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歴史とコンピュータに関するnezukuのブックマーク (15)

  • パソコン創世記 インデックス - @IT自分戦略研究所

    毎日公開するこの連載では、日のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げて紹介します。普段は触れる機会の少ない日IT業界歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組むきっかけとなればと思います。 なお、この連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底です。

  • MS-DOS無償提供という「奇策」 - パソコン創世記

    府中のエンジニアに打診して、ブートストラップローダーからOSを経て、アプリケーションまで一気に立ち上げてしまうことに技術的な問題点がないことを確認してから、浜田はこのシナリオの最大の障害を崩しにかかった。 サードパーティーが売り出す1枚のフロッピーディスクだけで、自動的にアプリケーションまで起動してしまうためには、それぞれのディスクにブートストラップローダーとOSを同梱しておかざるをえない。つまりマイクロソフトの著作物であるMS-DOSを、他のサードパーティーの製品として発売されるアプリケーションにバンドルせざるをえなかった。 もともとの著作権者であるマイクロソフトからOSの供給を受けた日電気は、PC-9801への移植の作業を行っていた。だが2次的な加工を行っているとはいえ、第3者の製品へのバンドルを実現するためには、当然原著作者の了承が必要だった。 ではマイクロソフトは、バンドルを許容

  • NAPLPS - Wikipedia

    NAPLPS(North American Presentation Level Protocol Syntax、ナプルプス[1])はビデオテックスの国際規格のひとつ。AT&Tによってカナダ政府の作ったTelidonシステム方式を基に作られたもの。ニフティサーブの天気予報で使われたり、キャプテンシステムではこれをもととした方式で情報が提供されていた。 歴史[編集] 1983年11月:カナダ、アメリカの統一規格となる。 1987年9月:日語機能を加えた「日語機能仕様 NAPLPS」が制定される。 特徴[編集] 国際規格である。 PDI(Picture Description Instructions)と呼ばれる命令群でベクトルデータ、文字コードで送るためビットマップデータに比べて図形を送信する場合効率が良い。 端末からの応答も考慮されており、更に動的な表示が可能。 技術情報[編集] 画像

  • VisiCalc: Information from its creators, Dan Bricklin and Bob Frankston

  • “[…] is a toy”

    As many have recognized, when inventions and innovations first appear they are often (always) labeled as “toys” or “incapable” of doing “real work” or providing “real entertainment”. Of course, many new inventions don’t work out the way inventors had hoped, though quite frequently it is just a matter of timing and the coming together of a variety of circumstances. It can be said that being labeled

    “[…] is a toy”
  • 業界に痕跡を残して消えたメーカー UNIXの覇者Sun Microsystems (1/3)

    今回の「業界に痕跡を残して消えたメーカー」は、PCメーカーから外れるがSun Microsystemsを紹介したい。COMPAQなどと激しく市場を戦い、最終的に敗れていった企業だからだ。 BSD UNIXを採用したSunOS搭載マシンで 着実に知名度を上げていく Sun Microsystemsは1982年、スタンフォード大学に近いPalo Altoで立ち上がった。創業者はVinod Khosla、Andy Bechtolsheim、Scott McNealyの3人で、いずれも元はスタンフォード大の学生であった。 また会社設立直後に、カリフォルニア大学バークレー校のBill Joyが加わっており、この4人を創業者とみなすことが多い。

    業界に痕跡を残して消えたメーカー UNIXの覇者Sun Microsystems (1/3)
  • 参画eyeパソコン講座/パソコン20年史part1:NECとEPSON

    ◆国産パソコンの歴史は1978年に売り出された日立製作所の「ベーシックマスター」とSHARPの MZ-80に始まりますが、販売面で先行したのは1979年に発売されたNECPC-8001 でした。それからNECがDOS-V陣営に屈する1997年までは、『国民機』としてのNECパソコンが日のパソコンの歴史を作ってきました。この章では『国民機』 PCキューハチと、その互換機エプソンPC歴史をたどり ます。 1976 前章でふれたように、パソコン時代が始まる前、 1976年にNECはマイコンボードTK-80で大当たりをとります。(TKはTraining Kitの略) CPUは、Intel8080互換のμPD8080A、メモリは512バイト。先行する数種のマイコンと違い、ボード上 に入力キーとモニターを備えているところがミソで、機械語のプログラムを16進キーボードからメ モリに直接入力し、8

    nezuku
    nezuku 2016/06/20
    柏市のウェブサイト内に妙に濃ゆいNEC PC-9801シリーズとEPSON 98互換機シリーズの歴史が
  • 世界初の…

    世界初の○○って結局どれなの? このWEBサイトでは、「世界初のコンピューター」や「世界初のテレビゲーム」を扱ってきているのですが、どれが最初、というのは発言者の恣意的な部分も多く、胸先三寸と言わざるを得ません。 そこで、今回はそれぞれの「世界初」がなぜそう主張しているのか、解説してみようかと思います。 ゲーム編(稿) MML(音楽演奏言語)編 NOP(機械語命令)編 ゲーム編 まずは、興味を持つ人が多いと思う、ゲームから。 最初に、「世界初」と呼ばれている候補を挙げておきましょう。…つまり、目次です(笑) 右図は相関関係ね。詳しくは最後にもう一度解説。 チャールズ・バベジのチェスマシン構想(19世紀) ブラウン管娯楽装置(1947) Bouncing Ball(1950) OXO(1952) Tennis for Two (1958) Tic-Tac-Toe(1959) 迷路のねずみ(

  • Microsoft MS-DOS early source code - CHM

    Software Gems: The Computer History Museum Historical Source Code Series IBM did something very unusual for their 1981 personal computer Rather than using IBM proprietary components developed for their many other computers, the IBM PC used industry standard commercial parts. That included adopting the Intel 8088 microprocessor as the heart of the computer. This “outsourcing” attitude extended to t

    Microsoft MS-DOS early source code - CHM
  • 生きろ! 古い記録メディアたちよ

    最初に作ったホームページはMOにデータを保存した。一太郎で作った卒論は3.5インチのフロッピーに入れて持ち歩いていたように思う。ZIPとかJAZを使っている人はいけてるみたいな雰囲気があった。 なつかしい記録メディア、1979年うまれの私の感覚だとだいたいこんなあんばいだろうか。 3.5インチのフロッピーもMOもZIPもJAZも、一般的には使われることが少なくなったメディアだ。その前の時代にも、後の時代にも記録メディアというのはかなりの種類がある。一概には言い切れないが脈々とした淘汰の歴史の上に成り立っているイメージか。 しかし、そんな淘汰されたメディアを、メーカーが廃盤にした後もなお流通させ続けている会社がある。

    生きろ! 古い記録メディアたちよ
    nezuku
    nezuku 2016/02/04
    8インチフロッピー大きい
  • MSXは楽器だ! ヤマハの野望・全国版&後半は怒涛の展開へ!!:MSX30周年 - 文●MSXアソシエーション 編集●加藤兄 - 週刊アスキー

    ■YMOと同じ音源を家庭でも(10万円くらいで) ヤマハといえば何を思い浮かべますか? バイク? 楽器? いやいやMSXユーザーたるもの「ヤマハはLSI開発メーカーだ」とか言って周囲をドン引きさせなきゃですよ。今回はヤマハのMSXへの取り組みを通してMSX発展の歴史の秘密に迫ります。さて、言うまでもなくヤマハはMSX体も販売しておりました。なかでも中軸になるYISシリーズはMSXの初期の頃より独特の存在感を放っていました。その大きな理由はサイドスロットと呼ばれる、普通のMSXカートリッジよりもちょっと大き目のカートリッジを挿して機能拡張することができることにあります。 ↑写真左:代表的な機種である『YIS604/128』はその名の通り大容量RAM128KBのMSX2。これにFDDを拡張しアプリソフトをカートリッジスロットに挿している。見えないけど左側面にFMシンセサイザーユニット『SFG

    MSXは楽器だ! ヤマハの野望・全国版&後半は怒涛の展開へ!!:MSX30周年 - 文●MSXアソシエーション 編集●加藤兄 - 週刊アスキー
    nezuku
    nezuku 2013/07/23
    CD-ROMドライブ搭載MSX試作機とか熱いね
  • Facebookタイムラインで見るコンピューターの歴史

    先日、FBタイムラインで見る写真の歴史も紹介しましたが。 Facebookのタイムライン表示を利用したコンテンツ。コンピューターの歴史が綴られています。制作はオーロジョティ・ダス(Aurojyoti Das)さん。コンピューターには、今じゃ考えられないベージュのでかい箱時代があったんですよねぇ。「僕はコンピューター。このタイムラインで僕がどんな風に育って来たかわかるよ。」だって。かわゆい。 この歴史もの系は、タイムラインの上手い使い方ですよね。他の歴史ものも続々出て来そうです。 [Facebook Computer Is Me] そうこ(Casey Chan 米版)

    Facebookタイムラインで見るコンピューターの歴史
  • TechCrunch

    The most popular apps suck us into the technological equivalent of couch lock, but it’s easy to imagine how things might have gone differently. Rather than idly scrolling and mindlessly issuing like Chinese electric vehicle startup WM Motor has filed for bankruptcy, an example of yet another once-promising EV upstart that has been pushed to insolvency as bigger players gain market share and Chine

    TechCrunch
  • マウスの父、ダグラス・エンゲルバート氏インタビュー

    マウスの発明者として知られるダグラス・エンゲルバート(Douglas Carl Engelbart)氏(1925~)は、マウスというその画期的な発明のみならず、現在のパーソナルコンピュータで当たり前のように使われているワードプロセッシングや、アウトライン処理、ウィンドウシステム、テキストリンクといった技術を世界で最初に紹介した人物である。 ワールドワイドウェブの考案者として知られるテッド・ネルソン(1937~)も、エンゲルバート博士の業績に強く影響されながら研究を進めてきたという。まさに、現在のパーソナルコンピューティング環境の原型を作った人物といっていいだろう。 ●すべては1945年に収束する 現在、ダグラス・エンゲルバート博士は、米カリフォルニア州フリーモントのLogitech(日法人名はロジクール)社の一角に、作業スペースを提供され、近郊のアサートンという街からそこまで、約16k

  • ENIAC誕生60周年--2人の科学者が作った怪物コンピュータ:スペシャルレポート - CNET Japan

    ENIAC誕生60周年--2人の科学者が作った怪物コンピュータ 文:Michael Kanellos(CNET News.com) 編集校正:坂和敏(編集部) 2006/04/07 13:32   1946年2月、J. Presper EckertとJohn Mauchlyは世界に向けて、「ENIAC(Electronic Numerical Integrator and Computer)」を公開した。世界でも最も早い時期につくられた電気式計算機のひとつとして知られるENIACは、1秒間に5000回の加算を行うことができた。ENIACの処理速度は、それまでに開発されたどの機器よりも、はるかに速いものだった。 2人は自分たちが歴史を変えるような何かを生み出したことを理解していた。だが、この画期的な発明を人々にどう伝えるかという問題があった。そこで、2人は電球に数字を書き込み、その「半

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