中村圭志 Daydream Believer 白昼夢研究所 @seattlelubbock 『サクリファイス』のニューエイジ的部分の解析は後に回すとして、宮沢賢治『銀河鉄道』に話を進めます。こちらは日本人の作品ですが、しかし戦前の熱狂的仏教徒のメッセージは現代日本人読者には全然通じていない、という皮肉な好例です。『銀河鉄道』は法華信仰なのに読者の印象ではキリスト教です。 pic.twitter.com/aQdB2RJAIn 2021-08-04 13:50:29
昭和8年(1933年)9月21日は宮沢賢治の命日である。 誰もが一度は読んだことがある童話や詩。 いかにも数多の作品が世に送り出されたイメージのある賢治だが、実際に書籍を出したのは37年の短い生涯で2冊だけ。 1924年の詩集『春と修羅』と、童話短編集『注文の多い料理店』である。 意外なことに、その中には 『雨ニモマケズ』 『銀河鉄道の夜』 『風の又三郎』 といった著名な作品も収録されていない。 近代日本を代表する大詩人にしては、あまりに少ないが、一体これはどういうことか。 本稿では、注目されそうであまり注目度の高くない「宮沢賢治の歴史」を振り返ってみよう。 お坊ちゃまとして過ごした青春宮沢賢治は明治29年(1896年)8月27日、岩手県花巻市で生まれた。 父・政次郎が22歳で、母・イチは19歳。 若い夫婦にとって初めての子どもかつ長男であり、いかにも苦労して育てられた雰囲気もある。 なん
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