「太平記」といえば、『鎌倉末期から南北朝の動乱を描いた文学』…ではあるが、それだけではない! 実は日本では、これを題材にした政治思想や正義論、そして娯楽が長ーーい期間「中心・正統」だったのです。 逆に言うと、ここに異議や相対化が出始めたころ、はじめて人文学が花開く。 そんな「太平記の位置づけ」にも、最近さまざまな学問的な研究が進んでいます。そんな話を…諸般の事情で十分に収録できず、話の流れがわかりづらいのですが、可能なだけまとめました。
巫俊(ふしゅん) @fushunia 【今日の発見のまとめ】 ヤマトから見て、足を伸ばした先の「つま先」の辺境の土地が「サツマ」。 しかし、その薩摩は、南西諸島に対しては「ヤマト」として接した。 西周から見て、イバラが生えてる未開の地が「楚」。 しかし、その楚は、長江流域に対しては「商」(殷)として接した。 2017-04-02 02:33:47 巫俊(ふしゅん) @fushunia ●「楚」と、「殷」(商)「周」の関係 中間にある「上洛・商県」は、殷末の周から「楚」と呼ばれた(周で出土した周原甲骨文より) しかし、西周時代の周は、漢水の南側を「楚」(イバラだらけの未開の地)と呼んでいる(西周の青銅器の銘文より) だが、その頃、楚王の祖先は商県にいた! pic.twitter.com/fXCYYEUfpb 2017-04-02 03:15:21
アマゾン紹介文より 『武田信玄の後継者である勝頼は、天正十年(1582)三月十一日、織田信長・徳川家康・北条氏政の侵攻を受けて滅亡した。戦国の雄・武田氏はなぜ、亡国へと追い込まれていったのか。勝頼個人の「暗愚」な資質に原因を求める見方は、はたして正しいのか――。武田・北条・上杉による甲相越三国和睦構想、上杉謙信没後の後継者をめぐる御館の乱、徳川家康との高天神城攻防戦という長篠敗戦後の転換点を主軸に、史料博捜と最新研究から、詳述されてこなかった勝頼の成果と蹉跌を徹底検証。戦国史研究に新たなる足跡を刻む決定版!』 現在、何度も版を重ね、非常に話題を呼んでいます。twitter上での反響を著者・平山優氏(アカウント名は現在「もと考証ズHIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN」)のツイートも交え、発売直後から辿っていきます。ベストセラーらしく、約1カ月で相当たまっているので、2つ目のまと
K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN 山梨在住の歴史学者。健康科学大学特任教授。ポニーキャニオン所属。著作は、『戦国大名領国の基礎構造』(校倉書房)、『天正壬午の乱』(戎光祥出版)、『武田氏滅亡』(角川選書)、『戦国の忍び』(角川新書)など多数。 K・HIRAYAMA @HIRAYAMAYUUKAIN 最近、漫画は読まなくなったのですが、何気なく梶川卓郎さんの『信長のシェフ』を読んでみた。長篠合戦の部分を読んでびっくり!従来の長篠合戦像ではなく、拙著『長篠合戦と武田勝頼』『検証長篠合戦』に近い描写がされており、長篠合戦は信長の新戦術でも勝頼の鉄砲への無理解でもない、 2017-03-03 09:32:25
上野尚人(たっぷりたらこ・イマイさん) uenotakato @uen0 (2017・ラサール中・社会) 「え?これだけで分かるの?」と思ったが、よく見たら…そういうことか。なるへそ。 #中学入試メモ pic.twitter.com/QoXVHgfqoM 2017-01-30 02:05:39
Simon_Sin @Simon_Sin 明日は「太平洋戦争開戦から75年」のココロだぁ~!やだー日本軍コタバル上陸から75年~(あえて真珠湾攻撃とはいわないスタイル) #ss954 2016-12-07 23:53:20 Simon_Sin @Simon_Sin 「1941年の12月8日に日本海軍が真珠湾攻撃をして太平洋戦争が始まった」というのは正確ではなく、真珠湾攻撃よりも1時間以上前に日本陸軍がマレー半島のコタバルに上陸して英軍と戦端を開いているので太平洋戦争の開始はこの時点。真珠湾攻撃は対米戦争の開始に過ぎないんだよね。 2016-12-08 16:00:29 Simon_Sin @Simon_Sin 日本は英国に対してはそもそも宣戦布告すらせずに攻撃をしてたりする。英国は攻撃を受けた後で対日宣戦布告をするんだけどチャーチルは日本大使に 「ある人の中には、儀式的様式を好まぬものもい
巫俊(ふしゅん) @fushunia 佐賀県・滋賀県、春日・斑鳩・飛鳥など、日本語の地名「か」(が)は地名につく語尾で、あそこ、何処、其処の「こ」と同じです 2016-02-20 22:22:25 巫俊(ふしゅん) @fushunia @fushunia 飛鳥川は洪水が多いことで知られ、「飛ぶ鳥のあすか」の地名は「洲処(すか)」に由来するとされます。甘樫の地名も「アマガセ」に由来し、洪水のたびに曲がる飛鳥川の特徴を捉えたものとか。四分町の地名も「渋」(しぶ、水たまり、台所の水滴みたいなイメージ)由来でしょうか? 2016-05-15 00:02:02 まとめ管理人 @1059kanri 古代日本には「サ」という神があり、サの花である”サ”クラの元で”サ”ケを飲み”サ”イワイを得る神事が花見の由来であり、またその”サ”神に献じられたのがサ神(相模)の国である。 とは全部つくり話である #有益
お馴染み作家・地雷魚さんの歴史関連ツイートです。「関ヶ原」という状況自体が、すでに西軍の負けの構図、敗戦処理であり、そしてその状況を作ったのが、最近は酒乱・脳筋キャラが定着しかけている福島正則なのではないか、という面白いお話です
オカルト系書籍でやたらに出てくる、「江戸は風水都市で、天海が徳川家康に進言して造らせた」という説。ところが、江戸城の第一期工事、第二期工事の責任者(本多正信・藤堂高虎)は両方共風水否定派で、家康も風水の話を聞くとキレていたという話も出て来ました。迷信の側面も強い風水説に、江戸初期の為政者が合理的に対処していたこと、江戸幕府衰退期に風水説が復活すること、西洋史や朝鮮史との比較など、色々な方からのご教示で多方面に話が広がりました。
別にアカデミズムに籍があるわけでもない素人ライターが、ベストセラー本・倉山満『嘘だらけの日中近現代史』(扶桑社新書)を読んだ所、高校世界史レベルの間違いも有り、どうかと思う誤りが多数あったので指摘します。倉山氏は国士舘大学の講師で憲政史学者を名乗って居られます。 ※批判・追加指摘歓迎
オリバー・L・オースティン Jr.(1903-1988)はハーバード大学で鳥類学の博士 号を修得し、その後アメリカ海軍に従軍した。従軍中も南太平洋で2,000以上の 鳥類やコウモリを採取、2つの新種のコウモリを発見するなどした。 1946年の4月から1949年の12月まで米国天然資源局(the Natural Resources Section)の野生生物部署の代表に就任、占領下の日本で狩猟法の改善や動物保護 区の設定など野生動物の保護に尽力した。また山階芳麿などの研究者とも交流し た。日本に滞在中の約4年間で駐留中のアメリカ人の生活や東京や地方の生活に 関する1,000枚以上のカラースライドを残した。 このコレクションは氏の息子のトニー・オースティン氏が所有していたものを フロリダ州立大のアニカ・カルヴァー准教授が中心となり戦後70周年を記念して デジタル化したものである。
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