R・スチールコレクション、終戦後来日したアメリカ人が撮影、毎日グラフ「ニッポン40年前」から、狭い間口から歩道まで品物があふれて並ぶ南区松屋町の問屋街、玩具問屋。
R・スチールコレクション、終戦後来日したアメリカ人が撮影、毎日グラフ「ニッポン40年前」から、狭い間口から歩道まで品物があふれて並ぶ南区松屋町の問屋街、玩具問屋。
今年が丸善150周年・実践女子学園120周年・実践国文100年記念ということで、「梶井基次郎と”神隠し”の京都展」が開催される。京都では、11月23日(土)~12月7日(土)丸善京都本店で開催。11月23日(土)には座談会(要申込・無料)もあるらしい。梶井や丸善とは無関係だが、同日は京都文化博物館で大塚英志氏の講演会「日本のミュシャ・一條成美と明治のアール・ヌーヴォー」や人文研の「みることの広がり~1910-20年代の展覧体験」もあって大変である。 また、『學鐙』丸善創業150周年記念特別号(令和元年6月)も刊行された。目次の写真を挙げておく。 巻末の「丸善150年史」を見てたら、 明治13年 『洋書目録』刊行開始 明治16年 『和洋書籍及文房具時價月報』発行 とあった。ここには出てこないが、丸善の図書目録を持ってたなと思い出して、発掘した。『和書目録』明治28年8月発行。丸善の目録自体は
明治大学図書館では、発禁本コレクター・城市郎氏の旧蔵資料目録「城市郎文庫目録」を2017年に刊行しました。 今回行われるギャラリー展示では、特色あるコレクションとして位置づけられる城市郎文庫所蔵資料の中から、戦前の出版検閲により発売禁止などの処分を受けた貴重な資料や、戦後の刑法175条(猥褻文書関係)により摘発された資料などを展示。 「出版検閲の歴史や概要を広く理解できる機会を提供したい」としています。 また、展示に関連する記念講演会も開催。城市郎氏の活動を振り返りながら、コレクションの意義を広く伝える場を設けます。 ギャラリー展示開催情報 <展示会名> 中央図書館ギャラリー展示「城市郎文庫展―出版検閲とその処分」 <会期> 2019年10月18日(金)~11月17日(日) <時間> 中央図書館の開館時間に準じる <休館日> 10月29日(火)、11月1日(金)、5日(火) <会場> 明治
かつて出版物はリアルの書店で購入するのがおおよその人にとっては唯一の購入ルートだったが、今ではコンビニやインターネット経由で調達することも当たり前の話となっている。また印刷物ではないが同じ本の類として、電子書籍のような電子出版物も世間一般に浸透しつつある。今回は日販による「出版物販売額の実態」最新版(2019年版)などの公開値を基に、インターネット経由とリアル書店経由における、広義の意味での出版物の購買額動向を確認する。 まずはインターネット経由とリアル書店経由それぞれにおける出版物購買額の定義を行う。 ■インターネット経由の出版物購買額: ・インターネット経由で取引された紙媒体出版物の購買額 ・電子出版(電子媒体の出版物。電子書籍、電子コミック、電子雑誌。学術ジャーナルは含まず)の購買額 ■リアル書店経由の出版物購買額: ・実店舗書店での紙媒体出版物の購買額 ・コンビニでの紙媒体出版物の
沈静化していた「出版業」の倒産が急増している。2019年の「出版業」倒産は1月-8月累計で26件(前年同期比116.6%増、前年同期12件)に達し、2018年1年間の22件をすでに上回った。この20年間では、ピークだった2009年に72件発生したが、同年12月に中小企業金融円滑化法が施行されて沈静化。2016年からは3年連続で前年を下回り、2018年は22件にとどまっていた。 2019年に出版業の倒産が急増した背景は、「出版不況」で雑誌に頼った流通システムが崩れ、「出版」、「取次」、「書店」が負の連鎖に嵌り、業界構造の改善が遅れたことが大きい。不採算の出版物の廃刊、休刊の決定の遅れだけでなく、逆に書籍点数を増やしてきた出版社もある。だが、売上増につながらず、印刷代や紙代の値上がりで赤字が拡大する悪循環に陥っている。 経営が悪化した出版社は印刷代などの支払いを延長し、印刷会社も定期的な需要が
こんなの当たり前でしょ。何を言ってもそう言う人はいる。辞書を引いてみると、当たり前の意味は「だれが考えてもそうであるべきだと思うこと」だ。では、逆に聞きたい。それって本当に当たり前だろうか? 海外の人に話を聞くと、普段我々が当たり前だと思っていることに衝撃を受けている場合がある。日本に住んで5年くらいになるアメリカ人はなぜか本屋にブチキレていた。 ・アメリカ人から見た日本の本屋の変なところ 「Why!?」と声を荒げたのは、日本で生活するアメリカ人・厚切りデイヴ(仮名)さん。本が好きなデイヴさんは、日本の本屋で非常に不便を感じた点があるという。 厚切りデイヴ「なんで日本の本屋は、同じ作者の作品なのに別々の棚に置かれてるの? 意味わかんないYO!」 ──確かに、小説の文庫とかは同じ作者でも出版社別に置かれてるね。 厚切りデイヴ「私は日本語できるけど、それでもどこに誰の本があるか分からない。出版
文学作品を研究する際、初出紙誌や初刊本を手にすると、最初にテキストを読んだときとは異なる印象を持ったり、掲載情報から思わぬ発見をしたりすることは多い。しかし、そういう習慣のない人にはどこに眼をつければよいか意外とわかりにくいようで、「紙誌研究や書物研究は難しい」という声を若い文学研究者や大学院生からしばしば聞くことがある。 「はじめに」によれば、本書は「出版物とその取り巻く環境を、歴史的にアプローチ・研究していく学問領域」である出版史研究に関心はあるものの、敷居が高いと感じている右のような人たちに向けて「議論の基盤となる研究手法」をまとめた論集である。出版史研究の成果を個別に報告した事例は無数にある。だが、その研究方法を整理したものはこれまで皆無であった。そこに、本書の大きな意義がある。 テーマとして扱っているのは、明治期の書物、戦前の週刊誌、最近のアイドル雑誌、ライトノベル、SNSなどを
出版市場は実は縮小していない。出版される本の数は増えている。大ヒットが出にくい、書き手と出版点数の増加でパイが小さくなって専業作家が成立しにくい、作家以外の職も担い手が分散している、そういう状態である。 わたしの職能は雑誌編集、単行本企画、ライティング。特技は特急テープ起こしと他人の原稿の校閲。さる老舗出版社の専業校閲さんから「校閲部門希望で入社試験を受けてもいい」と褒めてもらったことがある(誇らしい)。一緒に育った妹に言わせれば、「お姉ちゃんはちっちゃいときから、字が書いてある紙の束があればだいたいOKなんだよね」とのことである。たぶん死ぬまでそうなんだと思う。 勤務先に大きな不満があったのではない。それでもわたしは十数年つとめた出版社をやめた。会社員生活よりフリーランスのほうが(たとえ収入が激減しても)総合的に幸福な人生を送れると判断したからだ。わたしは元勤務先やつきあいのあった出版社
雑誌は内容に新奇性があり刊行サイクルが短いことから出版社、書店に大きな利益をもたらし、日本の出版物流は雑誌によって成り立って来ました。しかし、インターネットの普及により、雑誌の販売金額は大きく減少しています。こうしたなかで、雑誌のTwitterアカウントの分析から雑誌の現状を考えてみたいと思います。 インターネットを活用して存在感を広げようと取り組んでいる雑誌、そうした取り組みとは全く無縁に生き残りを模索している雑誌、様々な姿が見えてきます。 とはいえ、雑誌の読者がまったく無くなったわけではありません。 雑誌は特定のジャンルや切り口によって集約されたコンテンツが継続的に届けられるメディアです。今回の資料にはできる限り雑誌のWEBサイトへのリンクも付けましたので、これを機会にお気に入りの雑誌を見つけていただければと思います。 また、雑誌は広告媒体としても存在価値を発揮してきました。Twitt
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by Min An パブリックドメインとは、著作物や発明などについての知的財産権が消滅した状態を指す言葉で、人々はパブリックドメイン化された創作物を自由に入手したり利用したりできます。アメリカではミッキーマウスのパブリックドメイン化を恐れたディズニーのロビー活動などによって、著作権の保護期間が次々に延長されてきた歴史がありますが、「大量の書籍が人知れずひっそりとパブリックドメイン化していた」とアメリカメディアのViceが報じています。 Where to Download the Millions of Free eBooks that Secretly Entered the Public Domain https://www.vice.com/en_us/article/kz4e3e/millions-of-books-are-secretly-in-the-public-domain-
執筆依頼を送ると「一人じゃ書けないけど、知り合いにも一緒に書いてもらったらできるかも」という返事を頂く事があります。要するに「単著」ではなく、「共著」という事です。しかし共著は単著に比べてデメリットが多く、完成に至らないまま中止・自然消滅に至ることがかなり多く、基本的にはお断りしています。 もちろん世の中には執筆者それぞれの、当人にしか知り得ない専門性を活かした、論文を集めた本もあります。良い論文でも短いと、複数集めて本にする以外にないという事もあります。しかしこの様な論文集も完成に至るまでには、編者や編集者が多大な苦労を強いられている事はあまり知られていません。 そこで今回はなぜ共著が単著より難しく、デメリットが多いのかを説明したいと思います。安易な気持ちで共著にはしない方が良いと思いますが、もしどうしてもそうなってしまった場合、以下に述べる点を前もって気に留めて頂ければ幸いです。 ・当
月曜夕方、アットワンダー2Fでの座談会「巻号ナイト2巻1号通巻2号」を見聞してきた(´・ω・)ノ 前半は雑誌歴50年になんなんとする成人漫画雑誌ボンの、コンテンツ変遷と、巻号表示についての話。後半は池川佳宏さんの巻号論。次のコピーも配布された。 池川佳宏. 雑誌書誌の巻号や日付に関する報告. マンガ研究. (24), 2018-03, 131-138. いろんな気づきがあった。何から書こうかな。 雑誌「漫画ボン」の100号飛ばし 事例として雑誌「ボン」は通号を100号分(マイナス方向に)飛ばすミスを1994年10月号でやらかしてしまっており、それが当時の編集長に聞いても、原因不明だったという話があった。 1994年9月号:通巻339号 1994年10月号:通巻240号 でも、それでさしたる問題もなく現在の539号(本来なら640号)まで来ているとも現編集長さんの認識であった。 わちきが思う
昭和44年3月29日昭森社の創業者森谷均は亡くなった。4月3日に青山斎場で開かれた友人葬で神原泰が述べた弔辞が『本の手帖』別冊,昭和45年5月に掲載されている。 (略)森谷君は、絵を、彫刻を、詩を、文学を愛したが、更に人間を愛した。芸術を愛する以上に芸術家を愛し、芸術家を擁護し、援助した。(略) 森谷君よ、君を愛し、君を追慕する人は沢山あっても、君を憎み、君を恨む人は一人もいないであろう。天国がもし有りとするならば、それは当然君のものだ。 (略) 弔辞だから故人を悪く人はいないだろうが、同別冊を読んでいると、いかに森谷が詩人、作家、画家、学者、評論家、編集者などに愛されていたかがわかる。しかし、今回若杉美智子・鳥羽耕史編『杉浦明平暗夜日記1941-45 戦時下の東京と渥美半島の日常』(一葉社、平成27年7月)で戦時下の昭森社への批判を見つけた。 (昭和十六年) 十二月五日(金) 曇 (略)
10年間で発行部数半減…韓国文学に暗黒時代? 「作家たちの年間収益はどのくらい?」「文学ジャンルの本は1年間に何冊発行される?」「韓国文学の最大の障害は何?」…こうした疑問に答える「2018文学実態調査」の結果がこのほど明らかになった。韓国文学翻訳院が昨年、文献振興法制定に基づき初めて世論調査機関を通じて行い、その結果は文化体育観光部(省に相当)に提出された。今後は3年ごとに実施される。 韓国の作家たちの年間収入は2017年基準で平均1840万ウォン(約170万円)と集計された。同年の労働者の平均年収(3475万ウォン=約320万円)の半分程度だ。所得区分では「1000万ウォン(約90万円)未満」(43.4%)が最も多く、「所得なし」も7%あった。基礎年金受給者は7.4%だった。調査対象は3つの文人団体(韓国文人協会・韓国作家会議・国際PEN韓国本部)と韓国芸術人福祉財団に登録している作家
なぜ、本を読むのか? Why do we need to read books なぜ、本を読むのか?本書『読書人カレッジ2022』の執筆者の一人である明石健五は、それを「考えるため」であると言います。 ある未知のものに出会ったとき、そこに驚きと感動が生まれる。そうして、初めて自分なりに思考することができ、それを人に伝えることができるようにもなる。 そういう過程を生きられる人のことを、「知性ある人」というのではないか。では、「知性」を自らのものにするためにはどうすればいいのか。繰り返しになりますが、「読み」「考え」「書く」ことを通してしか感得できないのではないか。 新しい出来事や局面に出会い、答えのない問題を考えることで鍛えられていくものが、確かにある。そういう問題は、すぐれた本の中にいくつも見つけることができます。 繰り返し考えることによって、自分の思考を鍛えていく。それによって、今の世の
旧著『書籍流通史料論 序説』(2012年、勉誠出版)は、書籍流通に関わる論考に絞ってまとめたものであるが、このたび上梓の『書籍文化史料論』は、流通だけではなく、江戸時代から明治の半ばまでの書籍文化史全体に及んで、これまで書きためた、また書き下ろしの史料がらみの論考を収めた。勉誠出版の雑誌『書物学』に15回連載した「書籍文化史料片々」も併せて収めた。いずれも、書籍の文化の歴史の、書籍そのものだけではなかなか捉えられないさまざまな様相を、書籍に関わる、また関わりそうな史料を掘り出しながらあぶり出そうとしたものである。といえば、いささかかっこよく聞こえるが、どんな史料があってどう使えるのか、何が史料となりうるか、手探りしながら試みたものたちである。あぶり出せたものは、小さな局面、小さな状況に過ぎないかもしれないが、そこそこ具体的で生々しいはずである。 出来上がった本をパラパラと繰って図版を眺めて
ステージ横には初版(1972~76年刊行)、縮刷版(79~81年刊行)、第二版(2000~01年刊行)、精選版(05~06年刊行)と『日本国語大辞典』が勢ぞろい。図書館になかった縮刷版はこの日のために購入されたのだという。 佐藤「私はあくまで、『日本国語大辞典 第二版』の“元”編集長ですので、気楽な立場でなんでも言えます。今日は『『日本国語大辞典』をよむ』著者の今野先生と、これからの辞典について議論できればと思います。前回のトークイベント(2月15日「ここでしか話せない楽しくてディープな辞書の世界」)は神保町で開催しましたが、今回は先生が教壇に立たれている清泉女子大学ですので、アウェー感が満載ですが」 今野「私はホームだからこそ、無様な姿を見せられません(笑)」 笑いから幕を開けたイベントの冒頭、佐藤さんからは、『日国』の歴史が年表とともに紹介された。 画像をクリックすると拡大で表示されま
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