毎日公開するこの連載では、日本のパソコン業界黎明期に活躍したさまざまなヒーローを取り上げて紹介します。普段は触れる機会の少ない日本のIT業界の歴史を知り、より誇りを持って仕事に取り組むきっかけとなればと思います。 なお、この連載は『パソコン創世記』の著者である富田倫生氏の許可を得て公開しています。「青空文庫」版のテキストファイル(2003年1月16日最終更新)が底本です。
府中のエンジニアに打診して、ブートストラップローダーからOSを経て、アプリケーションまで一気に立ち上げてしまうことに技術的な問題点がないことを確認してから、浜田はこのシナリオの最大の障害を崩しにかかった。 サードパーティーが売り出す1枚のフロッピーディスクだけで、自動的にアプリケーションまで起動してしまうためには、それぞれのディスクにブートストラップローダーとOSを同梱しておかざるをえない。つまりマイクロソフトの著作物であるMS-DOSを、他のサードパーティーの製品として発売されるアプリケーションにバンドルせざるをえなかった。 もともとの著作権者であるマイクロソフトからOSの供給を受けた日本電気は、PC-9801への移植の作業を行っていた。だが2次的な加工を行っているとはいえ、第3者の製品へのバンドルを実現するためには、当然原著作者の了承が必要だった。 ではマイクロソフトは、バンドルを許容
IBMの「Stretch」プロジェクト LARCの契約を獲得できなかったIBMは、より高性能のマシンを提案し、別の契約を獲得した。このマシンがIBM 704の100倍の性能を持つという触れ込みの「Stretch」である。Stretchは開発コードネームで、IBM製品の正式名称は「IBM 7030」である。なお、Stretchは1961年に完成したが、この性能を達成することはできなかった。 図1.15 IBM 7030 Stretchのコンソール (Computer History Museumで筆者が撮影) Stretchの開発は、Stephen DunwellとGene Amdahlが中心になって進められた。Dunwell氏は、将来の時点でどのような製品が必要になるかという点ではビジョナリーで大きな新製品開発を推進するプロと言われる。一方、Amdahl氏はコンピュータアーキテクトで、St
NAPLPS(North American Presentation Level Protocol Syntax、ナプルプス[1])はビデオテックスの国際規格のひとつ。AT&Tによってカナダ政府の作ったTelidonシステム方式を基に作られたもの。ニフティサーブの天気予報で使われたり、キャプテンシステムではこれをもととした方式で情報が提供されていた。 歴史[編集] 1983年11月:カナダ、アメリカの統一規格となる。 1987年9月:日本語機能を加えた「日本語機能仕様 NAPLPS」が制定される。 特徴[編集] 国際規格である。 PDI(Picture Description Instructions)と呼ばれる命令群でベクトルデータ、文字コードで送るためビットマップデータに比べて図形を送信する場合効率が良い。 端末からの応答も考慮されており、更に動的な表示が可能。 技術情報[編集] 画像
As many have recognized, when inventions and innovations first appear they are often (always) labeled as “toys” or “incapable” of doing “real work” or providing “real entertainment”. Of course, many new inventions don’t work out the way inventors had hoped, though quite frequently it is just a matter of timing and the coming together of a variety of circumstances. It can be said that being labeled
どうも、id:BigHopeClasicです。 本当はこんな内容、自分ではてなブログに投稿したほうが見た目もきれいになるしいいんでしょうが、持続できないブログを作るのも気後れするので、増田を使います。 さて、掲題の件、はびこりそうな誤解がいくつかありそうなのが将棋ファンとして気になったので書こうと思ったものです。 カンニングはあったの?本稿投稿時段階での報道を元にする限りでは、 「日本将棋連盟が三浦九段に対して、カンニングをしていないという悪魔の証明を求めた」 としか解釈できません。つまり、将棋連盟は三浦九段に対して、決定的な物証などを何一つ押さえないまま 「疑われているので潔白を証明しろ」 というに等しい要求を投げかけたことになります。 この点については続報を待つ必要がありますが、あくまでも現段階での私個人の感想としては 「下策中の下策、愚の骨頂」 というコメントに尽きます。 なるほど確
今回の「業界に痕跡を残して消えたメーカー」は、PCメーカーから外れるがSun Microsystemsを紹介したい。COMPAQなどと激しく市場を戦い、最終的に敗れていった企業だからだ。 BSD UNIXを採用したSunOS搭載マシンで 着実に知名度を上げていく Sun Microsystemsは1982年、スタンフォード大学に近いPalo Altoで立ち上がった。創業者はVinod Khosla、Andy Bechtolsheim、Scott McNealyの3人で、いずれも元はスタンフォード大の学生であった。 また会社設立直後に、カリフォルニア大学バークレー校のBill Joyが加わっており、この4人を創業者とみなすことが多い。
平成28年6月16日 小学校段階における論理的思考力や 創造性、問題解決能力等の育成と プログラミング教育に関する有識者会議 (有識者会議における議論の視野) ○ 本有識者会議は、各界の専門家が分野を越えて知見を持ち寄り、特に小学校段階におけるプログラミング教育の意義や在り方について認識の共有を図り、各小学校における今後の円滑な実施につなげていくことを目的としたものである。 ○ 小学校段階におけるプログラミング教育については、学校と民間が連携した意欲的な取組が広がりつつある一方で、コーディング(プログラミング言語を用いた記述方法)を覚えることがプログラミング教育の目的であるとの誤解が広がりつつあるのではないかとの指摘もある。“小さいうちにコーディングを覚えさせないと子供が将来苦労するのではないか”といった保護者の心理からの過熱ぶりや、反対に“コーディングは時代によって変わるから、プログ
◆国産パソコンの歴史は1978年に売り出された日立製作所の「ベーシックマスター」とSHARPの MZ-80に始まりますが、販売面で先行したのは1979年に発売されたNECのPC-8001 でした。それからNECがDOS-V陣営に屈する1997年までは、『国民機』としてのNECパソコンが日本のパソコンの歴史を作ってきました。この章では『国民機』 PCキューハチと、その互換機エプソンPCの歴史をたどり ます。 1976 前章でふれたように、パソコン時代が始まる前、 1976年にNECはマイコンボードTK-80で大当たりをとります。(TKはTraining Kitの略) CPUは、Intel8080互換のμPD8080A、メモリは512バイト。先行する数種のマイコンと違い、ボード上 に入力キーとモニターを備えているところがミソで、機械語のプログラムを16進キーボードからメ モリに直接入力し、8
世界初の○○って結局どれなの? このWEBサイトでは、「世界初のコンピューター」や「世界初のテレビゲーム」を扱ってきているのですが、どれが最初、というのは発言者の恣意的な部分も多く、胸先三寸と言わざるを得ません。 そこで、今回はそれぞれの「世界初」がなぜそう主張しているのか、解説してみようかと思います。 ゲーム編(本稿) MML(音楽演奏言語)編 NOP(機械語命令)編 ゲーム編 まずは、興味を持つ人が多いと思う、ゲームから。 最初に、「世界初」と呼ばれている候補を挙げておきましょう。…つまり、目次です(笑) 右図は相関関係ね。詳しくは最後にもう一度解説。 チャールズ・バベジのチェスマシン構想(19世紀) ブラウン管娯楽装置(1947) Bouncing Ball(1950) OXO(1952) Tennis for Two (1958) Tic-Tac-Toe(1959) 迷路のねずみ(
Software Gems: The Computer History Museum Historical Source Code Series IBM did something very unusual for their 1981 personal computer Rather than using IBM proprietary components developed for their many other computers, the IBM PC used industry standard commercial parts. That included adopting the Intel 8088 microprocessor as the heart of the computer. This “outsourcing” attitude extended to t
最初に作ったホームページはMOにデータを保存した。一太郎で作った卒論は3.5インチのフロッピーに入れて持ち歩いていたように思う。ZIPとかJAZを使っている人はいけてるみたいな雰囲気があった。 なつかしい記録メディア、1979年うまれの私の感覚だとだいたいこんなあんばいだろうか。 3.5インチのフロッピーもMOもZIPもJAZも、一般的には使われることが少なくなったメディアだ。その前の時代にも、後の時代にも記録メディアというのはかなりの種類がある。一概には言い切れないが脈々とした淘汰の歴史の上に成り立っているイメージか。 しかし、そんな淘汰されたメディアを、メーカーが廃盤にした後もなお流通させ続けている会社がある。
こんにちは 本サイトは、標準ロジックのみでコンピュータを作るのが趣味のヂヂィのサイトです。 ハードだけではなく、コンパイラ等の搭載ソフトも自力で開発しております。 2017年の作品 RETROF-16R RETROF-16Mの改良機です。 主メモリを128KBから256KBに増やし、クロックを16MHzに上げています。 しかし、それ以外は前作と殆ど同じです。 全回路図を公開中です。PDF版はこちら 2016年の作品 RETROF-16M 完全手作りTTLコンピュータ「RETROF-16M」に御興味のある方はこちらへ 以下の画像は上が2016年1月に完成した「RETROF-16M」のハード、下が2016年3月に完成した「RETROF-16M」用の統合開発環境です。両者共に本サイト管理人の「完全手作り」です。 一枚の基板上に液晶ディスプレイへの画像表示回路も搭載しています。 スペースインベーダ
■YMOと同じ音源を家庭でも(10万円くらいで) ヤマハといえば何を思い浮かべますか? バイク? 楽器? いやいやMSXユーザーたるもの「ヤマハはLSI開発メーカーだ」とか言って周囲をドン引きさせなきゃですよ。今回はヤマハのMSXへの取り組みを通してMSX発展の歴史の秘密に迫ります。さて、言うまでもなくヤマハはMSX本体も販売しておりました。なかでも中軸になるYISシリーズはMSXの初期の頃より独特の存在感を放っていました。その大きな理由はサイドスロットと呼ばれる、普通のMSXカートリッジよりもちょっと大き目のカートリッジを挿して機能拡張することができることにあります。 ↑写真左:代表的な機種である『YIS604/128』はその名の通り大容量RAM128KBのMSX2。これにFDDを拡張しアプリソフトをカートリッジスロットに挿している。見えないけど左側面にFMシンセサイザーユニット『SFG
いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。 ■職人に関するシリーズもののコラムに感銘 ……を受けたというわけではないが、関連するコラムを書いてみたくなった。 私のような投げやりエンジニアとは、一味違う独自の視点が面白い。ぜひ一読いただきたいコラムです。もし、私が同じ題材でコラムを書いたとしたら、 投げやり崖っぷちエンジニア vs. リア充チョコレート職人 という感じになってしまう。読む人すべてを切なくさせる自信がある。 本当のプロは、道具の選び方が細かい。美容師で1本5万円くらいするハサミを使ってる人の話を聞いたことがある。また、私の習ってるハーモニカの先生は、演奏だけでなく楽器をバラして組み立てる方も達人だ。 高度な技は、洗練された道具に支えられているのだ。 ■で、ITのプロはどうだろうか そんなことで、と
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