タグ

関連タグで絞り込む (281)

タグの絞り込みを解除

出版に関するshomotsubugyoのブックマーク (338)

  • 石丸梧平の人生創造支部連盟機関雑誌『交響』創刊号 - 神保町系オタオタ日記

    今月15日人文研で第19回「仏教と近代」研究会&宗教雑誌ワークショップ第2回「雑誌メディアの近代仏教」開催。今度は出番がないので、気楽に聞けそう。詳しくは、「「仏教と近代」研究会 : 第19回「仏教と近代」研究会&宗教雑誌ワークショップ第2回「雑誌メディアの近代仏教」」 吉永進一 趣旨説明 武井謙悟 「仏教雑誌研究の変遷ーー保存・利用・活用ーー」 大澤絢子 「人生論としての親鸞と禅ーー石丸梧平の『人生創造』」 司会 石原和 コメント 赤江達也 第2回宗教雑誌古バトル 石丸の『人生創造』はわりとよく見る雑誌で、私もどこかに埋もれているが1冊持っていたと思う。石丸は『日近代文学大事典』から要約すると、 石丸梧平 いしまるごへい 明治19・4・5~昭和44・4・8 小説家、評論家。大阪府生。早大卒業後地方の中学で教鞭をとったが、小説家を志望して第1次大戦後上京。処女作『船場のぼんち』(大8・

    石丸梧平の人生創造支部連盟機関雑誌『交響』創刊号 - 神保町系オタオタ日記
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2019/06/12
    「『人生創造』も削除処分を受けていて、『雑誌新聞発行部数事典』(金沢文圃閣)で一時期の発行部数がわかる」戦前のレア雑誌も、最低限の情報が部数事典で拾えるね(o^ー')b 内務省の思想統制の余沢(?)(σ^〜^)
  • 香港「拘束された書店主の告白」が揺るがす1国2制度の「信用」

    香港でまた「1国2制度」に対する香港人の「信頼」を揺るがす問題が起きている。香港の書店「銅鑼灣書店」の関係者5人が失踪し、中国国内で長期拘束されていることが明らかになった問題で、釈放されて香港に戻った同店店主の林栄基さん(61)が6月14日、公の場に姿を現して記者会見に応じ、赤裸々に拘束をめぐる実態を語った。 拘束された5人のうち、出版社オーナーの桂敏海さんを除く3人は林さんより先に香港に戻っているが、彼らは口を閉ざして実情を明らかにすることを拒んできたので、当事者の証言は初めてとなる。拘束中に中国テレビで流された「告白」のビデオの内容は、「脚があり、監督もいた」として、事実ではなく、強制された演技だったとも語った。

    香港「拘束された書店主の告白」が揺るがす1国2制度の「信用」
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2019/06/10
    大陸には特高警察がちゃんと(?)いるんだなぁ(゜~゜ ) 大陸の図書館はたしか法律で共産主義に奉仕すると明確に目的が決まっていて、それを日図研の人たちはどう考えているのか疑問に思ったことがあったな
  • 研究者の誠実さを問う 深井智朗氏への「公開質問状」書いた小柳敦史氏インタビュー〝学会・出版社の責任は重大〟 2019年6月11日 - キリスト新聞社ホームページ

    トップ特集研究者の誠実さを問う 深井智朗氏への「公開質問状」書いた小柳敦史氏インタビュー〝学会・出版社の責任は重大〟 2019年6月11日 深井智朗氏(東洋英和女学院元院長)による著作・論文における捏造問題をめぐり、読売新聞社(山口寿一社長)と中央公論新社(松田陽三社長)は5月17日、「第19回『読売・吉野作造賞』授賞取り消しのお知らせ」と題する告知を両社サイトにそれぞれ掲載した。対象となったのは同氏の著書『プロテスタンティズム』(中公新書)。「授賞取り消し」の理由について両社は、「深井氏には研究者倫理の欠如が認められ、研究姿勢に重大な問題があり、『プロテスタンティズム』もそのような研究姿勢のもとで執筆された著作に含まれると見ざるを得ない」と指摘し、「深井氏から読売新聞社と中央公論新社にはこの件に関して何の申し出もなく、選考過程で深井氏の問題を把握することはできませんでした」としている。

    研究者の誠実さを問う 深井智朗氏への「公開質問状」書いた小柳敦史氏インタビュー〝学会・出版社の責任は重大〟 2019年6月11日 - キリスト新聞社ホームページ
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2019/06/07
    「研究者の間では、深井氏の著作物に不備があること〜などが知られていたものの、書評で何度か指摘される以外は半ば放置されてきた」 査読って、実際には大して効かないことが多いのではないかしら(゜~゜ )
  • 女優及川道子の父にしてキリスト教社会主義者の及川鼎寿とシーラ倶楽部 - 神保町系オタオタ日記

    黒岩比佐子さんが亡くなる前、「あと10年生かしてくれれば」と泣いておられたと思う。黒岩さんには執筆予定の作品が幾つかあった。ヘレン・ケラー、婦人記者下山京子である。他にも、「忘れられた美人女優及川道子と堺利彦夫」のコメント欄にあるように女優及川道子の父及川鼎寿にも関心があったようだ。御健在であれば、『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社)の文庫版に増補するか、別に一文を書いておられたかもしれない。 私は平成22年10月『秋田雨雀日記』の昭和6年11月8日の条に及川道子の記述を見つけて、早速ブログにアップしてしまった。しかし、それよりも黒岩さんを驚かす記述が他にあった。 (昭和十二年) 二月二十三日 (略)今夜、数寄屋橋の五合庵(及川道子の妹の店)で金田、大沢の諸君五、六人がぼくを慰むる会を開いてくれた。道子のお父さんもきた。この人は明治三十七、八年ごろのキリスト教的

    女優及川道子の父にしてキリスト教社会主義者の及川鼎寿とシーラ倶楽部 - 神保町系オタオタ日記
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2019/06/07
    『近代日本社会運動史人物大事典』を使うなんて、オタどん、通やのぅ(´・ω・)ノ
  • 歴史を扱う本にウソが見つかった時、アメリカの出版社ではどう対処しているのか? | HON.jp News Blog

    通史や歴史上の人物に関する重厚なノンフィクションといえば、ウォルター・アイザックソンの最新作『レオナルド・ダ・ヴィンチ』やユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』など、日でもよく読まれています。 間違いや事実誤認の全くないノンフィクションのを出し続けるのは、どんな出版社でも不可能でしょう。では、アメリカではノンフィクションのを出す際に、どのような手順が取られ、どの程度校正をやり、それでも間違いが指摘された場合はどう対処しているのでしょうか? 日米の出版システムを比べた場合、いちばん大きな違いは、ノンフィクションのを出す前の契約書にあります。小説などのフィクションのであれば、まず既に書き上げられた原稿があって、エージェントを介して出版社がそのを出すかどうかという判断を下します。一方、ノンフィクションの場合は、完全原稿よりも book proposal(企画書)の段階で細かく検討

    歴史を扱う本にウソが見つかった時、アメリカの出版社ではどう対処しているのか? | HON.jp News Blog
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2019/05/31
    「索引は indexer というプロがいて、読者のレベルを考慮し、どこまで詳しく索引をつけるか、という作業を出版社側でやります」日本語の本だと転置形を適宜使うか否かに索引の成否がかかっているんだが、共有されてない
  • 日本エロ本全史 - 太田出版

    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2019/05/25
    メディア史、文学史などで流行りの雑誌史研究。でもこういった基礎的なところがまだまだ不十分なのだわさ(´・ω・)ノ かんじんの国民図書館にあんまり集まってないしねぇ(゜~゜ )
  • 「編集者になるために特別な才能は必要ない。好奇心と想像力を持ってください」Dr.マシリト鳥嶋和彦氏が学生に語ったマンガ、雑誌、出版と編集者の今後

    講義で語られた内容は、作家の発掘や育成から、デジタル時代のマンガや雑誌、そして編集者のありかたまで多岐にわたる。わずか90分という短さだったが、「あくまでも僕の個人的な感想なので」などと笑いを取りながら進めたメインの講義に加え、質疑応答のひとつひとつからも鳥嶋氏のブレない編集者像や哲学が覗えた。 世界的なヒット作を作り上げ、その後、世界を見回しても驚異的な部数の雑誌を率いた鳥嶋氏の発言は、マンガや出版に限らずクリエイティブを志す学生や、あるいはこの記事を読まれる方にもさまざまな発見があろうものだった。 ここではその豊かな時間を可能な限り再現しよう。ちなみにこの日は同学の学生に加え、一般の聴講者も臨席している。 鳥嶋和彦氏 当日の聞き手は、同大学の外部講師を務める原田央男氏。霜月たかなかという名で活動し、コミックマーケットの立ち上げメンバーにして、初代代表を務めた人物。 奇しくも商業と同人

    「編集者になるために特別な才能は必要ない。好奇心と想像力を持ってください」Dr.マシリト鳥嶋和彦氏が学生に語ったマンガ、雑誌、出版と編集者の今後
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2019/05/18
    「『マガジン』、『サンデー』に遅れること10年で『ジャンプ』は創刊しました。『ジャンプ』が10万5000部で創刊したときに、先行2誌はすでに100万部」
  • 古本横丁の和本300円コーナーで『懐徳堂考』上巻を - 神保町系オタオタ日記

    最近大阪古書会館の古市で古横丁の和300円コーナーに懐徳堂関係の資料が出るなあと思っていたら、四天王寺の古まつりで天囚西村時彦『懐徳堂考』上巻(明治43年3月印刷)を発見。非売品。復刻版が出ているが、嬉しい1冊。古横丁はとんでもないを出すなあ。復刻版の『懐徳堂付録』(懐徳堂・友の会、昭和59年3月)の「例言」によると、 書は天囚西村時彦氏の名著『懐徳堂考』初印の複刻である。同書は明治四十三年二月より大阪朝日新聞に「懐徳堂研究その一」と題して連載されたものを、社友有志が同年三月「懐徳堂考上巻」と改題して刊行、翌四十四年七月に同下巻を続刊、二次に亙って私に印行したものである。その頒布部数上巻三十五部、下巻七十五部に過ぎず、まさに稀覯の書というべきものである。 上巻35部の残存状況だが、阪大の総合図書館、池田歴史民俗資料館のほか、国会図書館サーチでヒットしないが大阪府立中之島図書

    古本横丁の和本300円コーナーで『懐徳堂考』上巻を - 神保町系オタオタ日記
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2019/05/16
    オタどん相変わらずレア本を拾ふなぁ
  • 明治期教科書の証紙は謎だらけ - 神保町系オタオタ日記

    みやこめっせの古まつり最終日をのぞいてきた。ヨドニカ文庫がまたまた戦前の教科書類を300円で出していて、見返しや奥付の証紙に注目して「証紙買い」をもくろむ。早速、亀谷省軒編『修身児訓』巻之6(光風社、明治13年11月)を発見。見返しではなく奥付に証紙が貼られている上に、よく見ると「亀谷検査之証」ではなく、「亀谷検査之印」とある。「明治14年教科書『修身児訓』に貼られた検印紙 - 神保町系オタオタ日記」で明治14年の文部省通達を受けたものかとした推測は間違っていたことになる(´・_・`) ここで稲岡勝『明治出版史上の金港堂ーー社史のない出版社「史」の試みーー』(皓星社)に登場してもらおう。39頁に出版社が採った偽版対策の諸類型があがっている。 1 真版の文言を記載した漉入りの別紙を挿入したもの。 2 ‘’真版之証‘’印を扉や別紙に捺印したもの。 3 蔵版之証などとした証紙(印紙)を貼付した

    明治期教科書の証紙は謎だらけ - 神保町系オタオタ日記
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2019/05/08
    明治はじめ、のちの検印紙の起源になった証紙のパターンがいくつかあったと、皓星社からでた『明治出版史上の金港堂』に買いてあったよし(´・ω・)ノ
  • http://www.iwata-shoin.co.jp/backnews/ura/ura1065.htm

    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2019/05/04
    1990年代に700部くらゐだった学術書の発行部数が、2010年代には300部まで落ち込んでゐる(・o・;) 1億人をる国民国家でこんな状況になるとは日本国の衰退を示すものか。そんな日本に公共図書館は3000館あるんぢゃが…
  • 横田順彌先生に薄井秀一の経歴を解明したと報告したかった - 神保町系オタオタ日記

    『SFマガジン』6月号は「横田順彌追悼特集」である。中学生の時買い始めた同誌に横田順彌先生の「日SFこてん古典」が連載されていた。ここで古典SFの存在や古探しの面白さを教えていただいた。ただし、その後の長い古歴の中で古典SFを買うことはほとんどなかったと思う。ヨコジュンさん(と呼ばせてもらおう)が巧みに紹介しているから面白そうと思ってしまうが、原典に当たると実際はそれほど面白くないからである。連載の中で特に印象的だったのは、謎のSF作家羽化仙史(名渋江保)の正体が森鴎外の史伝で知られる渋江抽斎の息子と解明したことである。「大発見」だと思ったものだ。 さて、私はこのブログで、ヨコジュンさんが「海にも出てきた薄井秀一」*1などで追いかけた薄井秀一と菅聡子先生が追いかけた「モダン・ガール」の最初の使用者北澤秀一が実は同一人物だと解明した。詳しくは、 「久米正雄が昭和2年に失ったもう一人の

    横田順彌先生に薄井秀一の経歴を解明したと報告したかった - 神保町系オタオタ日記
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2019/05/02
    「巧みに紹介しているから面白そうと思ってしまうが、原典に当たると実際はそれほど面白くないから」(〃^∇^)o_彡☆ ってか、古書現世さんに同じやうなこと言はれたことあるなぁc(≧∇≦*)ゝ
  • 郷土玩具収集家としての宮脇楳僊こと宮脇賣扇庵4代目宮脇新兵衛 - 神保町系オタオタ日記

    京都新聞の「ウは「京都」のウ」ファイル15「緑紅さんによろしく」第3回(4月23日)は、田中緑紅の郷土趣味社を核に集まった「野」の知的人脈の話。昭和9年3月7日緑紅が南紀白浜から京都へ戻る途中、南方熊楠を訪問したエピソードが日記の写真と共に紹介されていた。もう一人、緑紅叢書の『伏見人形の話』で紹介された宮脇楳僊こと宮脇新兵衛(1893-1960)も登場。宮脇は京扇子を扱う老舗「宮脇賣扇庵(ばいせんあん)」の4代目で、郷土玩具の蒐集が万を超し、そのうち千点が大阪歴史博物館に「宮脇コレクション」として所蔵されているという。 私は宮脇の名は忘れていたが、拙ブログの「昭和14年のみやび会に結集した10人のコレクター群像」で言及していた。『和多久誌』(みやび会、昭和14年3月)に載っている宮脇の経歴を要約すると、 京都市上京区北野紙屋川町 宮脇楳僊 名新兵衛、幼名彦太郎。号楳僊 明治26年1月 京

    郷土玩具収集家としての宮脇楳僊こと宮脇賣扇庵4代目宮脇新兵衛 - 神保町系オタオタ日記
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2019/04/27
    関西のコレクターの歴史って、調べるとオモシロいなぁ(^-^)手がかりの一つに『書物関係リトルマガジン集ー中京・京阪神古本屋編』がなるだろうなぁ(´・ω・)ノ
  • 献本の倫理

    元『ユリイカ』編集長の郡淳一郎氏が、4月22日、自身のTwitterにて「「御恵贈(投)頂き(賜り)ました」ツイートの胸糞わるさ」から始まる「はしたない」御礼ツイートを批判したことで、献という出版界の慣習に多くの関心が集まった。 郡氏によれば、この種の御礼ツイートには「わたしには、「皆の衆、俺(私)はコネがあるんだぞ、大事にされているんだぞ、偉いんだぞ」というメッセージ」しかない。つづけて、「商業出版されたは商品なのだから、それをタダでもらったと吹聴するのは、はしたないことだと、なぜわからないのか。黙ってを読むことが中抜きされていると感じる」と憤りを露わにする。 はじめに断っておけば、私は郡氏の献観、また書物観や編集観にまるで共感しない。詳しくが後述するが、私が著者として他者に献するさい、その人にもっとも期待しているのはのPRであり、賞讃でも批判でも話題になること、注目が集まる

    献本の倫理
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2019/04/26
    献本とステマ論 また「献本をしたとき、その反応というのはいくつかのパターンがある。五つに大別」荒木さん火中の栗を拾うのえらい(o^ー')b 戦前、参考書の献本の回収だけで神保町古書店街が潤ってたって知らんよね
  • 日本の古本屋 / 『明治出版史上の金港堂』

    金港堂と聞いて明治時代の巨大出版社と言える人は何人いるだろうか。相当な出版通でも《最古最大の教科書肆》と知る人は余りいないだろう。それもその筈金港堂は完全に忘れ去られた存在で、従来の近代出版史では業界伝説の対象でしかなかったのである。せいぜい文学好きなら文芸雑誌の嚆矢『都の花』、二葉亭四迷『浮雲』、永井荷風『地獄の花』の版元と答えるか、教育学者なら教科書疑獄事件の主役を連想する程度であろう。それらは確かに金港堂の一面を語ってはいるが、全体像からすればごく小さなパーツに過ぎない。一世を風靡したと言われる巨大教科書出版社は長く顧みられることなく放置されてきた。 誰もやる人がいないという単純な動機から、社史のない出版社「史」の解明に取り組んだのはもう40年も昔のことになる。明治8年岐阜の人原亮三郎が横浜に創業した金港堂は翌年東京日橋に移転するが、その後どのように出版活動を展開し、社業を発展させ

    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2019/04/25
    「参考になる先行研究は皆無なのだから、まず散在する関係史料の発掘から始めるより手段はなかった」近代出版史研究の草分け。その筆法は谷沢永一御大もかくやと思わせる。
  • 「役に立たない学問」を学んでしまった人文系“ワープア博士”を救うには……? | 文春オンライン

    最近、ネットで大きな話題になったのが、2016年に逝去した若手の日思想史研究者・西村玲(りょう)さんについて報じた『朝日新聞』の記事だ(2019年4月10日付け)。 西村さんは2004年に東北大学で文学博士号を取得後、日学術振興会特別研究員(SPD)に選ばれ、さらに2008年に出版した著書『近世仏教思想の独創─僧侶普寂の思想と実践─』は日学術振興会賞と日学士院学術奨励賞を受賞するという、輝かしい業績を持っていた。 20以上の大学に応募するもポストがなく…… 私自身、修士課程までとはいえ、かつて文系の大学院で学んでいた経験がある。なので、上記の彼女のプロフィールには「すごい」「羨ましい」という称賛の言葉しか見つからない。よくわからない人のために(不正確を承知で)野球で例えるならば、甲子園出場校のエースから、プロ入り後に月間MVPと新人王に選出された若手選手……ぐらいの優秀なプレーヤー

    「役に立たない学問」を学んでしまった人文系“ワープア博士”を救うには……? | 文春オンライン
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2019/04/15
    ポストはある程度あるのでは(´・ω・)ノ 昔の日本的経営を漫然と続けている大学やその他の組織にある本来の専門家ポストを、出世できんかったラインや実務家の処遇ポストに充てる運用を止めたらよいと思ふ。
  • 内田文庫主任彌吉光長と霊感透視家山本精一郎の『民俗の風景』(朝日書房) - 神保町系オタオタ日記

    一昨年文庫櫂で『民俗の風景』2巻1号(朝日書房、昭和10年1月。以下「誌」という)なる雑誌を発見。表紙に霊感透視家山精一郎主宰というアヤシゲな表記があるので購入。32頁。昭和9年8月創刊の『古典風俗』を改題したようだ。目次の一部をあげると、 山村に残る古典風景 三田克彦 現代に於ける太古の遺風(二) 山精一郎随筆集 とはずがたり(二) 松晩翠 播磨の国の民謡二三 島田清 桃太郎の誕生 福田圭 山氏の霊感に就いて 吉田晴風 民俗後記 山の「現代に於ける太古の遺風」は『信仰と民俗』(朝日書房、昭和10年3月)に収録されている。そこでも山の肩書きは霊感透視家である。なお、松の「とはずがたり」も収録されているので、松は山の別名と思われる(追記:松幹一(号晩翠)に『とはずがたり』(泰山房、大正6年)があるので、別人のようだ)。 霊感透視家山の経歴は不詳。霊界廓清同志会編『破邪

    内田文庫主任彌吉光長と霊感透視家山本精一郎の『民俗の風景』(朝日書房) - 神保町系オタオタ日記
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2019/04/14
    ああ、弥吉のあの本だした朝日書房って、オモシロな出版社だったんかぁ(・o・;) ところで弥吉・波多野のレファ本のレファ本、かの圭角ある早大天才司書、毛利宮彦が真似されたと怒ってゐたね
  • 山根徳太郎の書簡で見る大正7年以降の月遅れ雑誌の取扱い - 神保町系オタオタ日記

    大阪歴史博物館*1の常設展示室の一角に難波宮大極殿跡の発見者山根徳太郎のコーナーがある。その山根がきよに送った手紙が、『相聞記』(山根徳太郎先生顕彰会、平成3年12月)として刊行されている。「カフェープランタンで天狗倶楽部と喧嘩した永井荷風」や「大正6年1月京都府立図書館でラブレターを書く土田杏村」で土田杏村が後にとなる女性に送った手紙をまとめた『に與へた土田杏村の手紙』(第一書房、昭和16年12月)を紹介したが、『相聞記』の濱田百合子(山根の長女)「相聞記補遺」で父の畏友土田杏村にも『に與へた土田杏村の手紙』というがあると言及していた。意図したわけではないが、山根と土田は畏友であったか。 さて、人のラブレターを読んでる場合ではないが、山根の大正7年2月7日付け書簡に出版史ネタがあった。以下長文を紹介する。なお、わかりにくいが、「いや先頃」から「ない雑誌が御座います。」までも問屋

    山根徳太郎の書簡で見る大正7年以降の月遅れ雑誌の取扱い - 神保町系オタオタ日記
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2019/04/14
    重要な証言ぢゃΣ(・□・;)1995年に稲岡勝が出版史資料はないのでなく散在しとるのだと喝破しとったが、まさにそれ(σ・∀・)「月遅れ雑誌」の近代日本読書史における重要性はつとに指摘されながら実態解明はまだ
  • 萬年社の創刊号コレクション - 神保町系オタオタ日記

    平成11年に倒産した大阪の広告代理店萬年社が所蔵していたポスター、ビデオテープ等は、「萬年社コレクション」で見ることができる。だが、所蔵していた図書類の目録は公開されていないので、全貌は不明である。ところで、「株式会社萬年社蔵書之印」が押された雑誌が大阪の市会に出たようで、恵美須町の文庫櫂で何冊か発見した。なぜか、創刊号ばかりで、萬年社が創刊号のみコレクションしていたのか、市会への出品者が創刊号だけ選んで出品したのかは不明であるが、タイトルは創刊号コレクションとしてみた。写真は、入手した『文化批判』1巻1号(文化批判社、昭和2年5月)「雑誌『文藝戦線』批判号」である。あまり著名な雑誌ではないようで、『日近代文学大事典』5巻(新聞・雑誌)に立項されていない。平野謙『文学運動の流れのなかから』(筑摩書房、昭和44年8月)によれば、 (略)文学における福イズムの悪しきエピゴーネンは、中野重治

    萬年社の創刊号コレクション - 神保町系オタオタ日記
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2019/04/07
    ]万年社コレクションは何年も前から注目してきたが創刊号コレクションはノーマークだったなぁ…一括してどこぞの文学館か国立図書館が買い上げればいいんだが…帝国図書館に雑誌は3割しかなかったのよよ…(´・ω・`)
  • コミック高岡の淵源は、日本最初のセドリ師ぢゃったΣ(゚◇゚;)  - 書物蔵

    オタどんが、軽く調べて、「「高岡店」ではなく「高岡書店」が正しいようだ」としたのだが、https://jyunku.hatenablog.com/entry/2019/02/10/200354 どうやら事態はもっと複雑だったらしい。 これはオタどんも引いている後藤金寿編『全国書籍商総覧』(新聞之新聞社、昭和10年)をよくよく分析的に読んで判明したことなのぢゃが、昭和10年段階で、高岡書店には、 出版業をする「高岡店」(神保町すずらん通り) その小売り部「高岡分店」(神保町すずらん通り) 小売りの店「高岡書店」(小川町靖国通り沿い)ここは「高岡支店」とも呼ばれた の3つがあったのぢゃ。 詳しくは年表を見られたいが、まとめると… コミック高岡の歴史 高岡安太郎(1864-?)が大垣から屋の親戚を頼って1877(明治10)年に上京。1880年に独立して、しばらくセドリをしてお金をため、18

    コミック高岡の淵源は、日本最初のセドリ師ぢゃったΣ(゚◇゚;)  - 書物蔵
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2019/04/03
    この記事の資料4に書いたけど、今のやうなとらのあな、メロンなど同人誌新刊販売書店の隆盛の前史に、コミック高岡などの市販マンガ専門店と、その摘発があったことは意外と知られてゐない事実。これも書店史出版史
  • デジタルで木版発見 - フロム京都

    私の経営する中西印刷は明治の非常に早い時期に京都の地に活版印刷を導入し、その後活版印刷の会社として百年以上の歴史がある。この件については、誌の印刷史関係の記事でも何度か紹介していただいている。 実はさらに活版以前に、木版の時代があったというのが口伝としてあった。しかし、その証拠となる木版時代のというのはこれまで発見されていなかった。木版・活版・平版・デジタルという4つの印刷形式を駆け抜けた会社という当社のキャッチフレーズには実のところ証拠がなかったのだ。 そのことを気にして、亡くなった伯父は京都中の古屋から明治初期の書籍をかたっぱしから取りよせて、中西製木版を探したが、結局、亡くなるまでに中西製木版を発見することはなかった。 ところが木版による出版物が発見できたのである。それも国立国会図書館デジタルコレクションでなのだ。 国立国会図書館デジタルコレクションは書籍の全ページの画像を

    デジタルで木版発見 - フロム京都
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2019/03/16
    「ということは、以前から国立国会図書館にあったことになる。伯父はそのことを知らず、古本屋をあたっていた。伯父の世代では図書館で発見するという発想がなかったのだろう」カード目録時代は出版者から検索できず