タグ

politicsとcommunicationに関するhatayasanのブックマーク (7)

  • 西浦博教授が緊急報告 “五輪のリスク”議論の背後にある「最大の問題」(西浦 博) @gendai_biz

    5月下旬に新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長が「パンデミックの状況で五輪をやるのは普通はない」と発言して以降、しばらくになります。 このセンテンスが広く知られる一方、私のような専門家目線では、カギとなる発言として「どのような状況で感染リスクが上がるのか、しっかり分析して意見するのが専門家の務めだ」という文が極めて重要であると考えています。 いまこそ、落ち着いてこの感染症のリスクと向き合うことが何よりも重要だと信じています。稿では、今回のことを契機にあぶり出された日の新型コロナ対策の根幹となる問題について、その質に触れつつ整理したいと思います。個人的には、以下に述べる問題点の改善は、今後、日が“科学技術研究の成果”を政策活用に結び付けられる国となるのか否か、そのカギを握るものとさえ考えています。 「政治」と「科学」の対立が煽られた経緯 最初に私の想いを述べますが、私は政府

    西浦博教授が緊急報告 “五輪のリスク”議論の背後にある「最大の問題」(西浦 博) @gendai_biz
    hatayasan
    hatayasan 2021/06/18
    「皆さんは、「安全安心な大会」を何度も口にするリスク管理者から、五輪のリスク評価の詳細に関して何か聞いたことがあるでしょうか。ないはずです。なのに、どうやって安全や安心を担保するのでしょうか。」
  • 「アベ政治を許さない」に感じる違和感 - 読む国会

    www.asahi.com 金子兜太さんが書かれた「アベ政治を許さない」という文字は、様々なところで用いられ、未だに政治的なプロテストの場ではよく使われている。 その成立の経緯については充分に理解しているし、敬意を払いたい。 しかし、私は、「アベ政治を許さない」という言葉、あるいはそれを用いた政治的なパフォーマンスには、ずっと違和感を覚えている。 安保法制強行採決のあとから、度々駅に「スタンディング」という形で無言でボードを持っている人がいたが、率直にいえば、黙ってそのボードを持っている人を見ると、怖い、とすら思う。 先日、私のつぶやいた内容を巡って様々なご意見をいただき、改めてなぜ「アベ政治を許さない」というボード、あるいはメッセージに対して違和感を感じるのかを考えた。 そこにあるのはむき出しの怒りだけ もちろん、このブログを見ていただいている人ならおわかりの通り、私は安倍政権の国会運営

    「アベ政治を許さない」に感じる違和感 - 読む国会
    hatayasan
    hatayasan 2020/08/30
    「ファクトを伝え続けることでしか、この国に正常な民主主義は戻らない」
  • 「世界のすみ分けが露骨にネット上で可視化されている」荻上チキ氏に聞く 分断するネット社会のいま

    平素は株式会社ライブドアのサービスを ご利用いただきありがとうございます。 提言型ニュースサイト「BLOGOS」は、 2022年5月31日をもちまして、 サービスの提供を終了いたしました。 一部のオリジナル記事につきましては、 livedoorニュース内の 「BLOGOSの記事一覧」からご覧いただけます。 長らくご利用いただき、ありがとうございました。 サービス終了に関するお問い合わせは、 下記までお願いいたします。 お問い合わせ ※カテゴリは、「その他のお問い合わせ」を選択して下さい。

    「世界のすみ分けが露骨にネット上で可視化されている」荻上チキ氏に聞く 分断するネット社会のいま
    hatayasan
    hatayasan 2018/08/30
    「攻撃する際に相手の理性に対して冷笑し、茶化すことによって、相手のコミュニケーションを意図的に断絶させているんですね。そうすることで、集団は分極化し、個人もそれに順応してしまう」
  • 文書にして出すということ - 紙屋研究所

    娘が保育園を卒園した。 0歳児から6年間預けた。子どもは一人しかいないので、おそらくこれで保育園とはおさらばだろう。 保護者会の会長を最後の1年間つとめた。 園の存続が大問題になり、ぼくとしてはこれに明け暮れた1年だった。いったい保育園が消えてなくなるかもしれない、という事態なのに、「保育の向上」を組織目的にかかげる保護者会が何もしなくてどうする、というのがぼくの思いだった。 今はまだ詳しく書けないが、かなりのことができたと思う。しかもそれはぼくにしかできないことでもあった。支えてくれる人がたくさんいて、心底うれしかった。 組織体としてもPTA的形骸化が進みつつあった中で、久しぶりに自主的な運動の息吹をとりもどしたと感じた。 この運動の中で感じたことは、「文書にして意思を示す」ということの大事さだった。特に、お役所との関係では、決定的である。 地域(地元の町内会のようなもの)に要請というか

    文書にして出すということ - 紙屋研究所
    hatayasan
    hatayasan 2014/03/22
    “ お役所側に悪意がない場合。つまり現場担当者が、相談してきている住民側に同情している場合でも、文書はあった方が断然よい”
  • 暴言と知性について - 内田樹の研究室

    復興相が知事たちに対する「暴言」で、就任後わずかで大臣を辞任することになった。 この発言をめぐる報道やネット上の発言を徴して、すこし思うことがあるので、それについて書きたいと思う。 松大臣が知事に対して言ったことは、そのコンテンツだけをみるなら、ご人も言い募っていたように「問題はなかった」もののように思われる。 Youtube で見ると、彼は復興事業は地方自治体の自助努力が必要であり、それを怠ってはならないということを述べ、しかるのちに「来客を迎えるときの一般的儀礼」について述べた。 仮に日語を解さない人々がテロップに訳文だけ出た画面を見たら、「どうして、この発言で、大臣が辞任しなければならないのか、よくわからない」という印象を抱いたであろう。 傲慢さが尋常でなかったから、その点には気づいたかもしれないが、「態度が大きい」ということは別に政治家が公務を辞職しなければならないような

    hatayasan
    hatayasan 2011/07/06
    「今回彼が辞職することになったのは、政府と自治体の相互的な信頼関係を構築するための場で、彼が「マウンティング」にその有限な資源を優先的に割いたという政治判断の誤りによる」
  • 距離について - Arisanのノート

    前回に続いて、選挙報道を見てて考えたこと。 今回は同じ選挙でも、アメリカの大統領選の報道を見ていて思ったことである。 民主党ではヒラリー・クリントンの善戦が伝えられてるが、陣営が多くの支持を見込んでいるのは、中間層と呼ばれる人たちであるという。ブッシュ政権のもとで、この人たちの生活が極度に苦しくなり、不満をつのらせているということのようだ。 中間層というのは、富裕層でも貧困層でもないということだろう。 先日ブックマークしたこの記事によると、アメリカには満足に事の出来ない人が3500万人以上居るという。しかもこの数字には、膨大な数居るはずの「ホームレス」の人たちは含まれていない。 http://sankei.jp.msn.com/world/america/071115/amr0711151112008-n1.htm この人たちを「貧困層」と考えると、そこまではいかずとも富裕でもない中間的

    距離について - Arisanのノート
    hatayasan
    hatayasan 2007/11/20
    「「私にとっての他人」という現実性がつかみとられない(略)ことへの渇きから、たとえば人は時に、過剰に他人との同一化を求めてしまったりもするのではないか。」
  • http://anotherorphan.com/2006/07/post_336.html

    hatayasan
    hatayasan 2006/07/24
    「大学教授というのは自意識過剰なまでに自分の立場の政治的な強さを認識すべきなのだ」
  • 1