Chicagoの正式名称が「Windows 95」と発表された。95は1995年、つまり来年のことである。 「Chicago」という開発名称を持つ現行のWindows3.1の次バージョンの正式名称は、Windows4.0と予想されていたが、みごとにマイクロソフトはそれを裏切ってくれた。 古くからコンピュータ業界にいる人にとっては、年号つきのソフトの代名詞といえばFortranである。言語仕様を策定した年号をつけて、Fortran-77などと呼ばれていた。パソコンの世界でも、10年ほど前にマイクロソフトのFortran-80という製品が存在したが、これは別もので80は当時の主流8ビットマイクロプロセッサZ-80から採ったものである。 マイクロソフトがソフトウェアの名称に年号をつけるのは、初めてではない。今年8月にはSQL Serverを、サイベース社の製品との混同を防ぐという理由で、次バージ
高橋名人が世界初のハイビジョン専用ゲーム『HI-TENボンバーマン』のディスクを入手。ゲーム保存協会へ保存 この記事(元になっている高橋名人のブログ記事)がツイッターのTLに流れてきた。 それでTLで聞かれたのが「ソースは残ってないんでしょうかね?」 こういうのは元ハドソンのいかにもやってそうな人たちに聞くに限る… というわけで、ちょっとfacebookで聞いてみたところ、いろいろ細かいことが分かったので、記事として残しておきたい。もちろん、みんなにOKはもらっている。 登場人物は以下 飛田→飛田 雅宏さん 泣く子も黙る桃太郎伝説や桃太郎電鉄のプログラマ。X68KのAS/LKとかファミコン&PCエンジン&SFC用のAS/LKとか、SDとかivとか、ジャン狂とか、その他いろいろの作者。野沢→野沢 勝広さん 泣く子も黙るスターソルジャーの作者…として多分一番有名。実はチャレンジャーの横スクロー
ことの起こりは11月初旬。週アス編集部への1本の電話から始まりました。 「どうもライターのヨッピーです!」 名乗った瞬間に、「あれ、ヨッピーさんって、あのヨッピーさん?」「あのツタンカーメンに扮してツタンカーメン展に行ったり、三輪車で都内一周したりしている、あのヨッピーさん?」とピンときてダイレクトに尋ねてみることに。 イッペイ「あの~、ヨッピーさんって、“あの”ヨッピーさんですか?」 ヨッピーさん「はい、ヨッピーです。実はauさんの企画でWindows95でノマドするという企画をやっておりまて、PC-98を買ったまではいいんですが、うまくインターネットの画面が表示されなくて……(中略)、結局PC-98のWindows95が起動しなくなってしまい困ってます。どうにかお力添えを!」 イッペイ「なるほど。ご事情は飲み込めました。しかし、僕はWindows95が出たとき中学生ぐらいだったので、そ
今では、広く使われているDTMという言葉が誕生したのは1988年のことでした。この年、ローランドが発売した「ミュージくん」という製品においてDTM=DESK TOP MUSIC SYSTEMという副題が付けられたのがスタートだったのです。 ミュージくんは、次の製品名からミュージ郎と改められ、大ヒット製品へと成長していったのですが、ミュージくんを持っていたという人は少ないかもしれません。そこで、DTMの原点を振り返るという意味で、このミュージくんとが、どんな製品だったのか、当時のパンフレットなども見ながら紹介してみましょう。 1988年にローランドから98,000円で発売されたDTM丸ごとセット、ミュージくん ミュージくんが生まれた1988年当時、国内で普及していたパソコンといえばNECのPC-9801。まだWindowsXPもWindows95も登場するはるか以前で、もちろんインターネット
アルファベット編 まずアルファベットのキー配列について説明しましょう。パソコンのアルファベットのキー配列は、タイプライターという機械が元になっています。英文タイプライターを作ったのは、アメリカのChristopher Latham Sholesという人で、1870年の時点ではABC順を少し改良したキー配列だったと考えられます。前半のABCDEFGHIJKLMを左から右に、後半のNOPQRSTUVWXYZを右から左に並べて、そこからAEIOUYの母音を上の段に取りだしたのが、このキー配列です。この時点のタイプライターは、大文字と数字と4種類の記号が打てるものでした。キーの数は38個でした(図1参照)。 図1: 1870年9月時点のキー配列(推定) Sholesの後ろ盾だったJames Densmoreは、このタイプライターを、シカゴのEdward Payson Porterが経営する電信学校
印刷する メールで送る テキスト HTML 電子書籍 PDF ダウンロード テキスト 電子書籍 PDF クリップした記事をMyページから読むことができます ……ようこそ、「業界タイムマシン」のコックピットへ。私は、ナビゲーターの大河原克行です。このコーナーでは毎回、IT業界の歴史を、当時の写真を交えながらご紹介していきます。 さて、今回のテーマは、「セイコーエプソン vs. NEC PC-98互換機騒動」です。 1987年3月、セイコーエプソンは、「PC-9800シリーズ互換機」を発表しました。欧米では、標準機となっていたIBM PC/ATの互換機が市場を席巻していましたが、日本では、各社が独自の仕様を発表。その中でNECの「PC-9800シリーズ」が圧倒的なシェアを獲得していました。その独自市場において、セイコーエプソンが投入したのが、国内初の98互換機「PC-286シリーズ」でした。こ
Tetris is a popular game developed in 1984-86 by Alexey Pajitnov (Pazhitnov), Dmitry Pavlovsky, and me. Pajitnov and Pavlovsky were computer engineers at the Computer Center of the Russian Academy of Sciences. I was a 16-year-old high school student. My computer science teacher Arkady Borkovsky brought me to the Computer Center where I worked and played with IBM PCs. I quickly learned programming
黎明期のパソコン雑誌が実家から出てきた。 「懐かし~」 と思う当時を知る人と、当時を知らない 「ちょ、マジかよ」 と思う人がいるんじゃないかと思う パソコン黎明期の話です。
あの頃も今も、コンピュータは楽しい機械です。仕事でも趣味でも、コンピュータとともに過ごしてきた読者諸氏は多いことでしょう。コンピュータ史に名を刻んできたマシンたちを、「あの日あの時」と一緒に振り返っていきませんか? こんなに小さくてもMS-DOSや表計算ソフトが動いたんです 1994年(平成6年)9月6日、横河・ヒューレット・パッカード(以下、YHP。現在の日本ヒューレット・パッカード)は、同社3代目のパームトップPC「HP-200LX」を発表しました。のちに、HP-200LXの代わりに値する製品がないと、ユーザーたちに言わしめる手のひらサイズPCの誕生です。 CGA互換FTN液晶(640×200ドット/80文字/25行/モノクロ)、CPUにはIntel 80C186(7.91MHz)、3MBのROM、1MB RAM(F1060モデル)を搭載していました。IBM PC-XT互換機でありなが
前回取り上げたDECを買収したのが、今回紹介するCOMPAQである。同社の設立は1982年、創立者はRod Canion、Jim HarrisとBill Murtoという3人の元Texas Instruments(以下、TI)のエンジニア(当時はいずれも中間管理職)だ。 世界最初のIBM-PC互換機メーカー COMPAQ 3人は1981年末にTIを退職、IBM-PCの互換機ビジネスに乗り出す。Canion氏がCEO、Harris氏がSVP of Engineering、Murto氏がSVP of Sales&Marketingを担い、会長職には同社に最初の資金提供を行なったベンチャーキャピタルのBen Rosen氏が就いた。
Linux以前1990年前後は NEC PC-9801にMS-DOSを載せて使っていました。当時のよくある構成。 Super ASCIIやbit誌を読んで UNIX に憧れてはいたものの、そんな高価な機器は買えなくて、それでも DOS-Extender 上で TeX や GNU toolsを走らせたりしてた。 (雑誌とASCII net pcs や 日経MIX、 NIFTY Serve の FUNIX あたりが情報源でした) MINIXは草の根BBSホストとして使ってたけど、これは常用するには色々と機能不足。hackしまくったけどOS自体の能力不足は否めなかった。 XENIXなどの商用PC系UNIXが存在するのは知っていたけど、PC/ATを買うのはまだ敷居が高かったし、そもそも商用OS自体が高価だった。 いろいろ探しているうちに 386BSD というものが存在するというのを知りました。たぶ
ゲーム業界のデファクトスタンダードとなった画像最適化ツール「OPTPiX imesta」を筆頭に、2Dスプライトアニメーションツール「OPTPiX SpriteStudio」、3Dキャラクターを組み合わせて漫画が描ける「コミPo!」など、幅広い製品展開を進めるウェブテクノロジ。しかし、当初からゲーム業界に関係があったわけではありませんでした。本連載では代表取締役で創業者の小高輝真氏と共に、社史と業界の動向を振り返ります。 ■社名にこめられたメッセージ ウェブテクノロジは大学院の卒業直前に立ち上げた会社です。1991年2月創業なので、今年で24年目になりますね。おかげさまで社員数も29名に増えて、アルバイトも含めれば34〜5人の規模にまで成長しました。画像最適化ツールの「OPTPiX imésta」シリーズはゲーム業界だけでなく、カーナビの開発やBS/地上デジタル放送用など、幅広い分野で
Heads on: Apple’s Vision Pro delivers a glimpse of the future
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