タグ

lifeとtextに関するhatayasanのブックマーク (29)

  • 趣味を持続するときに必要な気持ちと「断念」するときの振る舞い - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    この2週間、公私ともにドタバタしていて更新もできていません。すみません。その間のお知らせ。 この日記の名称の元になっている「とれいん工房」。2009年冬のコミックマーケットに落選しています。相棒や知人も桁並み落ちているんで委託もできなさそうです。 「モノレール・クロニクル」という、モノレールの国内創生期を題材にしたを準備していたんですけど、中止にします。これもパソコンのフォルダーの肥やしになるんですかね。 コミケに初めて申し込んだのは晴海に戻ってきた後の1993年夏コミ。 以来、17年、基皆参加。サークルが当選すれば新刊を出してきたし、サークル名を変えずに同一人物でコンスタントに活動をしてきた鉄系サークルってオレぐらいじゃないのって自負くらいはあるんですが、コミケ、特に冬コミの当選率は芳しくない。 ちょっと自分のサークルの備忘録から、この17年のコミケ当落の経緯を抜き出してみた。 とれ

    趣味を持続するときに必要な気持ちと「断念」するときの振る舞い - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
    hatayasan
    hatayasan 2009/11/16
    身につまされるところがある。自分自身が見ていたものを見続けるのが耐えられずに関係を切ることも、ないとはいえないし。
  • 旅行の動機 - 染谷翔の自転車世界一周ワロスw

    “受け継がれる意志”“時代のうねり”“人の夢” これらは止めることのできないものだ 人々が自由の答えを求める限りそれらは決して――止まらない というのは有名な漫画のロマンあふれる語り文句なのであるが、 なぜこんな旅行をするのかと言われるとそこにロマンがあるからである。 自転車で世界一周というのは自転車乗りの、旅行者のロマンなのだ。 宗教と言ってもいいかもしれない。僕にとっての宗教はいつの間にか自転車で世界を走ることになっていた。 昔から一人で海外旅行していたが、何回か回数を重ねるうちに「こんなもんか」と思い始めていた。 もちろんわくわくするんだけども、バスで世界遺産を見に行くような旅行は僕にとって冒険ではなくなってしまっていた。 それは社会生活も同じで、何年か忙しく働いていたら「まあこんなもんか」というラインができていた。 目の前の忙しさをずっと追っていると他の何もかもが半端になり、出世し

    hatayasan
    hatayasan 2009/11/02
    「体中の力を振り絞って行きたい場所にたどり着くというのは、不毛な仕事とか漠然とした夢とかにはないリアルな手ごたえと達成感があって」熱い。
  • 【魚拓】ある個人史の終焉 - after game over

    http://d.hatena.ne.jp/idiotape/20071016/1192538763 - 2007年11月3日 20:52 - ウェブ魚拓

    【魚拓】ある個人史の終焉 - after game over
    hatayasan
    hatayasan 2009/10/14
    この記事が書かれて2年か。読みたくなったので魚拓をブクマ。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    今の自分は、出会った人や読んできたによって、できあがっている あの小冊子は、新聞の付録だったのか、記憶が曖昧で定かではないのだが、1ヶ月に1回程度の頻度で届いていた気がする。オールカラーで内容もさまざまだった気がする。その中には、プロ野球の選手名鑑もあって、私は、母から受け取り、大切にしていた記憶がある。母は、…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
    hatayasan
    hatayasan 2009/03/14
    「自分の思っていることを伝えるということは私にとって一部にしか受け入れられないという意味を持っていました。でも、そういう意味ではなかったかもしれないと」
  • 「勉強ができる」という蔑称 - 理系兼業主婦日記

    このへんの話題について。はてな匿名ダイアリー:勉強が出来る=頭がいい?404 Blog Not Found:勉強が出来る=何がいい? 小学生のころ、学校のテストで苦労したことはなかった。「勉強ができる」子供だったと思う。 保育園児のころからを読むのが好きだった。絵も、図鑑や「かがくのとも」も好きだった。を開くと、自分の知らない世界や、なぜかなつかしく感じられる世界に、体ごと入り込めるのが好きだった。幼児教育の類はまったく受けていなかったけど、何かのごほうびにねだるものは、たいていだった。 小学校に入学して、真新しい教科書をどっさりもらったときは、ほんとうに嬉しかった。《これだけの新しい世界が、私を待っているんだ!》嬉しくて嬉しくて、教科書を次々めくって読んでいたら、新入生の世話をしに来た6年生が、「おまえ、ほんとうに読めるのか?」と言った。くやしいので音読してやったところ、「じゃあ

    hatayasan
    hatayasan 2008/12/24
    社会に出ると「仕事ができる」は誉め言葉でも「勉強ができる」は婉曲にその人を煙たがる表現になるんだな、と気づきました。
  • 「コミュニケーション能力」について考える - 琥珀色の戯言

    コミュニケーション能力という幻想 - ハックルベリーに会いに行く(2008/12/21) ↑のエントリを読んだことをきっかけに、「コミュニケーション能力」について思いついたことなどあれこれと。 最初に頭に浮かんだのは、押井守監督のこんな言葉でした(押井監督の著書『凡人として生きるということ』より) 僕には友達と呼べる人はいないし、それを苦にしたことはない。年賀状にしても、こちらから出すのは毎年ふたりだけ。師匠ともうひとり。さすがに出さないと失礼と思われる大先輩のふたりを除いて、年賀のあいさつを出す相手もいない。 だから、正月にうちに配られる年賀状はどんどん減ってきた。それでもいいと僕は思っている。他人とのコミュニケーションは、こんな僕でも大事だ。いや、多くの人の才能に支えられて映画を作る僕のような人間には、コミュニケーションほど大切なものはない、と言ってもいいだろう。 だが、それはあくまで

    「コミュニケーション能力」について考える - 琥珀色の戯言
    hatayasan
    hatayasan 2008/12/23
    「「その場しのぎ」を繰り返していくうちに、どんどんやっていることのレベルが下がり、いつか大きなミスをするのではないかという気がします。」引用文、特に最後は折に触れて読み返したいもの。
  • 熱せられるか、みずから熱くなるか - 理系兼業主婦日記

    サイエンスライティング |  よい噺家が育つにはよい噺をふんだんに聞くことのできる状況がなくてはならない、とぼくは考える。豊かな土壌があれば、よいものが育つ。 落語というのは凄いものなんだゾとか、いかに素晴らしいかなどをいくら力説してみたってだめだ。その力説に心を動かされて落語界入りをした者がいたとしても、ただ“理屈好き”とか、説得されてしまったことに酔って“その気”になっちまった者であって、彼らにはいいとこ、そこそこの期待しか持てない。 理屈ではなく、ただただ芸の力に圧倒されて、よし! きっとああいう噺家になってやる! と心を熱くする若者こそ期待できる。 落語家論(柳家小三治) これ、引用文の中の「噺」を「科学」に、「噺家」を「科学者」にしても成り立つのではないか、と思いながら読んでいたのだけど、それだけじゃないな、と思った。どんな仕事でもそうかもしれない。 若者を迎える側としては、ただ

    hatayasan
    hatayasan 2008/12/23
    「私たちにできることは、自分自身が生きていること、そのありようを示していくことだけではないのか。」昨日、10代で父親から学んだもので自分の価値観ってできているのかな、と少しだけ思い出したところです。
  • 何歳まで情熱を持ち続けられますか?: Parallax Site

    山スキー・山登り・MTBなどの活動記録と下山後は蕎麦のべ歩きと温泉!!日常生活でのあれこれなども。HPはこちら・・・http://yamaski.cliff.jp/ 毎日の人間ドックの診療で、受診する大半の方の年齢が40歳代から50歳代である。つまり生活習慣病発症年齢であり、このころ普段の生活状態が将来の健康状態を左右する年代だ。(実際は生活習慣以前に、ほぼ遺伝的に将来の病気の確立は規定されてしまっているのですが・・) つまりこの世代、自分と同じ世代(50歳代ではなく40歳代ですよ!)なのだ。受診者の中には、自分より若いのに、妙に老けこんでいたり、メタボバリバリで糖尿病・高血圧・脂質異常・・・さらにすでに心筋梗塞の既往があったり・・・・結構びびってしまいます。 自分はいったいどうだろうか?今のところ目立った異常はなく、低血圧くらいかな~。以前に沢水を飲んで肝炎になったことはありましたが。

    何歳まで情熱を持ち続けられますか?: Parallax Site
    hatayasan
    hatayasan 2008/12/18
    「その美しくも厳しい世界を自分の足で踏んでみたいという欲求を満たすためには、やはり現場でのトレーニングは欠かせない。すべては情熱がなければ成し得ない。」
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    オーベルジーヌ実レポ べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモンってんのか 許せねえよ………

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
    hatayasan
    hatayasan 2008/12/14
    「そのときは単なる経験、記憶であったとしても、あとになって「そういえばあのとき自分が見たものは」というかたちで鮮やかに蘇ってくることがあります。」
  • 仲間との飲み: セルフビレイ

    http://selfbelay.seesaa.net/ 通称ゴルジュ13こと、きのぽんのブログ。日々の作戦活動を書いていきます。 これまでの主な足跡はこちら ※セルフビレイ…自己確保のこと。日々の記憶の自己確保のためにメモ代わりに作り始めました。 2016年07月(40) 2015年06月(2) 2014年12月(1) 2014年07月(5) 2014年05月(1) 2014年02月(1) 2013年10月(2) 2013年09月(14) 2013年08月(2) 2013年07月(1) 2013年05月(2) 2013年01月(3) 2012年12月(1) 2012年10月(3) 2012年09月(1) 2012年07月(3) 2012年06月(6) 2012年05月(3) 2012年01月(4) 2011年11月(1) 2011年10月(4) 2011年09月(4) 2011年08月(

    hatayasan
    hatayasan 2008/12/09
    「暴走族のあんちゃんたちはいつか引退します。彼らは知っています。若いときにしか出来ないことがあるということ。そしてそれをやりきった後でしか(本当の意味で)次のステージに行くことができないということを」
  • 月並みだけど、信頼関係かなあ - 理系兼業主婦日記

    育児, 働く母 | 治部れんげさんのこちらの記事を読んで、考えていた。仕事育児の両立をはばむもの、それは・・・ - RengeJibuの日記 時期特有の問題点私は幸い、親族には恵まれていて、そこで不愉快な思いをしたことはないけれど、子どもを預けて働いていれば、いろんな人にそれなりのことは言われる。意外にも、役所などの子育て支援関係の人々の発言に、先入観に満ちたものがあったりする。「せめて3歳までは、おうちで育てられたらねえ」系が一番多かった。「保育園に通わせるのはかわいそう」と言う人もいれば、娘と向き合える少ない時間を大切にしていたら「そんなに気をつかってべったり過ごしているから、ママっ子になるんだ」と言う人もいる。「保育園では大勢の中でまとめて見られるからかわいそう」と言う人もいれば、「ひとりっ子だと淋しくて(甘やかされて)かわいそう」と言う人もいる。 今でも、似たようなことは言われて

    hatayasan
    hatayasan 2008/09/08
    復職直後の人が「手負いの状態」と感じているとは、恥ずかしながら考えたことがなかった。職場での接し方の参考にしたい。
  • 私が捨てたもの(追記あり) - 理系兼業主婦日記

    働く母 | 女性は結婚や出産を機に人生の転機を迎えることが多いし、男性の転職も珍しいことではなくなった。(追記・私個人の転職の経緯についてはこちら→転職について) 環境を変えることは、前向きな変革であり、挑戦である、と多くの人が考え、ポジティブな側面ばかりが喧伝されている。 でも、環境を変えて失われるものについては、あまり語る人がいない。転職して半年を過ぎたところで、私が失ったものについて振り返ってみる。 それまでいた世界における信用信用、というのは語弊があるが、それなりに長い間、同じ業界で飯をっていれば、「これについてはあの人に」と声がかかることも多くなる。経験が肩書きになる。通常の仕事とは、少し違う分野からも、「あの分野のエキスパートに話を聞こう」と呼んでもらえて、世界が広がる。 私はまず、アカデミアンとしての経験と肩書きを捨て、次に研究者としての経験と、肩書きを、すべて捨てた。 ア

    hatayasan
    hatayasan 2008/07/17
    「自分が積み上げてきたものの価値を、その間に冷静に見定めよう。 「こんなもの」と思っていたものが、意外に大切なものであったり…それでも、その世界を離れることの価値の方が大きいと思ったら、決断しよう」
  • ソフトウェア技術者としての残り時間 - naoyaのはてなダイアリー

    年始の NHK でのイチロー特集番組を見ていて一番印象に残ったのは、他の人の道具を絶対に触らないというイチローのこだわりでした。曰く、人の道具を触るとその道具の感覚が体に残ってしまい、自分の道具を利用するときの感覚の妨げになるから、ということでした。全体を通して、イチローは他のプレイヤーとの相対的な競争の中に身を置いているのではなく、絶えず自分を改良し続けるという過程の中にいるのだというのがよくわかる内容でした。良い番組だったと思います。 気づけば自分も 30 歳になりました。まだ若いとは思っていますが、さすがに 20 代の頃に比べると、病気や怪我の治りが少し遅くなったと感じることもあり、少しずつ自分の人生、「死」ということを考えるようにもなりました。時間は有限ということが少しずつ実感できるようになってきました。あるいは実感できるようになってしまった、と言った方が良いかもしれません。 ここ

    ソフトウェア技術者としての残り時間 - naoyaのはてなダイアリー
    hatayasan
    hatayasan 2008/03/06
    「情報は自らを成長させるエネルギーであるとともに、自らを躊躇させる罠…イチローがほかのプレイヤーの道具に触れないのと同様に、どこかで割り切ってそれら罠にかからないよう、距離を置く必要がある」
  • もっと、あなたを、知りたくて

    「もっとあなたを知りたい」は、随分前のNTTの広告の言葉。 電話は二人をつなぐ装置として、とても重要な存在だった。 今はインターネットがあって、二人と言わず何人もが一斉につながることができる。 遠く離れていても顔を見て、声を聞いて、コミュニケーションがとれる。 そんな時代の恩恵にあずかりながら思うことは、電話時代と変わらない。 「もっと、あなたを、知りたい」。 ネットを通してやりとりを重ねる中で思ったのは、 相手を知りたいと思って真摯に向き合っていった結果、 相手だけでなく、自分自身のことをわかり、知るのかもしれない、ということ。 「あなたのことが知りたい」という、この一点からスタートして、 「何が知りたい?」「どうして?」「それを知ってどうしたいの?」とつきつめていくと そこから自分自身の姿が浮かび上がってくる。 お互いに「あなたを知りたい」と思うときが訪れて、 真摯に向き合った結果、

    もっと、あなたを、知りたくて
    hatayasan
    hatayasan 2008/02/20
    「「何が知りたい?」「どうして?」…つきつめていくとそこから自分自身の姿が浮かび上がってくる。/真摯に向き合った結果、お互いに自分自身を知って、戻る場所があることに気付く。」こういうの、なんかいいな。
  • その日を摘め: 詩集『はだか』谷川俊太郎より、「さようなら」

    さようなら ぼくもういかなきゃなんない すぐいかなきゃなんない どこへいくのかわからないけど さくらなみきのしたをとおって おおどおりをしんごうでわたって いつもながめてるやまをめじるしに ひとりでいかなきゃなんない どうしてなのかしらないけど おかあさんごめんなさい おとうさんにやさしくしてあげて ぼくすききらいいわずになんでもたべる ほんもいまよりたくさんよむとおもう よるになったらほしをみる ひるはいろんなひととはなしをする そしてきっといちばんすきなものをみつける みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる だからとおくにいてもさびしくないよ ぼくもういかなきゃなんない (詩集『はだか』谷川俊太郎より) こんな詩に出会いました。 前つんのめりの、焦るリズムが、読んでいて苦しい。 少年は、「どこへいくのかわからないけど」「いかなきゃなんない」。 さ

    hatayasan
    hatayasan 2008/02/14
    「「どこへいくのかわからないけど」「いかなきゃなんない」。さらに、「ひとりでいかなきゃなんない」。」谷川俊太郎の詩から、2004年12月。
  • 「好きを貫く」と「好きを見出す」 - 萌え理論ブログ

    「好きを貫く」 「好きを貫く」よりも、もっと気分よく生きる方法 - 分裂勘違い君劇場 好きなことを仕事にしたとたん、「好き」はあなたを縛り付け、苦痛を与え続ける拷問台になる。 id:fromdusktildawn氏の主張を最初に要約しておく。たとえステーキが好きでも、それを毎日べ続けると、やがて飽きてしまうだろう。飽きてなおべ続けるのは拷問に近い。職業も専門性が求められるために、同じような現象が起きる。好きなときに好きなことをする方が理想的だ。このように、「好きを貫く」生き方に疑問を提示し、さらに近代的自我に対する、ポストモダンにふさわしい人格を考えた。 このエントリは、「分裂勘違い君劇場」の中で、トップクラスの良記事である。長文だが読みやすいし、いつもより爽やかで楽しい読後感がある。梅田望夫氏は「ウェブ時代をゆく」でスペシャリストとジェネラリストのタイプを想定しているので、fromd

    「好きを貫く」と「好きを見出す」 - 萌え理論ブログ
    hatayasan
    hatayasan 2007/12/12
    「「好きを貫く」の対極として、「好きを見出す」というのを提唱したい。」好きを潤いに変えることができれば。
  • 牛蒡 好きなこと、について

    を忘れてやりたいことがある。あるいは寝たりべたりしている間にもずっと考えてしまうことがあるというべきか。そういうこと、そういうものに出会えることがある。 それは楽しい。実に楽しい。夢中になりのめり込み、かなりの無理を重ねてそれに向き合いつづける。かなりの無理を重ねていることもかなりの時間を費やしていることにも気付かない。ただそれのことばかり考えている。それが楽しいから、どれだけ眺めていても飽きない。 たまにそういうものに出会う。たとえばそれが歌のときもある。ずっとききつづける。一週間その曲だけリピートして聞いている。それでも飽きない。三週間くらいその状態が続く。常にその曲が流れている状態になれ、ふと違うものがほしくなる。音楽を止めてみる。そうすると、なぜかそのメロディが恋しくなる。またききはじめる。何度聞いても新しい発見がありたまに場所を変えてみたり、ヘッドフォンを変えてみたりするこ

    hatayasan
    hatayasan 2007/12/11
    「長いこと好きなことを続けていくためには、…のめりこみすぎない。これが一番難しい。恐らくは。」嫌いになっても戻ってきてしまう、どうしようもない気持ち、というやつ。
  • さびしさの運用について - Mellow My Mind

    「このさびしさをどしたらいいの」ということを延々考えて、人生単位で見てもそれはそれは長い時間を浪費しました。その中でまず気付いたことは「人はさびしいとおかしくなる」ということでした。ひっくり返すと、人がおかしなことやってるときは、だいたいさびしいんだよな。さびしさを動機にして人や自分を裁いても、よけいさびしくなるばかり。なにかを裁くということはなにかを切り捨てることだ。一度切り捨てられたものは時間が止まってしまう。もうそこからは何もうまれないのでした。さびしいのに、いろんなものをどんどん切り捨てて、自分さえも許せなくなって、狭く、小さく、よけいさびしさを募らせるばかり。おかしなことだ。さびしさとは無縁に見える、幸福そうなあの人と、わたしは何が違うんだろう。考えればなにもかも違うように見えたし、でも当のところはどこがどう違うのかよくわからない。ただ、自分がさびしさにふりまわされていることだ

    hatayasan
    hatayasan 2007/09/06
    「人それぞれが固有のさびしさを抱えていて、固有の優しさに惹かれて、繋がって、世界というのは出来上がっている」さびしさが、新しい世界を覗くきっかけになればいいな。
  • Geekなぺーじ:勝者と敗者の違い

    「The Big Difference between Winner and Loser」という記事がありました。 面白かったです。 勝者は間違ったときには「私が間違っていた」と言う。 敗者は「私のせいではない」と言う。 勝者は勝因は「運が良かった」と言う。例え運ではなかったとしても。 敗者は敗因を「運が悪かった」と言う。でも、運が原因ではない。 勝者は敗者よりも勤勉に働く。しかも時間は敗者より多い。 敗者はいつでも忙しい。文句を言うのに忙しい。 勝者は問題を真っ直ぐ通り抜ける。 敗者は問題の周りをグルグル回る。 勝者は償いによって謝意を示す。 敗者は謝罪をするが同じ間違いを繰り返す。 勝者は戦うべきところと妥協すべきところを心得ている。 敗者は妥協すべきでないところで妥協し、戦う価値がない所で戦う。 勝者は「自分はまだまだです」と言う。 敗者は自分より劣るものを見下す。 勝者は自分より勝

    hatayasan
    hatayasan 2007/08/29
    「勝者は勝因は「運が良かった」と言う。例え運ではなかったとしても。敗者は敗因を「運が悪かった」と言う。でも、運が原因ではない。」結果から学ぶことができるかどうかが分かれ目なんだろうな。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かししてを読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
    hatayasan
    hatayasan 2007/06/16
    「「水は高いところから低いところに流れる」という言葉が端的に示すように、自分だけが高い位置にいて他人を見下している人には、他の人が持っている豊穣な知識の知恵の水が流れ込むということはありません。」