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lifeとwebに関するhatayasanのブックマーク (45)

  • なぜ男は冬富士に向かったのか? ~ネット生配信の先に~ - NHK クローズアップ現代 全記録

    たくさんの自撮り動画を配信していた男性。 名は明かさず、テツ(TEDZU)とだけ名乗っていました。 残された配信映像を丹念に確認していきます。 中でも多いのが、自転車で走りながらの映像。 テツさん 「わせ弁(早稲田の弁当屋)が、わせ弁値上がりしている。」 「早稲田インキュベーションセンター。」 会話の中にたびたび登場する「早稲田」ということば。 現地に行ってみると…。 ほど近くに、テツさんが住んでいたと思われる古いアパートがありました。 大家さん夫婦に話を聞いてみます。 大家さん夫婦 「(テツさんが滑落したのは)ただただ驚天動地。富士山に登りに行っていることも知らなかったので。」 取材班 「テツさんはどちらに住んでいた?」 大家さん夫婦 「あちらに見える、平屋建ての。」 庭先に建てられた古い離れ。 47歳で亡くなるまで、ここで1人暮らしをしていたといいます。 大家さん夫婦 「友達が出入り

    なぜ男は冬富士に向かったのか? ~ネット生配信の先に~ - NHK クローズアップ現代 全記録
    hatayasan
    hatayasan 2019/12/22
    10年前Ustreamが流行った頃のことを思い出した。隙間を埋めるためにネットに何かを求めていたのは自分も同じだった、と。
  • ウェブに住む人たちは、死ぬ間際も画面に向かってつぶやき続けるのだろうか - tapestry

    2週間近く前にちらちゃんからもらった花がまだ咲いている。朽ちる直前の花の持つ妖気を感じる。 24時間、自分の意志のままに行動していると、どうしてもブログを書く意欲が減退する。 けれど、このブログでないと私の近況や想いを届けられない相手がいる。その対象のひとつは、ウェブのみでつながっている人。勿論読んでもらえているかは定かではないが。 彼らはあなたの人生にとって必要のないものですよ、と何処かで誰かがつぶやく。いいえ、そうではないのです。彼らがウェブに存在するかぎり、彼らとつながり続けるべきだし、断ち切ることはできないのです、と私は答える。当にそうですか?と声がする。分からない。でもまだつながっていたい。 昔は、直接のやりとりや人を介した伝聞だけが誰かとつながる手段だった。そのほうがどれだけ楽だったことだろう。 でも今はちがう。ウェブという曇りガラスの向こうにいる相手の存在を無いものにはでき

    ウェブに住む人たちは、死ぬ間際も画面に向かってつぶやき続けるのだろうか - tapestry
    hatayasan
    hatayasan 2014/01/29
    「ウェブという曇りガラスの向こうにいる相手の存在を無いものにはできない。電波にさえ乗ればテキストや画像により形成された相手の「存在」にふれてしまえるから」澄んだ文章。
  • インターネットで死ぬこと、現実で生きること - ゲームサイドUG neo

    最近、何となく考えさせられるような事が同時多発的に起こったので、適当にまとめて書いてみる。 つい先日、「Google+のハングアウト機能で、今年亡くなった実父のアカウントに話しかけたら、もしかしたら父が生き返るんじゃないか、って気がする」という誰かの話題を聞いて、ひとつ思い出したことがあった。 今からちょうど8年前、誌の前進「ユーゲー」の前編集長で闘病治療中だったEさんが亡くなって間もない頃のある日、社内でメッセンジャーソフトを立ち上げていたら、なんとEさんのアカウントが突然サインインしてきて、とても驚いた。 恐る恐る、思わず「Eさん、生き返ったの?」とメッセを投げてみたら、「Kです。あいつのPCの中身を整理しようとしたら、メッセも立ち上がっちゃった」と返ってきた。どうやら編集部で元「ユーゲー」編集長・Kさんが、Eさんのデスクの遺品整理でEさんのPCを起動したら、メッセも起動してしまった

    インターネットで死ぬこと、現実で生きること - ゲームサイドUG neo
    hatayasan
    hatayasan 2013/10/25
    “ネットでも現実でも、いつまでも消えない彼らの面影が残り続けるのは、時にはやるせなく、辛くもあるけど、誰かの思い出の中でずっと生きてくれていると考えるのも、まあ悪くはないかなと思った。”
  • アフィリエイトで勘違いした大学生の末路

    ただの趣味で始めたはずなのに大学生だった2007年頃から趣味で他愛もないホームページをつくっていた。 ワードプレスやライブドアブログのようなCMSには頼らず、1から10まで自分で作ることにこだわった。 すぐにのめり込んでいき、大学の図書館にこもりWEB関係のを借りまくった。 しかしWEB関係といってもPHPSQLは理解できなかったので、まずはHTMLCSSだけ勉強して静的なページをべた書きで量産していった。 HTML,CSSですら最初はつまづいていたけれども、自分の意図した通りにデザインできるようになってからは面白かった。 アクセスは全く増えず、一日100PVにも満たなかったが、僕はめげなかった。 講義には出ず、学園祭にもサークルにもいかなくなり、周囲からは「まだやってたの」「何がしたいの」と呆れた目で見られるようになった。 付き合う人も限定されて社交性は衰えていった。 半年が経って

    アフィリエイトで勘違いした大学生の末路
  • ウェブ自意識肥大症の治療について - novtan別館

    ウェブで活動する難しさは、一見客観的に見える評価の指標(例えばブクマ数)があってそれを自己の正しい評価と勘違いしてしまうようなこと。それだけではなく、過去のそういった栄光を盾にとって「俺はスゴイ!偉い!俺を評価できない人は視野が狭いかアホかだ」みたいになってしまう。観測範囲中に何人か罹患していると思しき人がいる。 「やればできる(けどやらない)」というのは「明日から気出す」と一緒で強がりにすぎないし、「俺が評価されないのは周りのせい」と唱えてしまうのも同様なんだけど、自己防衛能もあってついついそう主張してしまうのは仕方がないことではある。 でも、そこで自分に向き合わないと成長はないよね。ところが、変な成功をしちゃった人はそれができずに「できるはずの理想の自分」に対する自意識ばかりが肥大していく。 以前、成功体験では人は救えない - novtan別館という記事を書いた。とはいえ、自分自身

    ウェブ自意識肥大症の治療について - novtan別館
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    hatayasan 2013/05/14
    「「欲」に対して行動を伴わせない選択」
  • 困難な中で好きなこと(趣味)を続ける打開策としてのWeb :Heartlogic

    困難な中で好きなこと(趣味)を続ける打開策としてのWeb   子どもがWebで情報発信するなら「ファンサイト」がいい 数年前、Webでの「世界に情報発信」を、子ども(発信するようなものを特に持たない、人生経験の浅い人)が行う意義はあるか? 何かやりたいとしたら何をやるのがいいか? と考えたことがありました。 多少のヒアリングと考察の結果、何かの「ファンサイト」をやるのがいい、という結論に至りました。自分自身に語れるものはなくても、好きなもの(それは芸能人とかゲームとかアニメとかスポーツとかなんでも)の1つぐらいはみつかるはず。それに関する情報は調べればどんどん出てくるはずだし、下手に自分そのものを出してしまうよりも安全でもあります。 また「伝え方」の練習もできるし、ファン同士が出会ってコミュニケーションが生まれやすい。世の中いろんな人がいる、という経験もできることになるだろうと思います。

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    hatayasan 2012/04/14
    「実名で活動する場面が多くなっている今において、Webで継続的にやっていけるかどうかというのは、必然的に人生そのものの問題になってきます。」
  • twitterで知り合った友人が亡くなった - Everything You’ve Ever Dreamed

    彼女とはツイッターで出会った。共通のフォロワーがひらいた飲み会で初めて顔をあわせた。二月の東京だった。彼女が、僕の日記(つまりここだ)が面白いと言うので、調子にのり、ああ、よく言われますと冗談のつもりで言い返すと変なものを見るような目をしていた。それが彼女との最初だった。そして、それが最後だった。彼女は死んでしまった。 訃報をきいてすぐに僕は彼女のツイッターのホームをひらいた。「つぶやき」は五月を最後に終わっていた。終わりのほうは体調不良をほのめかす発言の頻度が増えていた。僕はまったく気付いていなかった。彼女は、彼女の言葉、彼女に気付かないまま流れていく世界を眺めてどう思ったのだろう?そして、不安を感じさせる言葉のあいだあいだには、健康になりたい、元気な体が欲しい、という願いの言葉があった。 仲間たちと彼女の通夜に行った。ツイッターで出会い、インターネットの向こうで知らないうちに病に斃れて

    twitterで知り合った友人が亡くなった - Everything You’ve Ever Dreamed
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    hatayasan 2010/07/08
    「インターネットの付き合いはリアルのそれよりも深いものになりうる」思い出す文章:「僕の師 (古田学さんのこと)」http://green2.net/yama/essay/master/master.html
  • 科学と生活のイーハトーヴ » 幸せを表明することの政治的正しさと、他人をもっと幸せにすることの気前よさ

    荻島さんのブログエントリ「ノイエンハイムを散歩しながら日少子化を考える」を拝読して、つらつらと考える。 ここハイデルベルクで暮らしていると、家族での生活が生活の中心になる。東京のように、映画を観に行ったり、ショッピングをしたり、レストランで事を楽しんだりということは生活の中心にはなっていない。そもそも娯楽はあまりない。日少子化が問題になっている。子育ての環境が整っていないことはもちろんで、それも今回のハイデルベルク滞在で痛感したことだが、子供をもつよりもDINKS(Double Income No Kids)の方が東京の生活を謳歌できるようになっていることが少子化の要因なのではないかと思えてしまう。ここハイデルベルクではDINKSではたぶん、つまらない生活になるだろう。週末はホームパーティを開いて、夏は庭で子供を遊ばせながら、大人たちはテラスでビールを飲むというような生活が生活の

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    hatayasan 2010/07/08
    「私から不機嫌をまきちらして、不機嫌ばかりが自分のまわりに集まってくる方が、よほど大きな損ではないか?」読み返したいと思っていた記事だった。新しいブログの方に記事を移されていた。よかった。
  • インターネット上の一生 - インターネットの真の姿とは

    ・○月×日、初めてインターネットに触れる。YAHOO!の画面が新鮮に感じる。 ・インターネットの世界を知り、さまざまなページを巡回する。笑いや情報の収集に貪欲な毎日。 ・やがて対象はエロにシフト。掲示板へ始めて書き込んだりなどしてみる。ほかのユーザの存在を感じ始める。 ・インターネット上の「観測」を続けるうちに興味を持つように。 ・インターネット上で「活動」をはじめる。誕生の瞬間。媒体はSNSゲーム、ブログなど幅広い。 ・発言する。コミュニケーションを行う。参加している意識を感覚として持つ。自分が何かしなければという気持ちに駆られる。当事者意識が強い。この楽しい瞬間をいつまでも過ごしていたいと思う。 ・環境が変わり、インターネットで過ごす時間が少なくなる。自分なりに折り合いをつけ、絆をつなぎとめようとするが、やがてそれすらままならなくなる。 ・やがて、インターネット世界に対する興味が薄れ

    インターネット上の一生 - インターネットの真の姿とは
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    hatayasan 2009/07/27
    「ひとつの発言のみで消える木霊として存在したほうが気楽。だが、さびしい。」
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

    hatayasan
    hatayasan 2009/05/15
    最後の更新は本人によってされたものではないのだろうか。突然終わったサイトの話を思い出す。http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20071101#p1
  • たぶんしってるとおもう

    14年か15年前くらいだとおもう。高松のちいさなパソコン専門店でIBMのAptivaというPCを衝動買いした。それがぼくのPC生活の始まりだった。30数万円して、そのうえデスクトップだった。でかかった。 当時はテレビのCMでさえ、インターネットという言葉はとくに目にしなかった。ぼくはインターネット、という言葉は知っててもそれがどんなもので、どんなことができるのかほとんど無知だった。 インターネット接続にはダイヤルアップという方法があるらしく、マニュアルを片手に、帰省していた姉といっしょに接続を試みた。どうやらクレジットカードが必要らしく、当時クレカを持っていなかったぼくは一時的に姉のカードを借りて接続を試みた。 契約はすんなりと終え、ガチャピーピー、ファックスのような音がパソコンから聞こえる。静かになって、そこからなにも始まらない。姉とぼくのふたりは???の中にしばらくいた。ただ1分数十円

    たぶんしってるとおもう
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    hatayasan 2008/11/18
    「これまでは何かのきっかけにネットが存在していたんだけれど、これからはそのきっかけをここに依存することはそんなにないだろう、と。 」
  • ハッピーをネットで共有するのが無理すぎるたった一つの理由 - 殿下執務室2.0 β1

    ◆ハッピーをネットで共有するのは無理すぎる@ネットランダム 多分、理由は簡単で、それは 「人は、ネットで発声する声の大きさを調整できない」 から。 ブログであれその※欄であれぶくまであれミクシィであれ、ネットは基的に「自分の意見を世界に公開する」仕組みになっているのは常識ではありますが、結局のところそれは、ボリューム調節としては大きめに自分の声を出す結果になる、というお話かと。 かつて斉藤由貴の「May」という曲にこんな歌詞がありましたが だけど 好きよ 好きよ好きよ誰よりも 好きよ 世界が震えるほどに いつか大きな声で告げるわ なんてのがあって、いやこれ実際世界が震えるほどに大きな声で告げたらうるせーだろ、とリアル中二の有芝はツッコんでしまいたくなったものでしたが、一方でこの曲がそういうキモさをある意味感じさせなかったのも史実としてはあったりして、それは何故かというと、当時の斉藤由貴っ

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    hatayasan 2008/10/21
    リアルだと「羨ましい」ですむ話もネットで叩かれることがあるのはなぜだろう? 見通しのよすぎるウェブの抱える脆弱性のようなものなのだろうか。
  • 今できつつある思い出を、どうバックアップしようか。 - CONCORDE

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    hatayasan 2008/10/17
    「"あちら側"にアクセスできる環境を失えば、あとは記憶の中でしか辿れなくなるのでしょうか。」230MBのMOを大容量メディアとあがめていた頃が懐かしい…
  • 入力を制限する - good2nd

    数週間前からテレビを見る時間を減らしています。正確には、テレビをつけている時間、というべきかもしれません。僕は特に見ていなくてもテレビをつけっぱなしにしているほうだったのですが、最近はニュースのほかは是非見たいという番組を見るとき以外は消すようにしています。テレビのついてる時間は少なくとも 1/4 くらいにはなったんじゃないかな。事のときも見ないようになりました。 きっかけは少し前に行った旅行なんですけど、そのとき、ちょっと奮発して普段使うような所より高めのホテルに泊まったんですね。場所もまあリゾートというか、海岸の近くで周りには繁華街とかなくて夜はとても静かになる所で。それで、ホテルはとても気持ちのいい部屋だったんですけど、テレビがなかったんですよ。そうすると、夜に事を終えて部屋にいるとすごく静かなんです。パソコンも持っていかなかったし。携帯はあったけど、携帯ではほとんどネットを使わ

    入力を制限する - good2nd
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    hatayasan 2008/10/09
    ときには意図的にインプットを断つことで心を鎮める。
  • いろんな自分がいる事を確認するって大事 - 試作型思索と詩作

    hatayasan
    hatayasan 2008/08/11
    「少しおかしいな、と感じたら、離れて遠くから自分を眺めてみる。」cf.http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20080801/167011/
  • Hatena ID

    hatayasan
    hatayasan 2008/07/09
    「でも、ネット上で言われるのなら、いいなと、思った。…おまえみたいなやつはこうしろ、と言われた方が自分にとっては新鮮だし、自分がダメだと思っていることを指摘して肯定してくれる。」
  • webでアウトプットする理由 - こころの風景

    Tristarさんがコメント欄でお書きになった、「総表現社会」という言葉についてあれこれ考えていたのですが、このテーマに関連するような気もする以下の記事を読みました。 →当に頭にいい人はWebにアウトプットしないのか? - インターネットの真の姿とは 仕事のキャリアがある人であろうとなかろうと、現実社会でアウトプットできる場と機会があり、またその「場」で反響を得たりフィードバックできたり自分を認めてもらえる人なら、わざわざwebでアウトプットする必要性を感じないのかもしれません。日曜画家や手芸を格的にやっている主婦は、サークルや個人での発表の場があればそれでだいたい満足するでしょう。個展やグループ展という機会がない、あるいはあってもその発表の場だけでは満足しきれていない人のなかで、ネットが身近であれば発表の場として「サイト(ブログ含む)」を立ち上げようという発想が浮かぶのだと思います。

    hatayasan
    hatayasan 2008/04/16
    リアルで満ち足りていたら、ウェブを見ることはあってもウェブで書くことなんかなかっただろうな。
  • Web上のつながりを断つこと - インターネットの真の姿とは

    インターネットは、人やモノ、情報やカネなど様々なものをつなげてきた。つなげることに疑問はなく、人やものがより密接に繋がることで、今まで出会わなかったものや人達が出会い、より緊密な社会ができあがる。それはとてもすばらしいものだと思った。 ただ、つなげるにしても「つなげ方」はWebサービス集客の明暗を大きく分けたように思う。どういうふうにつながりをうまく演出するか。ただ電話のように言葉をただつなげれば人はみなしゃべりだすと言うわけではなく(無論しゃべる人もいる)、シャイな人、テキスト以外のつながりを求める人、報酬を求める人、癒しを求める人、反応を求める人と、世の中色々な人がいるので、いかに人が「使いたい」と思うか。それは必要性、楽しみ、依存によるものかもしれないが、とにかく何かしら人をひきつけるサービスが、淘汰の末に残っていったように思う。 これらのサービスが提供され、使われると言うことの根

    Web上のつながりを断つこと - インターネットの真の姿とは
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    hatayasan 2008/04/09
    「寂しさと、怒りと、やるせなさと、嫉妬心が混じった、胸から抑えがたい激烈な感情…そのような感情が、人と「つながらない」ことから出てくるように思う。」ウェブに限らず、これは確実にある。
  • 人との絆 - こころの風景

    →気を遣いすぎて逆に不快感を生じさせてしまう問題 - takoponsの意味 takoponsさん。コメント欄ではてなIDを間違えていてごめんなさい!Marumamekoさんは、人に嫌われたくないと思っておられるようだ。(たぶん) そうですよ。嫌われたくないです。正確に言うと“人に”ではなく“ぴとこさん”に“M2さんに”や今まで絆を培ってきたあの人やこの人に、ですが。知り合ってから1年や2年ではないのですから。それまで積み上げてきた関係を大切に大切に思っていますから。 広いネットの社会での小さなきっかけに過ぎなかった出会いから、今日まで交流が続いてきたのは、やはりかけがえのないご縁があったからでしょう。ちょっとしたことで不愉快にさせてしまったこともあります。それはお互いに。しかし「あれは言い過ぎました。ごめんなさい」と謝って関係を修復してきました。理解できないところもあります。それもたぶん

  • どうやって感謝するか - ぼんやりと考えたこと

    以前にぼんやりと考えたこと 2009 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 2008 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 2007 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 2006 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 2005 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 2004 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 2003 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 最近のコメント ひろしま (ひらがなせいかつ …): じゅくじくんは なくした ほうが いい ですね。ぼくは… たんぽぽ (ひらがなせいかつ …): きゅうに ぜんぶの ことばを ひらがなだけに す

    hatayasan
    hatayasan 2008/02/27
    「ぼくを頼りにした人に親切にしてあげれば、その人も誰かに頼られたときに、同様に親切にする確率があがるのではないか、とぼくは信じているのではないか」ネットの知人に感謝の意を伝えるときに思うこと。