さてさて、都議会における塩村文夏都議に対するセクハラ野次問題が紛糾しております。この野次に関してはすでに様々な方が言及しており、是非について今さら私が書きたてる余地もありません。誰がどう見ても許される野次ではないので。なので、野次を飛ばした人間あるいは政党への責任追及が当然進んでいけばいい話だったわけですが、ここへ来てYahoo!個人ブログで先日公開された山本一郎氏の「セクハラ野次@都議会事件に関する一般論による解説」というエントリーで、微妙にあさっての方向で議論が起こっております。
以下の続き。 http://togetter.com/li/78328 ご存知のかたは教えてください。 その他の質問。 ・「米国の法体系における「危険」概念」に関して、客観的に確認できる「定義」がされている法的・公的サイトはどこかにありますか。 続きを読む
留守番 @rusuban_the_3rd ウガヤ氏のツイートまとめ「留守番のごとき匿名野郎はグズ」。悪かったな。“匿名というリスク”を敢えて引き受けることに思いが至らない人はいいねえ、能天気で。しかし、「どうだ俺は朝日らしくないだろう」というとこが、実に朝日の自称跳ねっ返りの王道ですな。ときどき善いことも言うんだけどな。 2010-10-28 02:00:28
あのネタには絡まない方がいい。整理するだけ徒労。 まず前提は、曾野綾子が政治的に右派で、保守的なばーさんだということ。保守的な作家が保守系の産経新聞に書いたテキストを、良く言えばやや極端に、悪く言えば意図的に誤読するところから議論が始まってるわけ。 http://d.hatena.ne.jp/manysided/20091129 曾野綾子の議論で問題になりそうなのはこういう部分。題は「用心するということ」。 基本的な行動の自由と、自衛の手段を講ずることとは、全く別の次元である。というか、行動の自由を口にするなら、十分すぎるほどの用心や、世界的常識を学ぶことができなくてはならない。 太ももの線丸出しの服を着て性犯罪に遭ったと言うのは、女性の側にも責任がある、と言うべきだろう。なぜならその服装は、結果を期待しているからだ。性犯罪は、男性の暴力によるものが断然多いが、「男女同責任だ」と言えるケー
私はそんなに講演会に行く方ではないんだけど、それでも結構な確率で質問時間に「痛い人」を見かける。 「痛い人」はマイクを占有する。 自説を開陳する。 細部にこだわる。 発表者に粘着する。 何より、発表者と会話が成り立たぬ。 周囲の「空気読め」のプレッシャーをはねのけて、時間を大幅に押す。 あせる司会者。困る発表者。うつむく聴衆。 みなが思っていることは同じ「なんかもうどうでもいいよ」だ。 かくして素晴らしいプレゼンもなんとなーく後味悪く終わる。 「痛い人」は聞きたい、質問したいのではなく...
叩かれて反論して、いつまで経っても議論がかみ合わないのに、 気がついたら一方的に勝利宣言されて、何だか世間では自分が「負けた」 ことにされてる。 そんな理不尽の、パターンと対処。 見える「世間」はものすごく狭い それはコメント欄であったり、ブックマークに寄せられたコメントであったり。 実際にサイトを見て下さる人は、たぶん数万人の単位でいるはずけれど、 その人達が文章を読んで、実際のところどう思っているのか、文章を書いた 側からは、「コメント」を通じることでしか、把握することができない。 自分は「こう」思われているなんて、作者の印象は、だからコメントを 残したり、ブックマークを残してくれる、ごく少数の「世間」が決める。 世間はすごく狭い。 自分がこの場所で文章を書く。たまにほめられたり、叩かれたりする。 時々「匿名ダイアリー」みたいなところでも書く。匿名だから、 いつもと同じ立ち位置で書くと
同じテーマについて話しているようで、実は全く違う領域について意見を交わしている=「かみあわない議論」ってよくありますよね。 たとえば、 Aさん 「何回も契約更新を繰り返し、同じ職場で 5年も働いているのに正社員になれず、有給休暇もボーナスもない。そんな立場に置かれている人がいるのはおかしい。非正規雇用契約なんて禁止すべきだ!」 Bさん 「でも、全員が全員、正社員になりたいわけでもないんです。契約社員として自由な時間だけ働きたい人もたくさんいるんですよ。働き方の多様性だって確保する必要があります」 テレビ討論などでもよく聞く問答ですが、Bさんの発言はAさんへの反論として成立していません。 Bさんは“でも”で話し始めているので、Aさんの意見への反論を言う必要があります。 が、Bさんが“でも”に続けて話していることは「Aさんが話しているのとは、違う部分の話題」です。 Aさんの発言をステップごとに
自転車置場の議論 人が集まると、なぜかどうでもいいようなことほど議論が紛糾してしまう傾向がありますが、このような現象のことを、FreeBSD のコミュニティでは自転車置場の議論 (bikeshed discussion) と呼んでいることを知りました。 この、「瑣末なことほど議論が紛糾する現象」はパーキンソンの法則という本の「議題の一項目の審議に要する時間は、その項目についての支出の額に反比例する」という法則として知られています。 この本の中で著者は、原子炉の建設のような莫大な予算のかかる議題については誰も理解できないためにあっさり承認が通る一方で、市庁舎の自転車置場の屋根の費用や、果ては福祉委員会の会合の茶菓となると、誰もが口をはさみ始めて議論が延々と紛糾するというストーリーを紹介しています。 このように、「瑣末なことほど議論が紛糾する現象」はパーキンソン氏によって見事に説明されているの
最近、ブログ(と言ってもはてな周りが主なんだけど)がつまらないなと思う。何故か考えてみた。 ちゃぶ台返しと議論の「強度」 ある物事に関して、色々と不平不満を立て並べた挙句、「こうしたほうが良い」という改善点までご丁寧に指摘しているエントリーがあるとする。ブログを見ていれば四六時中目に付くタイプのエントリーだ。 それに対して、「そんなにアイディアあるなら、じゃあお前がやれ」と一言付けて突っ返す人がいる。これはちゃぶ台返しだ。「それ言ったらおしまいでしょう」と。なので元のエントリーを作った人は、そうした言葉を「不毛だ」「非建設的だ」と非難する。確かにそれはそうで、ちゃぶ台返しはちゃぶ台返しでしかない。それをやっちゃうと後に全然全うな議論が続かなくなる。 けれど、たとえそれがいかに不毛であろうと、いやむしろ不毛であるからこそ、その「ちゃぶ台返し」はすごく強力なのだ。覆水盆に返らず。一度「お前がや
極論として。 あなたが嫌いな人でも妥当なことを言うことはあるし、あなたが好きな人でも間違ったことを言うことはある。あなたはそれを受け入れられるだろうか。 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」を排除するのは本当に難しい。その逆も然りである。「話者が誰か」というバイアスは、どんな人にも強烈に作用するものだし、しかもその作用を明確に意識するのはかなり難しい。 という様なことを考えた。発端はこちらの記事だ。 失言問題と「マスゴミ」論と医療費問題ここで注意したいのは、「マスゴミ」バイアスがかかっている場合、逆にあるものが正しく思えがちになってしまうこと。あくまで発端であって、こちらで書かれている本論とは大分外れてしまうとは思うけれど。 正直私は、失言問題自体には殆ど興味がない。その為、以下の話は完全に一般論であり、現在盛り上がっている話題とは一切関係ない、ということは先に書き添えておきたい。 例として分かり
自分の名前が出てきたので反応。長くなったので「続きを読む」記法を使う。 顔を憎んで鼻を切れば、唇も消える: 道徳や倫理や社会秩序を重んじるのならば、本来なにより憎むべきは差別ではないのか ここのコメント欄から少々長いんだけど転載。 (前略) 問題は差別まで持ち込んで議論していることです。yukiさんがもと売春婦であろうとなかろうとそれは変わりはありません。 http://mohican.g.hatena.ne.jp/kanose/20061031/order >非モテ特有の自意識過剰さが鬱陶しくて仕方がないので、黙らせることを >目的として言及し返しているのです。わたしにかまうなということです。 >わかったら黙って下さい。「なんでこの人は俺のことをこんなに好き >なんだろう。わからない」じゃないです。勘違いも甚だしいです。 >病気です。はてなも嫌いだし、フリーライターも嫌いなんです。 >こ
トリアージの話題で一部が盛り上がっているし、意外と知られてないようなので書いておく。 ケーキ - 福耳コラム 原点の記事だが、実はこの記事が書かれた背景が、別のブログのコメント欄で解説されている。 倫理の教え方 - キリンが逆立ちしたピアス 現在プライベートモード中なのでYahoo!検索のキャッシュからサルベージした。 長いので要点がわかるところを引用する。可能ならば元のやりとりを読んでもらいたい。 「トリアージはかわいそう」と言った学生は遅刻してきたので、授業を聞いてなかったそうで、説明したら納得したそうだ。 このような元記事の根底を覆すような重要な情報は元記事に追記すべきであって、他人のブログのコメント欄で説明することではないのでは…。 fuku33 2008/05/23 22:33 (省略) 「教え方が悪い」と言われれば抗弁のしようがないですが、僕はかなり懇切に説明したつもりですが、
Automatons Hacking Guide すごく・・・楽しそうです・・・。なんだか非常にイキイキと何かを(何かはよくわからない)DISりDISられていらっしゃいます。機を見て混ざりたいです。 でもこの人、自分は結局すごくふわふわしたよくわかんない立場から人を見下してて、なにか反論があると、うまくその人の価値観の上層レイヤを見つけて柔軟に移動しながら戦ってるように見える。 あいにくそのひとつひとつを的確に分析してせる暇も能力も私にゃございませんが。 ただ基本的な価値基準は、資本主義的な価値観や企業主義的な価値観においてらっしゃるようで、まあそれはワープア的な連中を煽るにはもってこいなんだろうけど、じゃあ自分の年収を持ち出すかっていうとそれはない。なぜなら年収は絶対上には上がいるから。僕よりは上なのかなーどうかなー。 あと、超人思想ってちょっと死語なんじゃないのとか思うんだけどそのへん
会議 | ■無知・無関心であることが中立という考え/「どっちもどっち」という罠 - ARTIFACT@ハテナ系関連のエントリを興味深く延々と読んでいて、最終的にはこの文章にたどり着きました。自称中立論者はほとんどがゴミでしょう。http://d.hatena.ne.jp/CloseToTheWall/20080107/p1あえてここでは「自称中立論者ってどんな奴?」て定義しません。その点でもめたら話が進まないので。各自の想像する「自称中立論者」を思い浮かべながらお読みください。◆本来は中立こそが一番困難な道問題とされているように、中立ってなにもしないことじゃないよね?無知・無関心、事なかれ主義とはむしろ正反対の立場だよね?私は中立というのは、二項間で争いが生じている場合に、「どちらの立場でもない別の道」を指し示し、実践することだと思ってます。最悪両方から攻撃される危険があるし、その場合敵対
はてなブックマークのうさんくささとは - ウィンドバード::Recreation …という思惑から、「id付きでも匿名には変わりないからはてブは卑怯」とか「隠れて悪口を言うからはてブは卑怯」とか「反論できないからはてブは卑怯」とか、そういう理屈が捻り出されるようになり、それらが総合されて「はてな村きもい」「うさんくさい」という空気が生まれているんじゃないだろうか。 「ハンドルでも匿名には変わりないからブログでのネガティブ言及は卑怯」とか「面と向かって悪口を書くからブログは卑怯」とか「反論できないからブログは卑怯」とか、そういうワケのわからない理屈を捻り出すのも可能だよなぁ。それらが統合されて「ブロガーきもい」「うさんくさい」という空気もきっと生まれてくるよ! はてなブックマークのネガコメ批判に対する、一番大きな疑問は「何故‘ブクマでの批判’がダメなのか?」つーこと。‘ブクマでの批判’がダメ
自分が書いた一連の「ネットやブログでそこまで本気にならなくてもいい」という趣旨の記事、 ネット上で誰かと「理解しあおう」としても無駄な理由 http://d.hatena.ne.jp/amourix/20080307/1204868889 本気で議論したい場合ってそれほど多くない http://d.hatena.ne.jp/amourix/20080309/1205076809 に違和感をおぼえた人は、当然のことながら、数多くいると思う。そのような気持ちにも、共感はできる。で、そういう人は、いまこそ実存主義哲学の大家・キルケゴールの文章を読むべきだと思いますよ。 というか、雑記帳さんの「インターネットについて - 哲学的考察」という記事は、長いけれど、もっと周知されるべき。 http://d.hatena.ne.jp/ced/20080128/1201490309 かつて新聞というメディア
以下のエントリを読んでいたらニセ科学批判活動についても他人事ではない様な気がしてきたのでちょっと考察してみます。 2008-03-06 考察の前にちょっと前置き。上記エントリと同ブログ内での関連エントリ、他ブログでの言及エントリやはてブコメントを読んでみるとどうも話題の中心はいわゆる「はてブのネガコメ(を付けるブックマーカー)」のようなのですが、このエントリでは特にははてブに特化した考察は出てきません。あと、相変わらずだらだら長いです。 考えてみたい主張 何回か読んでみたのですが、どの一文が結論というか核の主張なのか僕には選び出すことができませんでした。とりあえず、気になったのは次のような表現。 こういうふうに「議論を広げるため」とか「そのほうが面白くなるから」という理由で、「自分が実際にそう思っていないこと」をブックマークコメントに書くのは、「お門違い」というか、基本的に「失礼」なのでは
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