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考え方と芸術に関するfrkw2004のブックマーク (5)

  • 音楽は何をもって模倣芸術と見なされたか:古代と十八世紀 - #EBF6F7

    美術作家である菊池遼さんが以下のようなツイートをしていた。 近代美学、絵画や彫刻や舞踏や詩が模倣を質とするというのはまあとりあえずは分かるのだが、音楽における模倣ってどういうことなんだろう。なんかピンとこないな。 — KIKUCHI Ryo 菊池 遼 (@harukaka_) 2023年3月2日 僕も芸術の模倣説、つまり、諸芸術を束ねるものとして模倣をもちだす理論にはじめて触れたとき、同じような疑問を抱いた。 芸術の模倣説は音楽をどう説明するのか。 幸いにも、どこかで関連する記述に出会ったことがあり、菊池さんに以下のリプライを送った。 古代ギリシアでは感情を模倣すると考えられていたそうです。プラトンは音楽が何らかの感情の只中にある人間の声音を模倣していると考えたとどこかで読んだ記憶があります。近代でもこの方向性で音楽が捉えられていたのかはよくわかりませんが、参考になれば幸いです — Ma

    音楽は何をもって模倣芸術と見なされたか:古代と十八世紀 - #EBF6F7
    frkw2004
    frkw2004 2023/03/04
    「器楽は、テキストによって促されないかぎり、私たちがそこに何かを認識することはほとんどできない」修辞学を学ぶことで音楽が模倣しているものを認識できるようになる。バッハの曲の深さを生み出す理由の一つ。
  • ヒューム「趣味の基準について」:「趣味が良い」ってどういうこと? : 一文学徒のノート

    (注意:この論考はヒュームの趣味論にかんして、LevinsonやMothersillらと同様に発見論的な立場に依拠しています。すなわち、批評家の合意は美を発見するという見方。それに対して、構成論的な立場もありえます。批評家の合意こそが美をつくりだすという立場で、たとえば飯田隆の『新哲学対話』における『アガトン』などはその立場からの論考です。いないとは思いますが、この論考を読んで「ヒュームはこんなことを言っていたんだな」と考える方がいると、僕も(おそらくヒュームも)困ります。) 早速だが、ヒュームが前提するように、趣味の多様性というものは疑いえないだろう。ゴダールやロメールを愛する「シネフィル」もいれば、ハリウッドのアクション映画を熱狂的に好む「シネフィル」もいる。かくして生まれるのが、カントも指摘した趣味のアンチノミーである。すなわち、趣味の主観性(趣味は主観的なものであり争いえない)と趣

    ヒューム「趣味の基準について」:「趣味が良い」ってどういうこと? : 一文学徒のノート
    frkw2004
    frkw2004 2022/09/08
    バロック音楽でよく「趣味の良い」という言葉がよく出てくるんだけど、「自然である」というのは一つの判断基準としてありそう。また、華美ではない、あるいは華美さを旨く演出しているというものも。
  • 音楽の哲学にはどのようなトピックがあるのか - Lichtung

    はじめに じぶんが分析美学の研究をはじめるにあたって、芸術の哲学、分析美学の研究者の森功次さんの記事「分析美学にはどのようなトピックがあるのか」*1におおいに助けられました(森 2015)。そこで、稿では、音楽の哲学、音楽美学をはじめようと考えている方のヒントになればと思い、どのような問いが問われているのかをまとめました。 項目は、英語圏の分析美学の教科書のひとつであるThe Routledge Companion to Philosophy of Music*2の第一部を参照しています。 解説は、何が問われているのか、それを問うと何がうれしいのかを中心に、可能であれば、関連する文献を紹介しています。 それでは、ここからさらに、音楽の哲学を加速させましょう。ちなみに、二万字弱あります。個々のトピックと説明は独立しているので、一気に読まず、お好きなときにつまみ読みしてくだされば。 はじめに

    音楽の哲学にはどのようなトピックがあるのか - Lichtung
    frkw2004
    frkw2004 2019/05/26
    音楽哲学のトピック一覧。正解はないだろうけど、それぞれ音楽について考え、表現することが音楽に深みを与えるんだろうなぁ。
  • 割とガチな教養の有る無し判定

    ・文学、芸術、哲学といった人間の精神から生まれ当事者にしか判断のつかないものにあえて言葉を尽くす/尽くさないというスタンスを合理的な理由と共にとることができるか ・非合理的な存在である人間からなる社会に対して抽象的モデルを当てはめることの妥当性を認識しているか ・人間の意志とはまったく関係ないところに存在する法則性に対して敬意を抱けるか 要するに人文社会自然のそれぞれの科学をちゃんと尊重できるかっていう話。 それぞれについての知識は小学生レベルでも博士号レベルでも問題ない。でも高校の必修程度はわかる、もしくは教科書ですぐキャッチアップできるくらいがいいかな。 教養ってともすると「心が豊か、人格が良い」って解釈されてしまう場合があるけど、それはここではパス。概念として広すぎる。 少なくとも大学という教育機関で育てることができて、マスコミの報道に踊らされないレベルの教養としてはぶっちゃけこのく

    割とガチな教養の有る無し判定
    frkw2004
    frkw2004 2015/07/27
    あれ?神学は?
  • 絵画に隠された意図を読む - チェコ好きの日記

    芸術作品を鑑賞するとき、必要なのは「感性」だと思いますか、それとも「知識」だと思いますか? 結論からいうと、「『感性』だけでも楽しめるけど『知識』があるとなおよし、ただし『知識』だけで観るのはつまらない」といったあたりが、おそらく正解に極めて近い解答です。 『あなたの美術の知識がどれくらいあるかを試す例題10問 - (チェコ好き)の日記』でも書きましたが、私たちのような一般人が、普通に文字の読み書きができる社会になったのは歴史的にみればつい最近のこと。それまでは長らく、文字の読み書きなんて一部の貴族や高僧以外できない、必要ない、という社会がずっと続いていたのです。 そんな時代に絵画が果たしていた役割の1つが、「メディア」でした。絵のなかに様々なモチーフを盛り込んで、文字の読み書きができない大衆に対して「こういうことをしていると地獄に落ちますよ」「こういうふうにすれば天国に行けますよ」みたい

    絵画に隠された意図を読む - チェコ好きの日記
    frkw2004
    frkw2004 2014/01/14
    音楽でも同じことが言える。修辞学を使って楽曲ができているので、知識があるとより面白い。
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