに書いた記事だった。その分、あまりにネガティブに読める記事にもなってしまった。 だから、きちんと書かなければならないと思う。 あんなに産みたくない理由を並べた私は、だが、2人の子を産んだ。できちゃったのではない、自分で産みたくて産んだ。自分で子どもがほしいと思い、産んだ。今も、2人の子を得たことに、後悔はない。子が私たちのもとに来てくれたことに感謝し、彼女らが私の子で当によかったと思う。 私が産みたいと思った理由はなにか。これが、うまく言葉にできない。 子どもがいれば人生が豊かになる……違う。子どもがいなくても豊かな人生はあり得る。 自分

    それでも私は産んだ。それはなぜか。 - 深く考えないで捨てるように書く、また
    hatayasan
    hatayasan 2008/02/28
    「ひとつずつ「産みたくない」「産めない」理由を剥ぎ取りながら、心の奥底を探索すると、一番最後に「産みたい」を発見したりはしないだろうか。」2007年2月。
  • 産みたくない理由なら産んだ人間にでも山ほど挙げられる - 深く考えないで捨てるように書く、また

    自分は2人産んだ人間だが、でも産みたくない理由は山ほど挙げられるわけだ。 仕事を続けることに差し障りが出るし(それで出産を期に仕事をやめてしまったが)、続けることができてもやはり思うように仕事はできないし。子どもがいるだけで行ける場所やれることに制限ができるし、制限されないまでも、子連れというだけで歓迎されなかったり邪険にされたりすることもある。でも、子どもがいないとできないことなんてほとんどない。仮に子ども手当がちょびっと増えたとしても、どうせ子どものなんやかんやで赤字だし。 子どもがいるとこんなにいいよー、なんて他人に勧められるようなものは、なにもない。産んだ私がそう思う。 もちろん、現実に子どもをもってよかった、と思う人はたくさんいるし、私もよかったと思っている。子どもをもたず仕事を続けている人生*1とは、どっちがいいかではなく、どっちもいい。どっちもそれぞれに楽しく幸せになれる要素

    産みたくない理由なら産んだ人間にでも山ほど挙げられる - 深く考えないで捨てるように書く、また
    hatayasan
    hatayasan 2008/02/28
    「他人に「産むといいよ」なんて勧める気はさらさらなく、「産んでみればいいのに」という気持ちも全くない。むしろ、産まないほうが自分自身の人生だけに限れば間違いなく楽しく過ごせると思っているくらい」※欄も