1994年3月16日にNHKが放送したドキュメンタリー「原発導入のシナリオ〜冷戦下の対日原子力戦略〜|現代史スクープドキュメント」の完全に文字に起こした。「原発」が強く政治的に導入されたいきさつを理解する助けになるだろう。過去と私たちの間には、いくつかの断絶があるが、歴史は、現在の政治家や学者の口先以上に雄弁に事実を物語っている。 1時間のドキュメンタリーを10分でお読みください。 第1回目。米ソが水爆開発に躍起になっていた最中の1954年、極秘におこなわれていたビキニ水爆実験で、第五福竜丸が被ばくし、放射能パニックに陥った 日本。そんな中、アイゼンハワー大統領が核の平和利用と唄った「原発」を日本に作るため、「毒は毒をもって毒を制す」という題目を掲げた柴田秀利(TOP 画像右)という男が暗躍し、読売新聞社主、正力松太郎(TOP画像左)とアメリカをつなげた。福島第一原発事故真っ只中の今、当時
在英研究者、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)で研究室を主宰。免疫学者/皮膚科医。本ブログおよびツイッター(@masahirono)では、主に英国事情、政治社会などについて私見をつぶやいています。研究用ホームページはこちら 英ガーディアンJohn Vidal氏による論説記事を紹介します。原子力問題をめぐる論議がなぜ難しいのかが簡潔にまとめられています。錯覚しがちな部分ですが、原子力を前にしては、WHOやIAEAといった国連機関も中立の無色の立場ではなく、この問題には政治的力が大きく作用するようになっています。それゆえ、表の言説に現れて来ている事柄が現地で実際に起こっている事と乖離しており、チェルノブイリが今もなお被害を拡大する惨劇であるということが十分には知られていません。そして、この問題において温暖化ガス排出制限を唱える環境主義者がどのような役割をはたしているかも明確に描かれて
ちょっと前の話になるが、斉藤和義によるセルフカバー、「ずっとウソだった」が話題になっている。こんな僻地のブログを見に来ることができる情報強者ならもちろん知っているのだろうと思うが、一応以下に歌詞を引用。 『ずっとウソだった』 この国を歩けば、原発が54基 教科書もCMも言ってたよ、安全です。 俺たちを騙して、言い訳は「想定外」 懐かしいあの空、くすぐったい黒い雨。 ずっとウソだったんだぜ やっぱ、ばれてしまったな ホント、ウソだったんだぜ 原子力は安全です。 ずっとウソだったんだぜ ほうれん草食いてえな ホント、ウソだったんだぜ 気づいてたろ、この事態。 風に舞う放射能はもう止められない 何人が被曝すれば気がついてくれるの? この国の政府。 この街を離れて、うまい水見つけたかい? 教えてよ! やっぱいいや… もうどこも逃げ場はない。 ずっとクソだったんだぜ 東電も、北電も、中電も、九電も
がんの「基本」を数回に分けて解説しています。今回は5回目です。この「番外篇」は、今回で最後となります。(第1回、第2回、第3回、第4回) がんは消えても患者さんは… わが国では、がんの患者さんも治療にあたる医師も、ともかくがんを治すことだけを考えてきました。完治(かんち)はもう無理とわかっていても、亡くなる前の日まで抗がん剤を使ったりするのです。 こんな例がありました。直腸がんの手術後に、肝臓(かんぞう)の転移が見つかった患者さんのケースです。ずっと強い抗がん剤の治療を受けていて、結局は副作用で白血球が減り、感染症で亡くなりました。 解剖をしたときに担当医が患者さんの奥さんに満足そうに「よかった、抗がん剤は効いていました。肝臓のがんは消えています」と言ったというのです。 がんは消えても治療で患者さんは亡くなっている、本末転倒です。 治癒率より大切なこと 現在、がんの治癒率(5年生存率)は、
samakikakuの今日もワハハ SAMA企画 ページビュー 3113011
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く