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水俣病に関するEoH-GSのブックマーク (3)

  • 東京新聞:石牟礼さん願い お忍びで実現 皇后さま 「胎児性水俣病患者に会ってください」:社会(TOKYO Web)

    県を訪問していた天皇、皇后両陛下が帰京の途に就かれた熊空港一階ロビー。車いすに座り、皇后さまの到着を心待ちにしている高齢の女性がいた。 水俣病患者の世界を描いた「苦海浄土」の著者、石牟礼(いしむれ)道子さん(86)=写真、熊市。天皇陛下とともにロビーに入ってきた皇后さまは、立ち上がった石牟礼さんに気づくと、歩みを止めて手を振りながらほほえんだ。 全国豊かな海づくり大会出席のため、両陛下は二十六~二十八日、熊県を訪問。稚魚放流行事が行われる水俣病の発生地、水俣市を初めて訪れた。ヒラメなどの稚魚を水俣湾に放流する直前、その姿は近くの熊県環境センターの一室にあった。

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    EoH-GS 2013/11/01
    石牟礼道子って、あ〜、やっぱりこういう人なんだという印象。
  • 水俣病歴史考証館(2)

    1970年(昭和45年)、チッソ株主総会に患者と支援者1000人が参加、チッソを糾弾した。株券を展示。 1971年(昭和46年)、患者がチッソ社(東京)前で座り込み。チッソの設けた鉄格子展示(これって患者がヤスリで切ったものじゃないかな?他所でその写真を見たことがある)。1972年(昭和47年)の裁判では患者側勝訴。 1976年(昭和51年)9月、水俣湾に仕切り網が設置され、水銀汚染魚が他の海域に移動しないように封じ込め。仕切り網実物が展示されていた。1977年(昭和52年)から始まった埋め立て工事が終了し、水銀ヘドロが25ppm以下になったので、この網は97年9月に撤去された。 考証館では、「当に安全になったのか?」と問題提起。1985年10月に採取された220ppmの水銀ヘドロが展示されていた。ちなみに、汚染が酷かった頃、ヘドロ水銀2000ppmという記録がある。 厚生省基準では、

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    EoH-GS 2013/02/16
    原発から生活保護問題に通じる意識。
  • 水俣病歴史考証館(1)

    4年前に水俣に行った時、水俣市立水俣病資料館は見たのだが、あまりにもこぎれいにまとめられすぎていて物足りなかった。直後に行った水俣病歴史考証館は、係の人がおらず、電気も消えていて、見ることができなかった。 今回、水俣病歴史考証館を再訪することにした。 水俣病歴史考証館は市街地の南の方にある。たしか、看板がR3沿いに出ていた筈。念のため、ガススタのオッチャンに訊いたら、「そんな施設はきいたことがない」と言って、水俣病資料館のパンフを引っ張り出してきた。それはちがうって。仕方ないので、独力で施設を探すことにし、山沿いの小径を登ったり下がったり。

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    EoH-GS 2013/02/16
    よく言われることだけども隠蔽派のロジックってなんも変わってないのね。
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