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マガジン航に関するhiroyukiokanoのブックマーク (10)

  • わが実家「蔵書放出祭」始末記

    「あのをどうしよう……」 奈良の実家の親から「実家を売ろうと思っている」と電話で言われた時に、私の脳裏に最初に浮かんだのは、実家に溜め込んだやCDのことだった。 小さい頃からの好きが高じて図書館に職を得ているが、そもそも、私は「床が抜ける」ほどのもCDも持っていない、その辺にいる「ちょっと音楽が好きな一社会人」である。読書量にすれば年間100冊も読むかどうか。職業柄、を大量に購入・所蔵する必要がある人々と比べれば、所詮は趣味、多寡が知れている。おまけに、結婚して子どもが産まれるに及び、やCDを買うお金も、置くためのスペースも極めて限定されるようになってしまった。結果として、蔵書点数の伸びはここ数年、鈍化する一方だ。 それでも、増えた。故・草森紳一氏は、 「はなぜ増えるのか。買うからである。処分しないからである。」(『随筆 が崩れる』、文藝春秋、2005年) と書いている

    hiroyukiokano
    hiroyukiokano 2015/02/20
    福林さんの記事すごくおもしろかった。こういう話って他人事じゃないよね。お誘いがあったので祭りに行きたいなと思ってたけど予定が合わなくて無理だったのよね。
  • 3 インターネットがあれば図書館はいらない?

    グーグルは「パブリック」といえるか 吉:もうひとつ、図書館という場所はオープンであるべきか、という問題もあると思うんです。すごくインターネット的ですけど、一つの考え方として「誰でも入れるような場にしておいて、あまりにひどいようなら排除する」というのがある。もう一つが、入場券があってお金を払った人じゃないと入れない、という考え方。そういう意味では、書店もオープンな場所ですよね。 高橋:長尾さんの文章(『未来の図書館を作るとは』)からも「知のユニバーサル・アクセス」というか、図書館への普遍的なアクセスへの志向性が感じられました。 河村:でもそれは、インターネットがすでに実現してる気がするんです。 高橋:え、そうですか? 私はインターネットは全然オープンじゃないと思いますよ。「玄関」までは入れても、その先に行けないプライベート・リポジトリとか、ネットからはアクセスできないところがいろいろある。

  • 2 図書館にとってパブリックとは?

    デジタルならではの「生みの苦しみ」 内沼:さきほどのケヴィン・ケリーの「とは持続して展開される論点やナラティヴである」という定義(※Part 1を参照)は、ウィキペディアで定義されているような「とは冊子である」というのとは別の話で、最初のほうで話題に出た「とは生みの苦しみである」という話に似てる気がします。そもそも生むのが苦しくなかったら、論点とかナラティヴが持続しないと思うんですよ。 ――ただケヴィン・ケリーの言葉だと、紙のかどうかという話は抜きになるんですよね。紙だからこそ「生みの苦しみ」があるとしたら……ああ、こっちも紙か電子かは関係ないのか(笑)。 吉:紙のほうが「生みの苦しみ」がより強制的に……。 内沼:そう、比較的に起こりやすい、というだけの話で(笑)。 河村:それに、紙のほうが手触りや雑誌のレイアウトによって、行間に込められた「苦しみ」が分かりやすいんですよ。デジタ

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    hiroyukiokano 2014/06/06
    この座談会の内容の濃さがすごい。
  • 1 そもそも本ってなんだろう?

    昨年秋、「図書館」や「」にまつわる斬新な仕事をなさっている4人の方々(numabooksの内沼晋太郎さん、達人出版会の高橋征義さん、リブライズの河村奨さん、カーリルの吉龍司さん)にお集まりいただき、座談会を行いました。 この座談会を開催するきっかけとなったのは、2012年に前国立国会図書館長の長尾真さんが発表した「未来の図書館を作るとは」という文章です。館長在任中に「長尾ヴィジョン」という大胆かつ画期的な「未来の図書館」像を提示した長尾さんが、あらためて幅広い論点から図書館の可能性を論じたこのテキストを若い世代はどう受けとめたか、というところからスタートし、率直かつ真摯な議論が行われました(「マガジン航」編集人が入院中だったため、長尾さんがこの文章を発表した経緯にくわしい李明喜さんに司会をお願いしました)。 この「未来の図書館を作るとは」が達人出版会から電子書籍(無償)として刊行される

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    hiroyukiokano 2014/06/03
    「「本」というのは、生むときに苦しんだもののことなんじゃないかと」
  • 図書館をめぐる二冊の本〜新年に考える

    明けましておめでとうございます。今年も「マガジン航」をよろしくお願いします。年明け早々に、図書館に関する面白いが二冊出ました。鎌倉幸子さんの『走れ!移動図書館でよりそう復興支援』(ちくまプリマー新書)と、猪谷千香さんの『つながる図書館〜コミュニティの核をめざす試み』(ちくま新書)です。今年はこの話題からはじめたいと思います。 鎌倉さんは公益社団法人シャンティ国際ボランティア会のメンバー(現在は広報課長)で、東日大震災後に岩手県で被災地の仮設住宅をまわる移動図書館プロジェクト(岩手県からはじまり、いまでは福島・宮城を合わせた被災三県をカバーする「走れ東北!移動図書館プロジェクト」に成長しています)を立ち上げた方。そして猪谷さんは昨年創刊されたハフィントンポスト日版で、公共図書館や地方自治をめぐる取材を継続的に続けてきた記者です。 鎌倉さんにはカンボジアで図書館事業を行ってきた経験が

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    hiroyukiokano 2014/01/10
    「本や図書館を社会やコミュニティとのつながりで見る視点」「図書館という「場」がもたらす「本」と「人」との出会いは、「人」と「人」の出会いを産み、それは社会を動かす力」
  • 早起き鳥は文学全集の夢をみる

    ある日、アマゾンのKindle Fire HDでを読んでいたら、プライムユーザー(有料会員)向けにKindleオーナー・ライブラリーという「電子貸」のサービスが日でも始まっていることに気がついた。ひと月に一冊、無償でが読めるというので、さっそく何か面白いがないか物色してみた。 正直、品揃えにはあまり期待はしていなかったが、そこで発見したひとつのに驚いた。そのとは、後藤明生の『挟み撃ち』。講談社文芸文庫版を数年前に買い、読みかけたまま、家の中で紛失してみつからないだったのでありがたい。ダウンロードしてさっそく読み始めた。 後藤明生は1932年に旧朝鮮咸鏡南道永興郡に生まれ、1999年に亡くなった。「内向の世代」と呼ばれた一連の作家の一人で、蓮實重彦や柄谷行人といった批評家が高く評価したことでも知られる。『挟み撃ち』は1973年に河出書房から刊行された作品で、彼の代表作のひとつ

  • 第1回 本屋でこんな妄想は実現可能か

    大阪にスタンダードブックストアという屋がある。「屋ですが、ベストセラーは置いてません」をキャッチコピーに、心斎橋と梅田のド真ん中で「買う前のも読めるカフェ」を併設しているとても斬新でユニークな書店だ。 ここでは出版イベントをはじめ、様々なテーマのイベントが日々開催されていて、僕の著書『住み開き―家から始めるコミュニティ』(筑摩書房)を出版した際も、80人ほどの方が来られてトーク終了後もお客さんと一緒にビールを飲んだり。店内もまぁいい具合にごちゃごちゃしてて、色んなジャンルの書籍に関連する雑貨が所狭しとレイアウトされ、つい先日も旅系のを立ち読みした矢先に横に置いてあったキャップとか買っちゃったり。 屋? 何屋? まぁ、この書店はすでに有名だし、僕がここでことさら詳しく書くことはないのだけれど、先日、社長の中川和彦さんと飲みに行った際に、彼は興味深いことを仰せられたのです。 「たまた

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    hiroyukiokano 2013/07/05
    「“本”というメディアの可能性は、もっともっと日常生活のあらゆる過程に転用されうるものじゃないかという、実感もある」
  • 第2回 一巻書房は、新しい批評だ!

    僕の10年来の友人に岩淵拓郎という人物がおりまして。 岩淵拓郎(@mediapicnic) 73年兵庫県宝塚市生まれ。演劇→バンド→パフォーマンス→執筆→編集→美術→料理→ブログ→一般批評と映画(イマココ)。京都造形芸術大学講師。宝塚映画祭ディレクター。美術家は2010年に廃業しました。(キリッ このTwitterプロフィールを見ていただいてもお感じのように、なかなか「こういうことやっている人」と一言で紹介しにくいのですが、まぁ、とにかくいろんな文化ジャンルを横断しながら、かつてはバンドマンだったり、美術家と称してた時代もあったり、アートスペースの運営にも関わっていたり、でも仕事のベースはわりかし編集と執筆業にあったりと、実に突っ込みどころが多く、とっても興味深い働き方・動き方をしている人物なんですね。 そんな彼が、二年前からに纏わる謎の行動を始めたんです。 岩淵「あのさ、最近、マンガの

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    hiroyukiokano 2013/07/05
    「たくさん読んでいるからこそ言えることもたくさんあるとは思うんだけど、でも“全部読んでるやつ=一番偉い”って考え方そのものに対して、ちょっと抗ってみたいって思ったんですよ」
  • 「本屋はブギーバック」第3回 わらしべ文庫から垣間みえる街の生活の柄 « マガジン航[kɔː]

    大阪駅からJR環状線内回りで3駅目にあたる西九条駅と、阪神なんば線千鳥橋駅の両駅の間に、「此花朝日橋」というバス停がある。住所で言うと大阪市此花区梅香一丁目。ごく普通のありふれたバス停だが、ちょっとその後ろを振り返ると不思議な風景と出会うことができる。街中にひっそりと、しかしほどよい主張をもって佇むこの棚。そしてその前を素通りする人たちもいれば立ち止まる人たちもチラホラ。これが回で紹介する「わらしべ文庫」だ。 簡単に説明すると、読まなくなったや誰かに譲りたいを、そこにあると交換できる仕組みをもった棚のこと。この街に住む中島彩さんが考案し、2012年2月から始めたプロジェクト。その内容はさることながら、一体どういった背景でこのような棚が街頭に置かれることになったのか。棚の変遷を直接紹介してもらいながら、ことの経緯をお伺いした。 のわらしべ交換ワールドへ まずは、わらしべ文庫の

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    hiroyukiokano 2013/07/05
    「きっとこの街ならではの生活の柄が、その本の並びから滲み出ていることだろう」
  • 第4回 本でも音楽でも、“文化”を使い回そう!

    連載を開始して4回目。読者の方々からは「面白い!笑える!」(別に笑かすために書いているわけではないが…)とか「これまでのに関係した文章では出会えない世界がある」とか、嬉しい意見がありつつも、「謎…」とか「そもそもなんでミュージシャンが『マガジン航』で書いてるの?」とか、まぁ様々な感想をいただいているわけです。 第1回目の時に、自分の活動の背景を少しばかり取り上げながら、この連載のテーマを「日常生活におけるとの付き合い方」、「人と人をつなぐメディアとしてののあり方」と書きました。今日は、そのあたりをもう少し紐解きながら、自分の活動、そして友人の事例紹介も交えながら展開していきたく思います。 いきなりですが、“音楽”の話から 僕は、そもそもなんの仕事をしているかと言うと、音楽であったり、様々な文化プロジェクトの企画演出であったり、それらをやWebや雑誌に執筆する、あるいは大学で教える

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    hiroyukiokano 2013/07/05
    アサダさんのやってることはおもしろい。「だいぶ雑駁に極論めいたことを言えば…、「もう演奏とか作曲とか自分でせんでええやん」といったパラダイムチェンジ!だったんです。」
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