タグ

京都に関するEoH-GSのブックマーク (3)

  • 悪臭都市だった平安京から、汲みとり式便所と京野菜の話まで(あと、その他諸々の話題) -高橋昌明『京都〈千年の都〉の歴史』を読む- - もちつけblog・はてなブログ版(仮)

    高橋昌明『京都〈千年の都〉の歴史』を読んだ。 京都〈千年の都〉の歴史 (岩波新書) 作者:高橋 昌明 発売日: 2014/09/20 メディア: 新書 内容は、紹介文の通り、 平安の都、日の〈千年の都〉として、今も愛される京都。しかし今の京都には、実は平安当時の建物は一つも残っていない。この都はいかにして生まれ、どのような変遷をたどり、そして「古都」として定着するに至ったのか? 平安京誕生から江戸期の終わりまでその歴史をたどり、「花の都」の実像を明らかにする。 というもの。 結果的に、「臭い」話ばかり取り上げるが、もちろん、それ以外の話題も、読みどころありである。 以下、特に面白かったところだけ。 悪臭都市・平安京 平安京も相当な悪臭都市だった (54頁) 平安京の溝渠には、人間の排泄物も流されていた。 ただでさえドブ化しやすいのに、そのうえ、溝沿いの家からは、汚水が垂れ流しとなっていた

  • 6月2日は「本能寺の変」 明智光秀の進軍ルートをたどる 記者3人で夜通し25キロ|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞

    戦国武将・明智光秀が1582年(天正10)年6月2日、主君の織田信長を討った「能寺の変」。教科書にも載る歴史上の出来事だが、光秀が前夜に京都市に隣接する京都府亀岡市の亀山城から出陣したことは意外に知られていない。謀反を起こす前の光秀はどんな思いを抱いていたのだろうか。今年の大河ドラマの主役になり例年になく脚光を浴びるなか、438年前に光秀の軍勢が夜通し京の能寺へ向かったルートを記者3人がたどってみた。 ■亀山城跡の隣接地から出発 《亀岡は明治維新まで「亀山」と呼ばれていた。明智光秀は1577(天正5)年、丹波攻略の拠点として亀山城を築城した》 午後10時 JR亀岡駅正面、南郷公園(亀岡市古世町)に、昨年5月にお目見えした「明智光秀公像」。亀山城の跡に隣接したこの場所を出発点とした。満月がこうこうと夜道を照らす。気分が高揚し、馬のいななきや軍勢のたけだけしい声が聞こえた気がした。 <15

    6月2日は「本能寺の変」 明智光秀の進軍ルートをたどる 記者3人で夜通し25キロ|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞
    EoH-GS
    EoH-GS 2020/06/05
    “「ピィーッ」とシカらしき鳴き声”たわけ!鹿は呦呦鹿鳴(ゆうゆうと鹿鳴く)ぢゃ!(頑迷固陋な漢籍おじいちゃん)
  • お知らせ : 京都新聞

    File Not Found. 該当ページが見つかりません。URLをご確認下さい。 お知らせ 事件・事故のジャンルを除き、過去6年分の主な記事は、インターネットの会員制データベース・サービスの「京都新聞データベース plus 日経テレコン」(http://telecom.nikkei.co.jp/public/guide/kyoto/)もしくは「日経テレコン」(社・東京 http://telecom.nikkei.co.jp/)、「ジー・サーチ」(社・東京、 http://www.gsh.co.jp)のいずれでも見ることができます。また、登録したジャンルの記事を毎日、ネット経由で会員に届ける会員制データベース・サービス「スカラコミュニケーションズ」(社・東京、http://scala-com.jp/brain/) も利用できます。閲読はともに有料です。 購読申し込みは下記のページから

  • 1