ホラー作家・飴村行は、伝説の漫画雑誌「ガロ」編集長だった長井勝一氏(故人)に一度だけ会ったことがある。生まれて初めて漫画の持ち込みに行ったときの相手が、長井編集長だったのだ。 明日から本気出す、はずだった その日飴村が手にしていたのは、人生を変えるつもりで描いた渾身の勝負作だった。父と長兄が共に医師であり、自らも医療系の大学に進んだものの、勉学には一向に身が入らず、映画や音楽といったサブカルチャーに心は奪われていた。1969年生まれだから、大学時代はバブルの末期と重なる。同級生はみな車持ち(家の、ではなく自分専用)、医学部の肩書きがモテるための印籠として機能していた時代だった。その中でひたすら周囲の人間を軽蔑し、自分こそが世に認められる才能の持ち主だ、と漫画家の道を志し、すでに大学は中退していた。退路を断ったのだ。 「ガロ」に持ち込んだその原稿は、瞬時にして採用・掲載され、漫画史に燦然と輝