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戦争と人生に関するvabo-spaceのブックマーク (2)

  • 婆ちゃんに戦争の話聞いてきた

    今年87歳になった婆ちゃんに、 正月、田舎帰った時に戦争の話を聞いてきた。 当時「この世界の片隅に」のすずと、 同じような年齢で戦争を経験した婆ちゃんに当のところは、 どうだったのかなと聞いてみたいと思ったのがきっかけだった。 婆ちゃんは7人兄弟の三女。 婆ちゃんのお母さんは、早く亡くなっていて 物心ついたころには、後としてきたお母さんに育てられたそうだ。 婆ちゃんが子供のころは婆ちゃんのお父さんは事業に成功していたらしく 家にはお手伝いさんが何人もいたらしいのだが、 戦争前に事業に失敗。 家は途端に貧しくなったらしい。 たまたま勉強が優秀だった婆ちゃんは、 小学校の先生が何度も何度も婆ちゃんの家に来て 婆ちゃんを女学校に入れて欲しいと、お父さんを説得したそうだ。 当時はまだまだ少なかった奨学金の話を持ってきてくれたり、 授業料免除の手続きなどをするなど、 当に熱心に動いてくれたらし

    婆ちゃんに戦争の話聞いてきた
    vabo-space
    vabo-space 2017/01/17
    うちの祖母から生前聞いた話と似てる。動員先工場でなく家の空襲だったが山へ逃げて助かってた|「様式化」と腐す人がいるが、体験した人皆が心底恐怖を感じてたから紋切り型になるんでしょ。津波の体験談のように
  • 特攻した仲間の生まれ変わり…86歳、街頭の学生に感謝:朝日新聞デジタル

    「死ねと命じられて爆弾もろとも敵艦に突っ込んでいった特攻隊員たち。人生には心からの笑いがあり、友情と恋があふれ咲いていることすら知らず、五体爆裂し肉片となって恨み死にした」 加藤敦美(あつよし)さん(86)=京都市西京区=は今夏、戦争で失った仲間を思い、ペンをとった。平和憲法のもとで戦争をしてこなかった日。その姿が揺れる現状に耐えられなくなっていた。 16歳だった加藤さんは1944年12月、特攻隊員をめざして海軍飛行予科練習生になった。山口県の防府にあった通信学校で何度も「ピーッ」という信号音を聴いた。その音は数秒間続き、途切れる。「特攻機が敵艦に突っ込んだ」。班長が言った。先輩たちの「最後の叫び」だった。特別な感情は湧かない。上官から「死ね」と言われたら死ぬしかないと思っていた。 45年8月15日。特攻隊員と… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こ

    特攻した仲間の生まれ変わり…86歳、街頭の学生に感謝:朝日新聞デジタル
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    vabo-space 2015/08/18
    とても印象に残った投書だったので。SEALDsのメンバーにも届いたのは心温まる交流だと思う
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