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人生と教育に関するvabo-spaceのブックマーク (2)

  • 「身の丈に合わせて、大学行かずに就職すればいいじゃん」

    中学3年の時、親にそんなことを言われてケンカしてから、どれほどの年月が経っただろうか。 そんな私は、某国立大の大学院を出て、参考書の編集者をしている。 幼い頃から、勉強だけは好きで、よくできた。けれども運動もコミュニケーションもへっぽこだったので、小中(公立)時代は同級生にいつもからかわれた。それ以上に辛かったのは、私が好きな勉強のことで、話が出来る相手がクラスにいなかったことだ。 「商業高校?とんでもない!君は普通科に行って、大学に入りなさい」 中学の時の担任は私に、世の中には進学校と呼ばれる、勉強が得意な人が集まって大学進学を目指す高校があることを教えてくれた。今振り返ればバカみたいな話だが、ネットが普及してない当時、塾に通わず、通信教育や家庭教師の類もやってなかった私には、そうした情報を得られる機会がほとんどなかったのだ。両親は共に非大卒で大学受験に詳しくないし、世帯所得も多くなく、

    「身の丈に合わせて、大学行かずに就職すればいいじゃん」
  • (第34回)<石田純一さん・前編>全学バリケード封鎖により学問の本質を知る

    今回は、元祖トレンディ俳優としてブレイクし、現在も多方面で活躍中の石田純一さんのお話です。 都内の名門、青山高校に進学するも、間もなく学生運動にのみこまれ、数ヶ月間「自主授業」となってしまった高校時代。先生と生徒が共に「考える時間」を持つことになり、結果、質を見極める術を学んだとのことです。 喧嘩もする活発な野球少年だった中学時代のこと、そして、英語映画三昧の大学時代から渡米まで、まだまだ現在進行形で夢を追い続ける石田さんのお話です。 ●突然の学校封鎖、自主授業へ 今でも忘れられない光景があります。高校一年の夏休みも終わり、新学期が始まろうというときです。一部の学生による全学バリケード封鎖が行われ、自主授業となったのです。 1960年代から1970年代初頭といえば、安田講堂事件など、数々の大学で学園紛争が起きていましたが、高校では青山高校が初めてのことだったと記憶しています。 都立青山

    (第34回)<石田純一さん・前編>全学バリケード封鎖により学問の本質を知る
    vabo-space
    vabo-space 2016/07/09
    石田純一氏の(参院選の応援にしか見えないような)都知事立候補(検討)会見のあとにブクマ。高校時代の刺激でリベラルな志向になった模様
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