Posted March. 09, 2017 08:40, Updated March. 09, 2017 08:40 1919年3月3日。高宗の遺体を入れた梓宮(王の棺桶)が慶運宮(キョンウングン)を去る。大漢門(テハンムン)の前に、肩轝(梓宮を載せた輿)を背負った人々が立ち並んでいる中、その周辺にはすっかり日本軍人たちが立ち並んでいる。死ぬその日まで、亡国の恨みを飲み込まなければならなかった高宗(コジョン)の悲劇が、この一枚の白黒写真から静かに読み取れる。別の写真では、朝鮮ではなく、日本の伝統様式で行われた葬儀の様子も盛り込まれている。 高宗の最後の行く道を見守っていた旧韓末の朝鮮人たちの姿はどうだったのだろうか。ソウル歴史博物館は、1919年3月3日、高宗國葬当時にスポットライトを当てた「高宗皇帝の最後の道」の展示を開いている。展示では、梓宮が、殯殿として使われた咸寧殿(ハムニョンジ